我が家の暗黙の家訓
持病の薬の他に、この季節はさらに花粉症の薬が増え、そのためだろうか、口内炎が生じ、おまけに痔まで悪くなる始末。死にはしないけど、死にたくなるくらい気分はブルーだ。
春は大っ嫌いだ!
いらいらしているものだから、今朝は女房に苦言を呈してしまった。彼女は震災後様々なボランテイアの支援活動をしているのだが、NPOの法人でもないし、当然のことだが寄付金をもらっているわけでもなく、全て家計からの出費で賄ってきた。
震災後放射能の影響で、無農薬のお米も売れず、塾の仕事も低迷状態。お金の余裕があるはずもない我が家に於いて、来年は末の息子の大学進学も控えている。正直頭を抱えたくなるなる状況だ。そんな状況の中で、次から次へと支援活動を計画している女房に、とうとう怒りの矛先を向けてしまった。
女房は仕事から帰ってきた僕にご飯を出すなり、無言で寝てしまった。どんまいだ。
それにしても、僕はどうしてお金儲けが下手なのだろうと、滅入ってしまう。確かに家庭が貧しく苦労はしてきたが、ご飯だけはいつも食べてこれた。そのことに対しては心から神様に感謝している。
絶体絶命のピンチになると、決まって援助の手が差し伸べられてきた人生だった。困った人を見たら助けるべし、我が家の暗黙の家訓だ。はっきり言ってしまえば、お人好しなのでお金に縁がないのだろう。しかし間違いなく、何かに守られているという確信はある。だから頑張れる。
突然だが、聖武天皇の時代生きた右大臣藤原豊成に、中将姫という娘がおられたのだが、中将姫伝説として以下のような話が今に伝わっている。
聖武天皇の御代、右大臣藤原豊成と妻百能(紫の前ともいう)の間には子供が無かったので、長谷の観音様に祈りをこめて授かったのが、白玉のように美しい姫であった。天平十九年八月十八日、姫一歳の誕生日の席で、赤ちゃんの姫が筆をとって「はつせ寺 救世の誓いを現して、女も法の国に迎えん」と歌を誌して人々を驚かせたという。姫が三歳の時、お母様が亡くなられ、豊成公は照日の前という後妻を迎えた。姫にとっては継母である。継母に子供が出来た頃から、継子いじめが始まる。九歳の時、天皇に召されて琴を演奏したところ、天皇はいたく感動されて、おほめの言葉を賜った。継母はそれをねたむ。雪の日に庭の松の木にしばりつけて折檻したり、毒を盛ろうとしたが失敗する。
十五歳の時、再び天皇に召されて琴を奏したところ、あまりに上手であったので、天皇より三位中将の位を授けられた。それ以来、中将姫と呼ばれるようになる。継母はますます姫へのねたみを強くし、度々姫を亡きものにしようと企てたがうまくいかない。ついに家来の松井嘉藤太に命じて姫を雲雀山の山中で殺させようとする。主命ではあるが、可憐な姫の姿に決心もにぶりがちな嘉藤太ではあったが、いよいよ意を決して刀を振り上げようとした時、姫は「一寸お待ち下さい。」と猶予を乞い、西方に向って手を合わせ、実母の菩提を回向し、父と継母の息災を阿弥陀仏に祈念した。このけなげな姿を見て、嘉藤太は姫を殺すに忍びず、姫の衣に猪の血を付けて、継母には「殺しました。」と報告すると共に、いとまを取って、妻と共に雲雀山に籠り、姫を守り育てた。(嘉藤太は主の娘を殺すことは出来ないと悩んで、豊成の家臣、國岡将監に相談したところ、将監は自分の娘を身代わりにすることを決心して、娘の首を姫と偽って差し出したという説もある。)
後日、雲雀山に狩に来た父豊成と再会した姫は、父に伴われて奈良の都に帰る。姫は自分が命を長らえる事が出来たのは、ひとえに仏のご加護であると感謝し、なお一層信仰を深め、ついに当麻寺で出家し、法名 善心比丘尼となり、後、法如尼となる。
姫は西方極楽浄土を説く「称賛浄土仏摂受経」を篤く敬い、千巻の写経を発願された。ひたすら西方浄土にあこがれながら写経をしておられると、「蓮の茎を沢山集めて糸を取りなさい。」とのお告げがあった。荷車に何台もの蓮を運ばせて蓮の糸を用意すると、宝亀二年(七七一)七月十日、観世音菩薩と阿弥陀如来が、尼と女人に化身して出現し給い、蓮糸を大きな釜に入れると、糸は五色に染まった。そして、姫を指導して機を織らせられた。織り上がった布には、極楽浄土の姿が見事に描き出されていた。天応元年(七八一)四月(三月ともいう)十四日、姫は二十九歳で阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて、極楽浄土へ転生された。(入寂された。)
実はこの話に登場する、右大臣藤原豊成の家臣、國岡将監という方が、女房の実家のルーツをたどると祖先らしいのである。女房の博愛精神というのか、ひたむきな正義感は、ひょっとすると祖先の血脈の結晶ではないかと思っている。
そう言えば我が家の5代前の祖先にも、地元の歴史に名を連ねるご先祖様がいる。困った人を見たら助けるべし、この我が家の暗黙の家訓が、寒村の農村で、18代に渡り400年近く命を繋いできた礎ではなかったかと思っている。来週の19日は、そのご先祖様の命日だ。
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