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2013年3月30日 (土)

指向性の違いであって、能力の違いではない

進学校は一人でも多くの生徒を東大に入れようと頑張っている。特に私立の学校は、学校の存続をかけ、有名大学への進学実績を上げることに必死だ。

これは予備校や塾も同じこと。優秀な教師を引き抜いたり、出来る生徒を呼び込むために、あれやこれやの手管に余念が無い。

社会で知のリーダーを目指したいなら、東大や京大に入ることは、それほど重要なことじゃないだろうと思う。どこの学校でもいいはずだ。ただ入らなくてもいいけれど、東大レベルの知性は必要だろうと思う。あくまでも知性であって、解答能力や暗記能力じゃない。

ところで僕は、県下でもビリのほうに君臨するレベルの高校を出ている(母校の名誉のために言っておくが、現在は特進コースがあり多くの優秀な人材を出している)。しかし社会人になってからは、さすがに東大出の友人はいないが、それ以外の一流大学を出た友人や知人の同胞は多い。

この場に及んで自慢話をしようというのではない。僕のような4流、5流の学校の出身者でも、知の道で生きていく方法はいくらでもあるということを言いたいのだ。

僕はもちろん相手の学歴や、社会的な地位に敬意を払っている訳ではない。彼らの社会を読み取る思考であったり、会話から伝わる知性の心地よさや、行動力のダイナミックさに共感して、お付き合いをさせて頂いている。

高校入試や大学入試の解答能力は、スポーツの身体能力と同じで、訓練によって上達していく。楽器の演奏者やある種のスポーツの熟練者、芸術分野で活躍している方々の知性は東大や京大の比ではない。

例えば将棋のトップクラスの若者たちは、あの能力を受験に向ければ、東大や京大の合格は間違いないだろう。

指向性の違いであって、能力の違いではない。

東大に入るという意志力は、もちろん称賛に値するが、学問と関係ない道で一流を目指そうとする努力、その知性も全く同等のものだ。

誤解をしてもらいたくないのは、僕は一流大学を目指す受験勉強が無駄だと言っているのではない。あの過酷なまでの努力の継続は、必ず社会に出ても役立つものだ。たとえ受験勉強で得た知識が、社会で必要とされなくても。

かつて、地下鉄サリン事件を起こしたオーム真理教に於ける東大出の信者にしても、今回の、東京電力福島第一原発の崩壊に伴う放射能の被害に対する、政府お抱えの、東大の先生方の発言にしても、大学名が知のブランドとして、権力や私利私欲に利用されることはあってはならないと思う。

東大の先生が、東大出の人間が言っているのだから、正しいだろうという国民の認識やスタンスはとても危ない。彼らの頭脳が、世のために働くことを放棄し、私利私欲に走ってしまった時のパワーは、厄介なものだ。そのことを忘れないで欲しい。

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コメント

素晴らしい。 今日も切れてる。。

(かねごん)
かずよしさん、お褒めの言葉を頂き有難うございます。
素直にうれしいです。

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