断片
初夏の日ざしの中に佇んでいると、そよいでくる風の匂いや光の反射に、遠い昔の光景や心情が、さざ波のように蘇って来ることがある。
30年も40年も前の何気ない風景の断片が、脳裏をかすめて行く時、まるで青春の残像が僕に手紙を書いてくれたような、そんな気持ちになる。
過ぎてきた多くの日々が、かけがいのない時間の堆積だったと気づく時は誰にもあるだろう。朝が始まりそして夜がやって来るまで、退屈な1日があったり、嬉しい1日があったりする。
揺れ動く感情の中で、元気さや憂いが錯綜し、いろんな自分が存在していく。空を見上げると今年も5月の空が終わり、夏の空気が山や田んぼや町の中を満たし始めている。
年をとった僕の感性は、少年の頃に感じた原風景を思い出すことが難しくなってきたが、きっとあの頃に感じた光も風も、僕の周りには確かにあって、僕の袖を突っついているだろう。
22歳の若者が、もう若くないと言う感情と、50歳をとうに過ぎた僕が言う若くないと言う感情はきっと違う。でも今日のようなふんわりとした風景の中にいると、肉体の年輪のようなものはどうでもよくなって、20歳の頃の自分や、15歳の頃の自分の存在をふと身近に感じたりする。
どこか時間軸がほつれたような、曖昧な時の放射が真綿のように僕を包み込む。それは遊園地の観覧車の窓にへばりついて、はしゃいでいた息子が、突然大人になって、僕の前に座っているような、そんな感覚だ。
哀しみや辛さや、怒りのような感情も似たようなものかも知れない。実体のない感覚に右往左往する日常も、歓喜する瞬間も、実は今であって、今でないのかも知れない。
5月から6月にカレンダーが替わった。黒や紺の制服が一斉に白いシャツに変わっていく。季節が初夏になったので衣替えをするのではなく、衣替えをするから季節が変わって行くのではないだろうか。
なんだか僕の思考の時間軸も狂い出したようだ・・・・。
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