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2013年7月30日 (火)

塾教師生活31年目の夏がそこはかとなく過ぎて行く

人生に於ける出逢いというものは、まさに縁そのものだ。

昨年は塾教師生活30年目の節目として、いろいろ考えることが多かった。具体的な数字を掌握しているわけではないが、今まで受験指導を行なってきた生徒や児童の数は、1000人は超えていると思う。

未熟な人間なものだから、多くの失敗を重ねてきた。生徒の家庭の事情に深入りし過ぎて、煙たがられたこともある。逆に手を差し伸べなければならない時に躊躇して、生徒の立ち直るタイミングを後押ししないでしまったこともある。我ながら情けない。

僕は相手の感情をブロクすることが苦手で、自分の思考や精神性が猛烈に影響されて、しんどい時が多かった。特に独立して塾を始めた30代の前半はそれが顕著で、コントロール不能の自分の感情を酒で紛らすことが多かった。

小さな田舎町ゆえに、どこの高校を出たとか、大学を出たとかということが、商売をやって行く上での暗黙の潮流のようなものがあって、地団駄を踏んだことも多かった。

よく田舎では、あの塾から東大が出たとか、慶応が何本出たとか、まるで競馬で万馬券が出たような喧騒ぶりだが、僕にとってはそんなことはどうでもいい。

東大や慶応、早稲田に受かる生徒は、塾に入る前からモチベーションが高いし、能力があるからこそ描ける将来像であり、志望校だ。塾教師にとっては、実質合格させることは簡単ではなくても、そのレベルに持っていくことは困難なことではない。

大変なのは、グレた子どもたちに学びの光を灯すことだ。学校のクラスの中で授業を放棄した生徒に、自信を回復させることが、猛烈なエネルギーを必要とする。彼ら彼女らが、世間が偏見を持って眺める底辺校に合格させても、いちゃ悪いが世間では誰も塾を評価してくれない。

「名前を書いてくれば受かる高校でしょう」「入学金を払えば合格するんでしょう」そんな心ない言葉を浴びせられる学校に、どうにか入れた生徒達の気持ちを考えたことがあるだろうか。

市内では、塾によっては進学校以外の受験生を断る塾もある。商売としてはとても合理的だし、面倒がなくていい。

僕の塾では年によっては、東大などの難関大学を狙う生徒と、市内の私立高校を専願でなんとか入りたいという生徒が、時と空間を同じくして学んでいる。これがどんなに大変なことか分かるだろうか。

僕はこのスタンスを崩さないつもりだ。優秀だろうが、グレていようが、魂の本質は変わらない。自惚れかも知れないが、そんな僕の心情を分かってくれる生徒や親御さんが塾に来てくれればそれでいい。それ以上は望まない。

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