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2013年3月

2013年3月31日 (日)

ストロンチウム入りの水道水が安全なわけがないだろう

健康に影響なし安心して使用を 水道水からストロンチウム微量検出

 福島県災害対策本部などが3月28日に発表した県内各地の水道原水、上水、地下水の放射性物質検査結果で、福島市内でもごく微量のストロンチウム90が検出されたことを受け、福島市は29日、水道水(蛇口水)に含まれるストロンチウム90の年別推移をまとめた。水1リットル当たりの量が最大だったのは核実験が繰り返されていた昭和54年の0・00925ベクレルで、昨年の0・0013ベクレルの約7倍だったことが分かった。

 

■福島市、年別の推移まとめる

 

 同本部によると、0・0013ベクレルという値は、全国のデータとほぼ変わらず、東京電力福島第一原発事故の影響を受けていないとしている。市水道局は「健康に影響を与えるようなことはない。安心して使用してほしい」と呼び掛けている。

福島民報 3月31日

こんな水安全に飲めるわけないだろう!

全国のデターと変わらないということは、全国の水道水が危ないってことだろう。安全だなんて言ってないで、全国に警告を発信しろって言いたい。

震災以後我が家では、水道の蛇口には放射能を除去する浄水器を取り付けた。ストロンチウムは微量でも身体には大きなダメージを与える。

完全に新聞やマスコミは麻痺している。

放射能値の値は今のところ安全ですと言って、家族をみんな海外に避難させた民主党の某代議士もそうだが、福島では深刻な健康被害が出ているのに、安心して・・・・はないだろう。血圧が上がりそうだ。

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2013年3月30日 (土)

指向性の違いであって、能力の違いではない

進学校は一人でも多くの生徒を東大に入れようと頑張っている。特に私立の学校は、学校の存続をかけ、有名大学への進学実績を上げることに必死だ。

これは予備校や塾も同じこと。優秀な教師を引き抜いたり、出来る生徒を呼び込むために、あれやこれやの手管に余念が無い。

社会で知のリーダーを目指したいなら、東大や京大に入ることは、それほど重要なことじゃないだろうと思う。どこの学校でもいいはずだ。ただ入らなくてもいいけれど、東大レベルの知性は必要だろうと思う。あくまでも知性であって、解答能力や暗記能力じゃない。

ところで僕は、県下でもビリのほうに君臨するレベルの高校を出ている(母校の名誉のために言っておくが、現在は特進コースがあり多くの優秀な人材を出している)。しかし社会人になってからは、さすがに東大出の友人はいないが、それ以外の一流大学を出た友人や知人の同胞は多い。

この場に及んで自慢話をしようというのではない。僕のような4流、5流の学校の出身者でも、知の道で生きていく方法はいくらでもあるということを言いたいのだ。

僕はもちろん相手の学歴や、社会的な地位に敬意を払っている訳ではない。彼らの社会を読み取る思考であったり、会話から伝わる知性の心地よさや、行動力のダイナミックさに共感して、お付き合いをさせて頂いている。

高校入試や大学入試の解答能力は、スポーツの身体能力と同じで、訓練によって上達していく。楽器の演奏者やある種のスポーツの熟練者、芸術分野で活躍している方々の知性は東大や京大の比ではない。

例えば将棋のトップクラスの若者たちは、あの能力を受験に向ければ、東大や京大の合格は間違いないだろう。

指向性の違いであって、能力の違いではない。

東大に入るという意志力は、もちろん称賛に値するが、学問と関係ない道で一流を目指そうとする努力、その知性も全く同等のものだ。

誤解をしてもらいたくないのは、僕は一流大学を目指す受験勉強が無駄だと言っているのではない。あの過酷なまでの努力の継続は、必ず社会に出ても役立つものだ。たとえ受験勉強で得た知識が、社会で必要とされなくても。

かつて、地下鉄サリン事件を起こしたオーム真理教に於ける東大出の信者にしても、今回の、東京電力福島第一原発の崩壊に伴う放射能の被害に対する、政府お抱えの、東大の先生方の発言にしても、大学名が知のブランドとして、権力や私利私欲に利用されることはあってはならないと思う。

東大の先生が、東大出の人間が言っているのだから、正しいだろうという国民の認識やスタンスはとても危ない。彼らの頭脳が、世のために働くことを放棄し、私利私欲に走ってしまった時のパワーは、厄介なものだ。そのことを忘れないで欲しい。

