流転
僕の年齢よりちょっと若いキャリア官僚が、復興は不要だというブログ記事を匿名で書いたことが問題となっていて、多くの方々が様々メディアで発言している。そんな中で、学び舎の小林正弘先生が、非常に的確な指摘をしている。ぜひ一読して頂きたい。
(転載記事)
経産省のキャリア官僚が、被災地について書いた匿名ブログの件で処分を受けたと26日の朝日新聞に出ていた。問題のブログ記事は、ちょうど2年前の9月に書かれたもののようだ。ネットでもあちこちで転載されているということだが、新聞に載っていたものをそのまま引用する。
もともと、ほぼ滅んでいた東北のリアス式の過疎地で定年どころか、年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが、既得権益の漁業権をむさぼるためにそいつらの港や堤防を作るために そいつらが移住をごめる(ごねる)ためにかかる費用を未来のことも(こども)たちを抱えた日本中の人々からふんだくり、綺麗事をいうせいじ(政治)。復興は不要だ と正論を言わない政治家は死ねばいいのにと思う。
(文中のカッコ内は朝日新聞による補足)
この方も「公僕だから表立って意見を言えない」ので、匿名ブログで本音を書いた、ということなのだろうか。このレベルの人が官僚をやっているのかと思うと、怒りを通り越して脱力してしまう。やれやれ、いいかげんにしてくれよ。あんたたち、国民の税金で日頃おまんまを食べ、結構な退職金をもらい、十分な老後の年金を支給されるということを忘れているんじゃないの?
もちろん、すべての官僚がこの方と同じわけではないだろう。ごく一部の「不心得な人」、なのかもしれない。しかし、この匿名ブログ記事に流れている考え方に、表現は違うけれども本音ではそうだと思っている人もいるのではないか。それは、この記事の底流にある、「費用対効果」の考え方だ。
限られた国家予算をどこに割り振ればよいか。どう使えば有効か。おそらく官僚の方々は日々考えていることだろう。だから「過疎地」で「高齢化」の進んだ沿岸部の被災地に予算をつぎこんでも、そこから得られる効用は小さい。つまり「復興は(歳出のムダになるだけだから)不要だ」ということだろう。
それが「正論」なのか。被災地の復興は「綺麗事」か。それは官僚的発想なのではないのか。「公」が担うべき部分というのは、「私」が参入を躊躇する分野であるがゆえに意味があるのではないのか。効率が悪く、費用対効果が望めない、そういう分野は公的な機関が対処しなければならないものだろう、本来的に。
(転載終了)
表面上は、過疎地域自立促進特別措置法などというものがあるが、人が住んでいないところにお金をばら撒きたくないというのが、日本の官僚達の本音なのかも知れない。
しかし自分の生まれた故郷を大切に思う気持ちは、自分の国を愛する根本的な感情の表れであるだろうし、日本の歴史の中で、地方の民が日本の食料を経済を支えてきたことは間違いないことだろうと思う。
祈りの場としての故郷、癒やしの空間としての故郷を失った国民に、真の幸福などありえないと僕は思っている。
大企業の職員や公務員だけが優遇される社会が当然と考えるならば、地方で汗水たらして日銭を稼いでる人たちは、単なる負け犬なのだろうか。決してそうではないだろう。
勝者は常に勝者では終わらない。同じように弱者はいつまでも弱者ではない。流転する未来永劫の中で、老人も若者も、貧者も富めるものも間違いなく流転する。
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東京オリンピックにしても、原発にしてもこういうブログの考え方のもとで行われていますから官僚のブログだけを批判すれば良いとは思いませんし、官僚だけでなく、企業の経営者や「普通」の国民もこれと似た感覚はあるんじゃないかな、と思います。自分はこの問題について、著名人でもない官僚の娘さんの写真を晒して、あれこれ言っている人たちのこともまた理解できません。まあ、東京のある程度繁栄した場所に住み、恵まれた職業に就く人には分からない部分も多々あると思います。というか、これからは自分でできることは自分でする、そういう時代に入ったんだと思います。この官僚のブログのこと以外でも、それがよく分かりました。※本名で投稿させていただきますが、公開しても問題はありません。
(かねごん)
大河様あらため潤口様コメントを頂きありがとうございます。
僕も同感です。潤口さんの言われるような時代にはいったのだと思います。
今まで黙ししてきたものが、そうは出来なくなりました。
社会の悪出しが始まっているんですが、その加速度が人によて企業によって大きく異なります。
速いほうがいいでしょうけれどね。
投稿: 大河→澗口 学 | 2013年9月27日 (金) 14時12分
こんにちは。
記事を紹介いただき、ありがとうございます。
新聞で、キャリア官僚のブログ記事の件を知り、記事にしたいと思いながらうまく書けないまま、とりあえず書き始めてみました。なんとも、情けなくなるような脱力する出来事なので、怒りを通り越してしまいました。
すべての官僚の方が同じ考えではないだろうと思います。ただ、似たような考えを持っている方も、まちがいなく存在するだろうと思います。彼らは、本当に「公僕」なんでしょうかね。
うちの息子も「公僕」を目指しているようです。複雑な心境です。
(かねごん)
小林先生の記事は、とても脱力感が伝わってきて、多くの現代人の心情を代弁している記事だと思います。
人間の価値を決めるのは、人間力だとずっと思ってきました。しかしその根本は権力や財力に左右される非常に微弱なものなんですね。うまく言えませんが・・・。
投稿: 学び舎主人 | 2013年9月27日 (金) 14時15分