昨日の『学歴でメシは食えるか』という記事に対して読者の方よりコメントを頂いた。
とは言うものの、長い下り坂の国にあって、平均以上の生活をするためにはそれなりの企業もしくは公務員しか選択肢がないわけで、後者は特に地方では地縁血縁がモノをいいますが、前者は入社の際は学歴しか判断材料がありません。
学歴=学力ではないのは確かですが、今や大企業、有名企業に入るためには、学歴は高度成長経済の時代以上に大切になっているのではないでしょうか?
貧乏暮らしをもう50年以上もやって来ると、お金がないことに慣れすぎて、年収がいくらだとか、ボーナスがいくらなんて話はもうどうでもいい感じで、一流とか、有名とかいう言葉に触手が全く動かなくなっている自分がいるのだが、多くの人はやっぱり一流を目指したいのかも知れない。
4年前に書いた記事の蒸し返しなのだけれど、僕も一応大学4年生の時には就職活動をやった。当時は10月1日が就職活動の解禁日で、僕は某音楽関連企業を会社訪問した。
会社の玄関ロビーに行くと、名前を記入する紙が5枚用意されていて、一枚目は『東京大学の方』 2枚目は『一橋大学の方』3枚目は『慶応大学の方』4枚目は『上智大学の方』5枚目は『その他の大学の方』という文字がしたためられていて、僕はその紙を見て就職活動をやめた。言ってみれば僕の人生を変えた会社訪問だった。
大学の卒業式が近づいた頃、新聞で進学塾の講師の募集を見つけて試験を受けに行った。テストの成績は良くなかったようだが、たまたま試験結果を聞くために電話をしたその日に、突然やめることになった社会科の先生がいて、タイミングよく僕がその後釜になることができた。幸運だった。
でもやっぱりそこの塾にいた先生方も、皆一流大学の出身の先生方で、僕のような4流出の者はいなかった。残念な気分だった。
しかし、仕事は楽しかったし、僕はそれなりに先輩諸氏に面倒を見てもらった。僕の頭の悪さと字の汚さは生まれつきで直しようもなかったが、音楽をやっていることと、読書傾向の特異さが功を奏して、僕なりのポジションを確立することができたような気がする。
僕は今でもそうだが、専門の英語や社会よりも、現国が1番好きだ。当時の僕は(今でもそうだが)自民党と読売巨人軍が大っ嫌いで、兎にも角にも権力志向の人間には、絶対頭など下げたくない人間だった。
マルクス主義に傾倒した高校時代、ロシア文学やプロレタリア文学を読みあさった僕は、言ってみれば嫌なやつだった。私立高校の雑然とした喧騒の中で、僕はどうしても東京に行きたいがために、受験参考書に漫画のカバーをかけて勉強するふざけた野郎になっていた。
その頃の僕は、間違いなく自分なりの一流を目指していた気がする。結果的には4流の大学しかとれなかったが、自分の中ではそれなりの満足感があったのは、正直な気持ちだった。
いい大学を出て、いい企業に入ることは成功のルートだと思う。給料はいいし、何よりも生活の安定が保証されている。公務員や公立高校の先生方もしかりだ。自営業をしている僕から見れば、彼らの暮らしは天国だ。これは決して嫌味で言っているのではない。正直な気持ちだ。
僕は負け犬には負け犬の生き方があると思って生きてきた。自分の生きるべき土俵を見つけられれば、結構イケてる生活が出来るんじゃないかと思っている。
1番の問題はお金だろうけれど、無ければ無いなりの暮らしはあるものだ。例えば僕はお金が無いので、この歳になるまで旅行らしき旅行はしたことがない。今度の日曜日に飛行機に乗って岐阜に行くのだけれど、神奈川より西に行くのが人生初めての経験である。
自宅も自分でリホームすることが常だ。お金が無いからこそ生まれる工夫であり、わくわく感だ。年金などあてにできないので、死ぬまで働いてやると心に決めている。
学歴の話と全く関係ない方向に文章がさまよってしまった。今、夜中の1時半、長男が夜勤を終えて帰ってきた。この辺で・・・。
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