僕らの命は、国家予算よりも軽んじられているのだ
山菜の季節、新聞も広報も山菜の危険を告知すること無く、多くの人たちが山菜を食べてしまっている。
岩手県が発表している県内の山菜の放射能値を見て愕然としてしまう。遠野市や北上市でさえコシアブラやタラの芽から100ベクレルを超すセシウムの値が出ているというのに、今年度の一関市の測定欄は空欄になっている。
意図的な空欄だろうと思う。
地元のFM曲などは「山菜の美味しい季節ですね」などとアナウンサーが言っている。おいおいという感じである。
放射能の値が高くても引っ越せないのは、諸所の理由による。はっきり言えばお金や仕事の問題だ。
そしてもっと厄介なのは、放射能の危険性を多くの市民が知っていないことだ。テレビや新聞、そして市の広報を鵜呑みにしている方々が実に多い。
チェルノブイリ事故の悲劇は隠蔽され、驚異的な癌の発生率や、奇形児の生まれる確率の高さについては、いっさい報道されていない。
このブログで何度も訴えてきたが、多くの悲劇が生じているベラルーシの放射能の値は、福島県はもちろんのこと、ホットスポットと言われる、ここ一関市や平泉、奥州市と変わらないのだ。
体調を崩す方が増えている。お年を召した方々は、まったく食べ物については無頓着だ。地元の山菜も魚も、全く気にしていない。
そして何が起こっているのか。急激なお年寄りの死亡増加である。脳梗塞や心筋梗塞による死亡者が、震災後5倍になっている。
東京をはじめとする関東地域も、危険だ。ガイガーカウンターて測れば分かるが、ホットスポットがいたるところに点在し、0・3マイクロシーベルトの空気線量を超える地域が多くある。
もちろん東京湾の底のドロなどは、凄まじいベクレルの値なはずだ。魚なんか食えたもんじゃない。
タバコも国産はアウトだ。タバコは食品と見なされていないので、測定値の限界は蚊帳の外。肺に直接セシウムが吸引されて行く。喫煙者の癌の発生率は間違いなく急増するだろう。
我が愚息は、僕や女房の警告にようやく耳を傾けてくれ、タバコをやめた。
僕らの命は、僕らが全力で守って行かなければならない。子どもたちの健康ももちろんそうだ。
100ベクレルを超えなければ、作物は流通してもいいと言うのは、国民の健康を考えたものなんかじゃ決してない。単に農家や生産者の補償をしたくないだけの話であって、僕らの命は、国家予算よりも軽んじられているのだ。
後2年ほどで、大変な状況が様々な地域から出て来るだろう。東電や国は必ず被曝の真実を無視してくるだろう。
東北や北関東の人は移住しなければならない状況が生じるかも知れない。僕はそれくらいの危機感を抱いて、このブログを書き続けてきた。けやきの木の枝があちこちで枯れ、異様なタンポポやチュウリップが咲き乱れるこの陸奥(みちのく)。植物が僕らに危険であることを思う存分教えてくれている。
心ある人は、どうかこの危機感を、伝えて欲しい。
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