僕は嫌いです
聞くだけで英語がどんどん話せるようになる!
こんな広告やCMをご覧になった方々は多いだろう。そして幾人かはそう言った教材を購入する。
かつて駅前留学などと称して、外国人講師の英会話教室が隆盛したが、そのほとんどが消えた。理由は簡単。話せるようになどならないからだ。
今流行の教材が効果を上げるのは、ある程度英語の基本が出来ている人であって、いきなりの英会話スタートから始める英語初級者は、残念ながらお金を溝に捨てるようなものだろうと思う。
日本で語学を体得するのは至難の業だ。それをいとも簡単なように宣伝し、教材を買わせる手管は今も昔も変わらない。
流暢に英語を話す日本人のほとんどが、海外生活体験者だ。もしくは猛烈な英語の努力をした人、それくらいだろう。
猛烈というのはどれくらいかと言うと、英語で夢を見るようになるくらいの猛烈さだろうと思う。中学校や高校の英語の点数が常にトップでも英検2級をとっても、日常の英会話はままならない。
英語を勉強する皆さんの気持ちを萎えさせる話で申し訳無い。もっと夢のある話をすればいいのだろうけれど、現実は厳しい。
なぜこんなネガティブな話をするのかと言うと、最近の高校生があまりにも英語という学問をなめているからだ。
数学や理科は勉強をすれば点数としてすぐに結果がでる。しかし英語や国語などはそうはいかない。点数に反映されないとなると、数学ばかりにエネルギーを注ぐ。英語は後回しだ。英語は辞書を片手に単語を引けば、なんとか曲がりなりにも訳することが出来る。それで分かったつもりになって御茶を濁している。
その結果、センターの英語の点数が取れないばかりではなく、滑り止めに受ける私大の英語も読解不能。全滅だ。
どうしてこんな状況があちこちで生まれるかというと、高校の先生方が、国立に入れたいばかりに、数学にとてつもない時間と労力をかけさせる。その結果、本来文系に才能を発揮すべき生徒の力を衰退させてしまっているような気がする。
数学が出来なくたっていいじゃん!実はそんな不謹慎なことを僕は真剣に考えている。僕は俗に言う私立文系受験だったので、高校数学は全く出来ない。中学数学の延長線にある数A、数1の前半ぐらいがちょっと分かるくらいだ。
理系の人間が、出来る人間みたいな風潮があるが、僕は決してそうは思わない。文系力は生きていく上でとても大切なものだ。国語力しかり、語学力しかりだ。
塾のあり方だってそうだ。「大学受験の数学は教えてくれないんですか」という問い合わせが多い。その際に「英語と文系科目だけですか」という電話の声に落胆の響きが感じられる時が多い。
おいおいという感じである。大学受験の英語を舐めるなよ!論文力を舐めるなよ!と、実際はもちろん口には出さないが、心の中ではヤンキーかねごんになって叫んでいる。
その英語とて、最近は高校の宿題が多く、高校生は自主的な勉強が全く出来ないでいる。かつては独自の指導方法を行っていたが、近年は学校から出される宿題の解答塾になり下がってしまっている。我ながら情けない。
時代はAO入試の時代である。内申点が必要だ。自ずと教師から出される宿題は、内申点のためにサボるわけにはいかない。本来必要な英語力よりも、教師のだす宿題の勉強が優先だ。
高校の先生は、もう少し高校生の自主性に任せた勉強をやらせていんじゃないだろうか。国立に何人なんて営業実績のような数字に固執せず、生徒達に工夫というものをさせてみてはどうだろうか。
なんでもかんでも手とり足取りという指導は、長い目で見れば、弊害も多いようなきがする。大量の宿題プリントを作る暇があったら、授業での指導計画に、もっと時間を割くべきじゃないだろうか。
兎にも角にも宿題メインの指導ってやつは、僕は嫌いです。
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英語を習得して実際に使える人は外国に在住していた人、個人的に英語が好きな人(欧米系の何かのバンドの曲や映画が好きだったとか)、ぐらいだと思います。何度か引っ越してきて、今は石川県内に住んでいますが、少子化、過疎化がひどく、どこも生徒集めに必死で、生徒の進学実績はそのまま高校の広告になります(石川県内だと金沢大学の合格者数が一つの目安になるらしいですが)。スポーツでも同じでしょう。よく、公立校を揶揄する時に「こんなことは私立校では有り得ない」と言いますが、悪い意味で公立校も私立校のような経営主義や成果主義に変わっています。生徒のために高校があるんじゃなく、高校のために生徒がいるようなものです。もちろん、公立校とて生徒が集まらないと統廃合(この辺りでは輪島や飯田が進学校と言われていましたが、普通科の合格ラインをかなり下げ、普通科とは別に近くの実業高校と合併してもまだ定員割れしています)になるのでそういう方向に走るのは分からないでもないですが。先生方も忙しすぎる部分もあるかと思いますし。でも、高校の名前のために生徒を利用するような教育?というのは見直すべきです。
(かねごん)
大河様、いつも真摯なコメントを頂きありがとうございます。
『生徒のために高校があるんじゃなく、高校のために生徒がいるようなものです』まさにそうだと思います。
個人の尊厳を教育の主眼にすべきところが、全体の業績に視点が行ってしまっているのが現状ですね。残念です。
投稿: 大河 | 2013年9月23日 (月) 00時24分
日本人が英語を駆使するのは難しいですね。英検2級どころか、英検1級、TOEIC900点以上をとっても、留学経験があってもたかが知れています。とても流暢と呼べるものではありません。
実際のところ、日本人に英語は必要ありませんが、もし英語の能力を上げたいのなら、英語が出来なければ良い職種に就けないなど、シンガポールのように国際競争力の確保を目的にした意識改革が必要だと思います。しかし、のんびりとした日本人気質にはつらいですよ。
(かねごん)
犬王様コメントを頂きありがとうございます。
日本人には英語は必要ありませんが、英語教育がなくなれば、間違いなく100万人は仕事を失いますね。
英語を話せないがゆえに英語のビジネスが成り立つ不思議な国です。
投稿: 犬王 | 2013年9月23日 (月) 21時45分
かねごん様
お説はごもっとも、同感です。しかし、かねごん様、真面目一筋の先生が現状に憤り、幾ら悲憤慷慨しても、暖簾に腕押し、糠に釘の如き様相ではありませんか?
