荒覇吐(あらはばき)神を訪ねてパート2
古代東北が蝦夷と呼ばれていた頃、この地に住む人々が信仰の対象としていたのは、山や野に点在する巨岩であった。
民俗学や古代宗教学に詳しい僕ではないが、荒覇吐神と呼ばれていた東北の神が、岩倉(巨岩)信仰を示すことは間違いないだろうと思う。
昨日、学び舎の小林先生と岩手県南地区に鎮座する荒覇吐神を探訪したわけだが、実に多くの共通点を見出すことが出来た。
古代から信仰されてきた巨岩のほとんどは、富士山型の秀麗な山の頂上やもしくは、頂上付近に鎮座している。そしてそばには必ず神社が建立されている。岩手県南の場合は、荒覇吐の岩倉の近くには月山神社が多い。
そして一番大切な共通点は、荒覇吐が祀っている場所は、景観が素晴らしいということだ。北上川の優美な流れ、そして羽奥山系の秀麗な美しさ、そこに沈み行く夕陽の美しさは古代も今も変わらない。
神への信仰は、自然美に対する崇拝でもあっただろうと思う。愛する家族の平穏な暮らしを願う心。そして食を与えてくれる山への感謝。その依代として、どっしりと大地に根を下ろす巨岩の威厳は、古代人と命の大地を繋ぐ言わば、パイプラインだったのではないだろうか。
森の中で、荒覇吐神である巨岩を前にすると、僕は古代人のざわめきが聞こえてくる。秋の恵みが多かった年は、岩倉を囲んで宴を催し、神への感謝をしただろう。そして病に倒れた愛するものへの祈りの波動が、戦う男たちの慟哭の波動が、僕に伝わってくる。
今僕たちがここに生きているのは、決して偶然などではない。凄まじいまでの祖先たちの生きるという執念の結晶が僕らであり、多くの人間たちの希望、愛、涙、汗が血の中に流れている。
輝く春の陽光の中で、荒覇吐神を前にして、僕はそんなことを考えていた。
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