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2013年3月29日 (金)

原子力問題の閉鎖性と同根の病巣である

地球上に命を持つ70億の人々。一体どれだけの人たちが幸せを感じているだろうか。いや言葉を変えよう。どれだけの人が平凡な日常を過ごしているだろうか。

戦火の中を逃げているいる人々。餓えと戦っている人々。病気に苦しんでいる人たち。考えてみれば、一日3度の食事を不自由なく取れる人が、この星にどれほどいるのだろうか。

平凡に生きるということは、ひょっとすると奇跡に近いものじゃないだろうか。しかしその奇跡に多くの人たちは気づかない。

僕らは芸能人やプロスポーツ選手のように、スポットライトを浴びたり、多くの人たちから注目されたりすることはない。毎日地道に生きているのが僕たちだ。

東日本大震災が起きて、多くの方が亡くなった。今も多くの人たちが、大変な避難生活をしている。

東京電力福島第一原子力発電所の放射能の値は天文学的な値を示し、テレビも政府も何も言わなくなったが、崩壊した原子力発電所からは毎日大量の放射能が空気中に放出され続けている。

僕ら日本人は、実は平凡な暮らしをしているように見えるが、大変な状況下にあるのだ。

10年前の春、僕は人生の谷間に落ち込んでいた。今思うと、中年期に突入し、俗に言う更年期障害になったのかも知れないが、軽度の鬱状態に陥っていた。やる気が出ないのである。そういう時は、悪い状況が重なるもので、塾に生徒もやって来ない。収入も入らず、お米はあってもおかずを買うお金にも事欠く状況だった。

その時、僕を救ってくれたのは山の幸だった。ありとあらゆる山菜をその春には採った。ふきのとう・コシアブラ・タラの芽・たけのこ、天ぷらにしたり、酢味噌和えにしたり、まるで縄文時代の自給自足のような暮らしだった。

山菜採りの山歩きのおかげだろうか。新緑の葉が色濃くなる頃、僕の鬱状態も回復していった。

しかし現在、一関ではそのふきのとうも、コシアブラもタラの芽も、放射能で全部汚染されて、一切食べることが出来なくなった。山里に住みながら、山の幸を味わえなくなったしまった。僕らの平凡な日常が消滅してしまった。

津波で家が流されたわけじゃない。家族を失ったわけじゃない。仕事がなくなったわけじゃない。しかし、ふと襲ってくる虚無感は何だろう。

今回の震災で、財力や権力が、人間の命や安全よりも優先する国だということをいやというほど目の当たりにした僕は、日本で行われている教育も、福祉も、医療も、結局は企業や政府のための維持装置であり、個々の幸福をベースにした理念ではなく、単純な弱肉強食の階級社会の産物だということに、ようやく気づいたのである。

近年増加した不登校や引きこもり、ニートの社会現象は、そういったヒエラルキーに対する弱者の自己防衛であり、良識や常識という社会の偽善を押し付けてくる正義という仮面をかぶった利己主義者たちに対する声なき反抗なのだと思う。

そのことを異常だと決め付ける大人の思考こそ、平凡を崩壊させる非日常性であり、原子力問題の閉鎖性と同根の病巣である。

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幸運の花は努力の継続で開花する

故郷を旅立つ君たちに、僕は心よりエールを送る。

君たち若者たちの特権は、限りない希望の所有だ。希望はあきらめなければ必ず叶う。

才能というのは、個々の潜在能力ではなく、希望の継続力だ。喜びあふれる人生も、後悔にさいなまれる人生も、君たちが作って行くものだ。

今の君たちは若さはあるが、お金も地位も、もちろん権力もない。しかし未来がある。そしてその未来は、半端じゃない未来だ。

日々惰眠を貪るか、書を手にして汗を流すか、選択権は君たちにある。人生には多くの分かれ道がやって来る。その選択の誤ちを嘆く人が多いが、実はゴールはそれほど大差はないのだ。だから心配しないで、自分の選んだ道を突き進むことだ。

若い時に大切なことが3つある。希望を失わないこと。愛する人を慈しむこと。そして自分を信じることだ。

そのためには、他人との比較をしないことだ。お金の奴隷にならないことだ。そして権力に媚びらないことだ。

幸運の花は努力の継続で開花する。誰にでも春夏秋冬季節は巡って来る。野辺に咲く花の中には、春に咲く花もあれば、夏に咲く花もある。花の咲く季節やタイミングはそれぞれが違う。

だから開花した他人の能力を羨んではいけない。花の咲かない花はない。

君たちの花を開花させる原動力は、希望と愛とそして自分への信頼だ。忘れないで欲しい。

いつかまた会おう。お元気で。

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2013年3月28日 (木)

貴船神社この階段は半端じゃない!

