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2013年3月24日 (日)

神のみぞ知るである

4月で塾教師生活31年目に突入する。あっと言う間に30年が過ぎた。

塾教師になった当初、僕は今の自分を想像出来ただろうか。遠い過去のことなので忘れてしまったが、将来のことなど考えること無く、日々ただ生きることに没頭していた気がする。

バイトと音楽に明け暮れた学生生活の終焉とともに、僕は青春という言葉の残骸を背負い込み、悶々とした閉塞感に苛まれ、一日一日をどうにかやり過ごしていた。

20代前半の僕にとって、子どもたちにものを教えるという行為は、とても斬新的な経験ではあったが、先生と呼ばれる自分の存在が歯がゆく、なし崩し的に自分の夢や希望が消失していく恐怖みたいなものに、若さを吸い取られていく感覚がして嫌だった。

自分のやりたいことが見つからないまま、時が過ぎていく焦燥感。教員試験に合格し、教諭になって行く同僚を尻目に、僕は東京での生活を止め、帰郷する決心をした。

帰郷したとて仕事のあてがあるわけではなかった。ぶらぶらとした生活を半年ほど続けた僕は、職業安定所で家庭教師の仕事を見つけ、小さな田舎町の塾兼家庭教師派遣業の専任講師になった。

と言っても歩合制みたいな職場で、勤めて数ヶ月は、給料の全てが車のガソリン代に飛んでいってしまう生活だった。

そんな田舎での塾屋家業の再スタートだったが、続けた理由は何かと言えば、都会の塾では味わえなかったいい意味での社会からの疎外感だった。30年前、岩手の田舎町に於いて、塾教師などという職業はマイナーで全くのアウトローな日陰者の職業だった。故に僕は塾教師という仕事に情熱を傾けることが出来たような気がする。

世間から無視されればされるほど、やる気が出る性格は、間違いなく歪んだ根性の持ち主なのだろうが、それがいわば僕の世界観であり、困ったところでもある。

高校時代もそうだ。誰も大学に進学などしない高校ゆえに、逆に大学になんとしても入ってやろうと思った。塾だってそうだ。儲からないしんどい商売がゆえに、いろんなバイトをやって塾を維持してきた。

僕は高尚な教育理念があって塾を続けてきたわけではない。フランチャイズの金太郎飴のような、似たり寄ったりの塾にライバル心を燃やしているわけでもない。

自分が過去に置き忘れてきた夢や希望の残骸を、塾教育という現場で子どもたちを指導することで、残骸では無く、オブジェにしようともがいている自分がいるのかも知れない。

生きてきた人生の時間、塾教師をやっていなかった時間よりも、塾教師をやってきた時間のほうが、はるかに長くなった。

まだまだドラマは終わりそうにない。最後のフィナーレは神のみぞ知るである。

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コメント

県内の同業者です。エリアはバッティングしてませんので(笑)

30周年なんですね。おめでとうございます♪♪
これからも元気に活躍される事を期待いたします。

(かねごん)
滝様コメントを頂きありがとうございます。
どさくさに紛れて30年もやって来てしまいました。
支えてくださった皆さんに感謝、感謝です。

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