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2013年9月 1日 (日)

中年オヤジの遠吠え

かつても書いたテーマなのだが、人間は本当のことを言われると聞き耳をもたない。いやそれどころか激怒する。

プライドがそうさせると思われるかも知れないが、自分の中に巣くっている邪念がそうさせるのかも知れない。邪念というと抽象的かも知れない。悪と善のつばぜり合いで負けた悪の心とでも言ったらいいだろうか。そんなところだ。

30年間塾教師をやって来て、今までに数百名の、いやひょっとすると1000人を超える保護者の方と面談をしてきた。

親御さんは間違いなくお子さんを愛している。そういう前提で僕は話を伺ってきた。その愛が時にちょっとだけ暴走して、溺愛に変わったり、利己主義になることもあるのだけれど、総じて親の子を思う気持ちは純粋だ。

ちょっと話は脱線するけれど、塾を意外に早くやめてしまうパターンというのがある。実は成績が上がらないから塾をやめるというのは稀で、ほとんどが人間関係である。こども同士の人間関係もあれば、親同士の人間関係というのもある。

好き嫌いの根本原因は、多種多様だけれど、ズケズケと物を言う人間は、年齢に関係なく敬遠されるようだ。

僕はボランテイアで実に様々なことをやってきた。金銭をもらってやることでもないし、頼まれてやっているもんだから、遠慮なく僕は意見を言う。自分の時間や休日を返上してやってあげているという気持ちはさらさらない。もしそんな気持ちでやっているのならば1年も持たないだろう。

オブラートで包まれた日常に楔を撃つと言うわけではないが、ここで誰かが言わなければ、だめだろうなという時には僕は言う。

自ずと敵は増える。しかしそれは僕にとってたいしたことではない。正義面しているように思われるかも知れないが、人生のつまづきになるようなことをしている人に、注意をするのは当たり前のことではないだろうか。

このブログで何度か繰り返してきたが、僕が塾という媒体を通して教育に携わってきた目的は、子ども達に人生を有意義に楽しく過ごしてもらいたいからだ。運のいい人生を送って欲しいと思っている。

塾の先生がこんなことを言うのも変かもしれないが、ちょっと頭が良いとか、ちょっといい学校を終わったとか、それが何ですか、というスタンスで僕は子ども達と向き合ってきた。

困っている人を見たら助けてあげる。他人の安全を阻害するものがあったなら阻止する。そんな当たり前のことが出来ない人間がうじゃうじゃいる。いくらお金があったって、いくら学歴があたって、人間として優しさや正義がなければアウトだ。

言葉は神々しい救いにもなるし、時に凶器にもなる。難しいものだ。このブログとてそうだ。僕の表現が未熟なために、なんど記事の消去を仰せつかっただろう。「こんなことは書かないでください」 「根拠がないことは公表しないでください」・・・などなど。

このブログとて、ノルマで書いているわけではないし、お金を頂いて書いているものでももちろんない。僕の趣味と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、中年オヤジの遠吠えみたいなものだ。

7年弱毎日書き綴ってきたけれど、未だに僕がブログを書いていることを知らない塾生は多い。塾生や塾の保護者の方々にあまり読まれていない塾ブログ。ちょっとオシャレかも知れない(笑い)。

だから言いたいことが書けるのかも知れないが、確かに暴走することは多い。すまし顔で、綺麗事や書きたくもないことを書いたってしょうがない。そんなことに夜の貴重な時間を費やす気などさらさらない。

過去に何度か炎上すれすれの危ない橋をわたってきた。実は、書きたいけど書いたらヤバイだろうなというソースはいくつかある。僕もこどもじゃないので、それくらいの常識はある。しかしその常識を乗り越えて書きたがっている自分がいることは確かだ。

本当の事を言われると人は激怒する。僕はこの言葉を肝に銘じてこのブログを存続させて行きたい。そうじゃないと、中年オヤジの遠吠えの楽しみが無くなってしまうので・・・・。

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