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2013年3月18日 (月)

人の縁、そして神様の縁に感謝である

僕の家は、僕で18代続いてきた農家なのだが、創建年代不明の石宮の神社が屋敷の北側に祭られている。僕の住んでいる花泉では、この石宮をお明神様と呼んだりするが、水神や山神、家によっては稲荷様や地元の神社の御札をお祀りしている。

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ちなみに僕は現在この石宮に、山神である、奥州市水沢区の駒形神社と宮城県小牛田の山ノ神神社の御札を祀っている。祖父の代には奥州市衣川の三峰神社の御札が祀られていた。

息子で19代目ということになる訳だが、子孫が途絶えることなく、こうやって19代400年近く家が続いてきたことに、先祖の並々ならぬ愛惜を感じる。そして、寒村で必死に生きてきた祖先たちの暮らしに思いを馳せると、思わず胸が熱くなる。

どんな家の歴史の中にも、家が途絶えるピンチは必ずやって来るものだ。病死、貧困、そして震災による離別など、時に運命は過酷で非情だ。古人(いにしえびと)にとって、神のご加護を求めるのは自然な営みであっただろうと思う。いや、現代社会に於いてさえ、それは変わらない。

実は僕は22年前、今の塾を始めた時に不思議な夢を見た。上の写真の石宮に、多くの人達が行列を作って参拝にやって来る夢を見た。自分が始める塾という仕事を、ご先祖様たちが後押ししてくれるという確信を、僕はその夢で得たような気がした。

あれから22年、百姓と塾教師の二足のわらじを履いて、なんとか頑張ってこれたことに感謝で一杯だ。それに加え、4年前からは市内の私立高校で、英語講師をやらせてもらっている。

3.11の震災が来て、農業も塾も本当に大変だった。高校での講師の仕事がなかったなら、もっと右往左往の日々だったろうと思う。

石宮にかつて祖父が衣川の三峰神社の御札を祀っていたと書いたが、実は、僕の所に、英語の講師を依頼に来て頂いた高校の先生のご自宅が、衣川の三峰神社の近くだった。確認はしていないが、きっと三峰神社の氏子になっておられるのではないかと思う。

人の縁、そして神様の縁に感謝である。

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