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2013年3月22日 (金)

魂の航海図

人間は何のために勉強し学び続けるのだろう。そんなことを考えることはないだろうか。

この世に生まれて、わずか70年や80年で命が終わってしまう人間。そんな一瞬の存在である僕らが、必死に勉強したことが、わずかの間で消滅してしまう。そのことに虚しさを感じないと言う人はいないだろう。

きっと幸福の隙間のどこかで、悲しみのはざまのどこかで、一度ならず考えたことはあるだろう。

勉強するという言葉を、生きるという言葉に変えてもいい。生存競走の中で僕らは切磋琢磨し生きていく。日々の糧を得るために労働は欠かせない。労働の代価としてお金を手に入れ、僕らは食料を得、住む家を得て、命をつないでいく。

労働のため勉強だろうか。お金のための勉強だろうか。

実は僕らは、勉強をしなくても生きていける。労働も時に必要じゃない。そんな日常が一杯転がっている。

なんのために勉強をするのだろう。

悲しいかな学校や会社の評価のために僕らは勉強を強いられているが、本当は魂の航海図を作るために、僕らは勉強しているんじゃないかと思っている。

僕らの人生には、多くの喜びや悲しみが同居している。一人として同じ人生はない。一見幸福な人生、一見大変な人生と言うものがあるかも知れないが、それは僕らの社会の中でのスタンスであって、魂はもっと深い所で、学びの本質を模索している。

そういう意味では、容姿端麗で才能がある人間も、何らかの病気や障害を抱える人間も、魂の学びの点では全く同等であり、優劣などない。

パラドックス的な表現ではあるが、学ぶことが勉強ならば、学ばないことも勉強である。働くことが学びならば、働かないことも学びなのだ。

幸福であるがために、閉ざされてしまった感性があるものだ。不幸が故に感じ取れる魂の領域というものがある。

誰もがお金があって、家族がいて、健康な暮らしを望むだろう。しかし、現実はどうだろう。100人に7人が仕事が無く、3組に1組が離婚をし、病気による診療費は毎年うなぎ登りだ。

それでも日本は幸福だ。100人中93人は仕事があり、3組の内2組は愛の絆を保ち、夫や妻や子どもに看取られ天寿を全うする人たちがいる。

勉強をしても最後に孤独な人生の終焉を迎える人は多い。勉強を必死にしなくても、豊かな暮らしをする人がいる。

人生のすべての事象は自分が招いているものだ。勉強を一生懸命しなければ人生に成功はないと思う人生。人を裏切れば、自分も裏切られると思う人生。それぞれの人生が想いによって彩られて行く。

現在の人生が、今を未来を作っていくのだと思う。

WHO AM  I ? 

私は過去であり、今であり、そして未来だ。それを学ぶためにここに存在している。

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コメント

金田さんはじめまして 突然のコメント失礼いたします

早池峰山で瀬織津姫で検索してこのブログを発見しました。
実は自分も2011年の夏に早池峰に登っております。
登山の最中に頭に浮かんできたのが、(この場所は何があっても安全という言葉でした)

そして早池峰山にはことあるごとに心が惹かれるのですが
今日ネットでふと思い検索してみたら 
この画像がきになりました
http://www.pmiyazaki.com/takachiho/simg/a_kaguyamaline.jpg

そこでこの天香具山で検索してみると国常立大神様が御祭神で

このブログに繋がりました
http://miihyann.cocolog-nifty.com/67/2011/10/post-8c2b.html

なにか繋がるものがあると思い突然コメントしてしまいました。それでは失礼いたします

(かねごん)
発毛たけし様コメントを頂き有難うございます。
そうですねいろんなものが繫がり始めていますね。
早池峰の瀬織津姫も富士山の木花開耶姫命も、上ではみんな繋がっています。

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