かねごん様、秋も近づく時は今、首都圏では、国電(古いですなぁ!)や地下鉄の車内には、「英語ができないと、仕事が逃げていきます。貴方は失業しますよ!」と云わんばかりの、英会話学校による恫喝・脅迫広告が溢れ返っております。
数年前には確か、駅前留学を標榜していた某・会話学校が経営破綻したと云うのに、この有様です。藁をも掴もうとする大衆の「恐怖心に駆られた学習意欲」に付け込むとは、英会話学校とは、抜け目ないですなぁ!
かねごん氏も、「英語ができないと落ち零れるぞ!」と、一般人の潜在的恐怖心にツケ込み、英語ができないことを十分に自覚している彼らの劣等感を巧妙に刺激し、「大験セミナーのかねごん先生に学習すれば、語学力の向上は間違いない!」と教唆扇動すれば、生徒は増加し事業は拡大、あっつと云う間に自社ビルが建つのではないですか?
ご健闘を祈ります。
(かねごん)
Yozakura様コメントを頂きありがとうございます。
素晴らしいアイディアをありがとうございます(笑い)。
今日も保護者の方と面談をしましたが、「英語はできなくていんじゃないですか」なんてことを言い切る僕は、永遠に儲からないですね。
入試に必要な知識ではどうせ世の中では通用しない英語です。お金と時間をかけるならば、もっと違うことにかければいんじゃないでしょうかね。
投稿: Yozakura | 2013年9月25日 (水) 21時54分
かねごん様
お早う御座います。返信を拝見しました。
> 「英語は出来なくていいんじゃないですか」なんてことを言い切る僕は、
> 永遠に儲からないですね。
矢張り、かねごん氏は信念の人であり、硬骨の人なんですね。どうぞ思うが儘に、誰に気兼ねもなく塾で生徒さんのお手伝いを続けて下さい。お元気で。
(かねごん)
Yozakura様コメントを頂きありがとうございます。
お褒めの言葉ありがたく頂戴いたします。
硬骨の人などと言われると穴に入りたい気持ちですが、僕は単なる臆病人間だと思います。
だから空元気を出して吠えまくっているんだろうと思います。
l
投稿: Yozakura | 2013年9月26日 (木) 08時29分
就職難 韓国の「英語圧力」-韓国の「88万ウォン世代」は、日本の若者の未来の姿?
グローバル化による英語力の必要性は、日本でもTOEICの受験者数が増えていることから顕著になっているが、お隣韓国における“英語圧力”は、日本の比ではないらしい。
商社に就職希望の延世大学4年生、ホン・ジョンドゥ君(仮名)は語る。
「韓国では大学入学時にTOEIC(990点が満点)で600点から700点くらい、ソウル大学や延世大学など、トップクラスの大学だと800点から900点ぐらいないと入試をクリアできません。そして、いい大学をいい成績で卒業するだけでは就職は難しい」
そこには日本とは違った就活事情があるようだ。
「韓国には日本のように新卒一括採用という制度はなく、即戦力が求められます。企業に長期インターンで働くとか、海外でボランティア経験を積むとか、そのために休学をするのも常識で、英語はできて当たり前。僕は交換留学の試験をパスするために半年間休学しました。休学中は考試院(コシウォン・学生や休職中の人が国家資格などを取るために使う専用宿舎。ソウル各地にある)と自宅を行き来する毎日です。それ以外のところには一切寄りませんでした。全国の大学生が休学して考試院に通うのですから、外に出たら負けです」(ホン君)
なんと外の世界の厳しいこと。まともに勉強してもものにならない英語教育をはじめ日本は緩いですな。
(かねごん)
ぬるま湯様コメントを頂きありがとうございます。
世界がグローバル化すれば確かに、意思疎通は英語が中心になることは間違いありません。
ただ韓国も中国もインドもそうですが、英語を重視するために、学歴社会がものすごい勢いで加速してきました。
大学にいかないものは、リーダー的仕事には一切就けないとも言われています。
人間性と語学が出来るかどうかは、誰がみてもリンクするものではありません。ましてや技術屋に英語力を強制する企業も増えていますが、それもどうでしょうか。
僕は英語英語と騒いでいる社会を見ていると、聖書のバベルの塔を思い出します。
投稿: ぬるま湯 | 2013年9月27日 (金) 08時12分