幸せの種
長い人世の中には本当に様々な出来事がある。あまりにも当然のことだけれども、人は年を取る。どんなに強靭な肉体を持った人間も、優秀な頭脳を持った人間も、やがて老いて死を迎える。そういう意味では、人間は間違いなく平等だ。
ただ幸運や不幸となるとどうだろうか。やはりそこには幸せな人生とか不幸な人生などという言葉に代表されるように、運、不運のそれぞれの人生があるようだ。
自分の願いが叶ってきた人生は幸せな人生であるだろうし、思いのままにならないかった人生は、不幸な人生なのかも知れない。
でも僕が思うに、幸運の種は平等に全ての人に撒かれているんじゃないかと思う。ただその撒かれた種を育てる土壌を、準備しているかしていないかの違いなんだろうと思う。
種は、水と土と光があれば芽を出す。いともたやすいことなのだが、それを忘却して、ただ一生懸命水だけをかけたり、土だけを掘り起こすだけの人間が多いものだ。
人は、特殊な能力も強靭な肉体がなくても、幸福の芽を育てることはできる。タイミングさえ間違わなければいいのだ。しかしそのタイミングを難しくしてしまっている人は多い。
ほんのちょっとの努力と、ほんのちょっとの優しさと、そしてほんのちょっとの謙虚さがあれば、自分が繋がって行くべき世界が見えてくる。季節が変われば吹いてくる風の方向が変わる。太陽の沈む時間も変わるだろう。
冬が訪れようとしているのに一生懸命水を与えても、芽は出ない。出たとしても枯れてしまうだろう。誰もがそれぞれの季節を生きている。
哀しみも喜びも全てが人生の肥やしになって行く。
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