まさに吉幾三の歌の世界だった
最近ふと子どもの頃の生活を思い出すことがある。
僕が小学校に入る前は、わが家には水道が無かったし、もちろん冷蔵庫も洗濯機も無かった。車も無かった。まさに吉幾三の歌の世界だった。
祖母はたらいで洗濯物を洗っていたし、夏はスイカを井戸に入れて冷やしていた。
電気も確か10アンペアで間に合っていたと思う。電気製品と言えば、裸電球が5個と、1963年の東京オリンピックの年に買った真空管式の白黒テレビが1台あっただけだ。
燃料はほとんど薪。若かった母は、毎日4時に起きてカマドでご飯を炊き、家族8人分の食事を用意していた。
僕の手伝いと言えば、井戸から水を汲み、バケツで風呂場に運ぶことだった。この作業で僕は背筋と腕力が鍛えられた。
父が病に倒れ、長い闘病生活を余儀なくされた時に、小学校5年生の僕が重い耕運機を操れたのも、幼い頃の水汲み作業が、功を奏したのだろうと思う。
今、改めて台所や茶の間を見渡すと、驚くほどの電気製品の数にめまいがしそうだ。冷蔵庫・電子レンジ・炊飯器・パソコン・コピー機・CDプレーヤ等々。
便利になったこの現代社会に於いて、電気製品のおかげでできた時間は何処に行ってしまったのだろう。不思議な気がする。
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