変な社会だ
こどもの頃から一人で遊ぶことに慣れていたせいか、大人になっても一人でいることが苦にならない。皆で騒いだり、大勢で飲んだりすることが、どちらかと言うと苦手だ。
一人でジャズを聴いたり本を読んだりすることが好きな僕は、今で言えば引きこもり的青年だったかも知れない。逆にそんな性格だから、30年以上塾教師をやってこれたのかも知れない。
生活があるから、他者と接することを拒絶することをしないだけで、孤独が好きな人間は多いようだ。
人の感情や思考が、ダイレクトに入ってくることを拒絶できない人間がいる。感受性が強いと言えばそうなのだが、他人の領域に土足で踏み込んで来る人間が多いのも確かだ。
人間はとても多様なのに、無理やりスタンダードな人物像を作り上げ、そのカテゴリーに追い込もうとする。誰のための分類だろう。
規格外の人間を、まるで果物や野菜のようにつまみ出す現代社会の病巣は、弱者を痛めつけるだけだ。
はっきりものを言えない人間はダメ。自分の思考を文字に出来ないものはダメ。稼げないものはダメ。そんなダメ人間を増産して、社会はまるで喜んでいるような感じがする。変な社会だ。
人間関係が希薄ならば、社会は不幸なのだろうか。不登校や引きこもりを根絶することに躍起になっている人間が多いが、彼らや彼女らの声を聞き入れない人たちがトップでいるうちは、この社会は変わらない。
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ごぶさたしてます、学び舎です。
社会に有用かどうかを表面的に判断する風潮には、私も疑問を感じています。それは優生学の考え方を取り入れて出生前に障害児を排除してしまうことが、果たしてよいことなのかどうなのかという問題にも通じます。
社会的な弱者は社会に不要なのか。だれがそのように言い切ることができるのか。それは社会的弱者になる可能性がまったくないと思っている社会的強者なのだろうと思います。が、社会の支配層にいる社会的強者が効率最優先の考え方でいる以上、非効率なものや弱者が排除対象になっていく風潮は変わらないのかもしれません。
存在の多様性を失った社会は硬直して行くだけではないかと思ったりするのですが。すみません、どうも散漫なコメントになってしまいました。
ところで壊れたPCはどうなっているのですか?もしかしてハードディスクが壊れたのでしょうか?
(かねごん)
小林先生、こちらこそご無沙汰しております。
小林先生がおっしゃるように、勝ち組の理論は、僕には容認できませんね。
強者はいつも強者とは限りませんし、弱者はいつまでも弱者ではありません。僕は輪廻転生を含めてそう思っています。
ところでパソコンですが、ウイルスの防御が甘く、猛烈な勢いでやってきた迷惑メールや悪意のあるメールにデスクが崩壊してしまったようです。
放射能や原発の記事に対してやって来る迷惑メールを遮断するには、メールボックスを消去すればいいのでしょうが、それも僕の本意ではなく、とりあえず、防御を強化し、書き続けていきたいと思います。
投稿: 学び舎主人 | 2013年3月 4日 (月) 13時43分