放射能のホの字も出てこない
一関の市内を流れる磐井川の土手の改修工事が着々と進む中で、僕の塾がある一関一高前の磐井町の工事が完了した。
2年前まで塾の二階から眺めることが出来た須川岳に沈む夕陽が、土手の高さが1.5メートルほど嵩上げされ、夕陽が土手に沈んでいく。残念なことではあるが、しかし今日のような美しい夕陽もたまには拝することが出来る。
生徒がいっきに卒塾して、まだ新学年の授業が始まらないこの時期は、ちょっとメランコリーになるけれど、塾は暇だ。暇なものだからいろんなことを考える。
東日本大震災があってからは、うまくは言えないが、なんだか時間軸がずれたような、そんな感覚にしばしば襲われる。急に自分の思考がタイムトリップして、古代を彷徨ったり、未来を眺めているような不思議な感覚を味わうことがある。
震災で多くの方が亡くなった。そして震災後、福島・宮城・岩手では、脳梗塞や心臓発作で亡くなる方の数が、震災前の5倍にもなっている。余震によるストレス等が原因だとされているが、いつものごとく、放射能のホの字も出てこない。
「50歳以上の方は、放射能汚染食品を食べても、その影響が出るのは20年、30年後ですので、とりあえず大丈夫です」
そんなテレビから流れる言葉に騙されて、一体どれだけの高齢者の方が被曝しただろう。その結果、僕の田舎町では葬儀屋さんとお寺さんが大忙しだ。しかしそのことにさえ、疑問を持つ人は少ない。
学校給食の食材は、曲がりなりにも放射能のチェックをしている。しかし老人ホームや老人介護の施設で、測定検査をしているという声は聞こえてこない。
僕は美しい夕陽を見ながら、生徒のいない教室で、この星の行く末を考えていた。
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