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2013年5月14日 (火)

大槻玄沢の邸宅跡

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大槻 玄沢(1757~1827)  一関藩医玄梁の長男で建部清庵の門弟。杉田玄白から蘭方医学を、前野良沢からオランダ語を学び、オランダ語の入門書「蘭学階梯」を著わしました。江戸にわが国初の蘭学塾「芝蘭堂」を開いたほか「解体新書」を改訳し「重訂解体新書」を完成させました。

大槻 磐渓(1801~1878)  玄沢の二男で、開国を唱えた和魂洋才の儒学者。仙台藩の藩校・養賢堂の学頭を務めました。戊辰戦争時には、藩政を左右するほどの思想的影響力を持ちましたが、戦後一時投獄されました。「近古史談」などの著書があります。  

大槻 文彦(1847~1928)  磐渓の三男。29歳で文部省から辞書の編集を命じられ、16年の歳月をかけてわが国初の辞書「言海」を完成させました。日本辞書史上不朽の名著として名を残しています。その後新たな辞書編集に取り組み、文彦没後の昭和10年「大言海」として刊行されました。(一関観光ナビより転載)

一関出身の大槻玄沢の孫の大槻文彦が、日本最初の国語辞書「言海」を編纂したことはあまり知られていない。

ところで大槻玄沢の邸宅跡というのが、僕の塾のすぐ近くにある。石碑が立っているのだが、残念ながら単なる原っぱとなって数十年が過ぎている。

僕は一関市に言いたい。確かに大槻玄沢、盤渓、文彦の銅像こそ一ノ関駅の真ん前に立っているが、大槻玄沢くらいの偉人の邸宅跡が、こんな寂れたまんまでいいのだろうか。

この写真は僕の抗議でもある。

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コメント

こんばんは。
お久しぶりです。
試合会場では何回かお見かけしましたが…

実は私、玄沢の親戚?というか子孫?というか…
です。
母の実家が大槻家なので。玄沢邸跡が塾の近くにあるとは知りませんでした。
血の繋がりがあるものが、これじゃダメですよね。

(かねごん)
もぁ様コメントを頂きありがとうございます。
大槻玄沢の家系の流れをくんでいるんですか。すごい!
ひょっとしてご親戚には医者や学者がいらっしゃるのでは。

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