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2013年7月17日 (水)

15の夏から浮遊しっぱなしだ

僕が今までに出逢ってきた友人の中に、小説家志望の人間が3名いた。同人誌に寄稿した作品を見せてくれた友人もいれば、生原稿を読ませてくれた友人もいた。

彼らには、当然のごとくそれぞれ手本とする作家がいた。彼らの作品には文体の模倣のような感じはなかったけれど、社会を見つめる視線や、切り込む角度のようなものには、追従する作家の相似形みたいなものを垣間見たような気がする。

僕は小説を書くことはないが、小説を書く人間には非常に興味がある。小説を書くという動機のみならず、それを職業としたいという意思には、凄まじいエネルギーを感じずにはいられない。

我が女房は、毎日自慰的雑文を書いている僕を見て、「あなたもこんなどうでもいいようなブログをばかり書いてないで、小説でも書いて直木賞でも狙ったら」と、からかってくるのだが、そんなに小説を軽くなめてはいけない。

僕は小説を読むことはあっても、小説を書くことがないので、あくまでも推量の域での話なのだが、小説を書く人間は、もし小説を書いていなかったら生きづらかっただろうなと思う。

僕は50を過ぎても、詩のようなものを書いている軟弱な人間だが、それはあくまでも曲作りのための詩であって、詩そのものを真剣に書きたいと思っているわけではない。このメロディーにこの言葉を乗っけたら、ちょっと良い感じじゃん的な、そんな軽薄ななんちゃって詩人である。

若い頃、何かに取り憑かれたように小説を読みあさっていた自分がいて、そんな自分が、なんか大事なことから逃避している気分がして、本を読むことに後ろめたさを感じていた自分がいた。

小説を書く人間がいるからこそ、小説を読む人間がいる訳だけれど、その相互依存的なパラドックスに、僕は変な快感を味わっていたのかも知れない。

音楽や小説や絵画もそうだろうけれど、そう言った世界に足を引っ張られた人間は、現実社会と精神性の世界の境界線が曖昧になり、魂が浮遊してしまう。そういう意味では、僕は15の夏から浮遊しっぱなしで、なかなか現実社会に着岸することができないでいる。

そう言えば、小説を書いていた友人の3人は、一人は東京で塾をやっていて、一人は大学で先生と呼ばれる仕事をしている。もう一人は、心を病んだ後音信が不通だ。

彼らが僕のブログを読んだなら、きっと笑うだろうな。

「おまえ、あの頃から全然大人になってないな」って。

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コメント

かねごん様
 ブログは時々覗かせて貰って居ります。本日の投稿主旨に深く共感し、エールを送信します。
 どうぞ今後とも、しっかりと俗世からご自身を懸隔し、「魂の高潔なる浮遊」を続けて下さい。

(かねごん)
Yozakura様お久しぶりです。コメントを頂きありがとうございます。
世俗から隔離するどころか、世俗に毎日どっぷりと浸っています(苦笑い)。
世俗にまみれつつ、マイペースで浮遊し続けて行きたいと思います。

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