東北本線で一関から南に向かうと最初の駅が有壁だが、この町には京都の貴船神社から勧請された貴船神社がある。

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いわゆる龍神系の神社であるが、764年の勧請というのだからものすごい歴史がある神社だ。実は8年前ほど、僕はとあることで願掛けをするために、この神社に日参をしたことがある。

なぜこの神社を選んだかというと、僕が知りうる神社の中で、登るのが一番きつい神社だったからだ。宮城の塩釜神社も、一関の配志和神社もこの神社の階段の勾配にはかなわない。

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登ったことがある人は分かるが、運動不足の人は一発で筋肉痛になる階段だ。この階段を毎日50日間登った僕は、体重が7キロ落ち、ウエストが6センチ細くなった。そして願掛けもめでたく叶った。貴船神社さまさまである。

それにしてもこの階段きつかった・・・・・。

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2013年3月27日 (水)

サザエさん一家が福島に家族旅行?

【野瀬輝彦】テレビアニメ「サザエさん」のオープニングに、4月から福島県の観光地が登場する。原発事故の影響で県外からの観光客数が低迷。サザエさんの力を借りて福島の魅力を伝えようと、県がフジテレビ側に持ちかけた。

 日曜夜の番組のオープニングで背景に、花見の名所・花見山(福島市)や白虎隊の悲劇で知られる鶴ケ城(会津若松市)、水族館のアクアマリンふくしま(いわき市)などが半年間流れる。放送2200回記念となる4月7日には、サザエさん一家が県内を旅する本編も登場する。

 サザエさんのオープニングアニメは半年ごとに舞台が変わっており、福島の登場は1997年以来、16年ぶり。県は放送委託費として700万円を負担するという。県の担当者は「ぜひ、サザエさん一家のような楽しい旅行を福島で味わって」と話している。

朝日新聞社

子どもたちが多く見るテレビマンガで洗脳ですか。ところでサザエさんを提供している筆頭スポンサーは東芝だったはず。原発を造っている企業ですよね。

僕は福島が嫌いなわけじゃない。同じ東北の同胞として支援したいのはやまやまだ。

しかし、安全をアピールする時期では無いはずだ。一日も早く子どもたちを疎開させてという声があるなかで、サザエさん一家の家族旅行はないだろうと思う。

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初めましての方々にちょっと自己紹介

3月、4月になると新しい塾生が入って来る。入って来る生徒たちは、髭面の中年オヤジを訝しげな目で眺めてくる。

「こんにちはかねごんです」と言ったところで、相手は僕の素性を知らない。だから毎年この時期になると、自己紹介をしなければならない。今夜もそういう訳で、ちょっと自己紹介を・・・。

僕の職業は塾教師。東京オリンピックの数年前に岩手の花泉町という所に、農家の長男として生まれた。

好きなことは、音楽と卓球と登山、そして竜神大好きおじさんである。女性も好きだが、このブログ、女房が閲覧するので、その件に関しては今夜はやめておく。

中学1年の時にギターにハマった。学校では卓球、家ではギター、全く勉強をせず、必然的に入りたい高校は落ち、ちょっと挫折を味わった。

一関市内の私立高校に入学したものの、気合が入らず、2度も退学届けを持って行った。高2の時に、なんだか分からないけれど、急に勉強をしたくなった。友人曰く「守護霊が代わったんじゃないの」とのたもうたが、そうかも知れない。

大学は、東京のはずれにあるキリスト系の私大に入った。自慢することでもないが、高校も大学も私立しか入れなかったけれど、意地もあって、高校から大学までの学費は自分で払った。勉強は出来なかったが、それだけはちょっと誇りに思っている。

卒業後、東京中野に本部を持つ進学塾に入社した。そこで学んだことは、麻雀と酒の品のいい飲み方と、そして電話の取り次ぎ方であった。書けば長くなるので省略するが、個人的にいろんなことがあって、岩手に戻ってきた。また書くと長くなるので端折るが、いろんなことがあってちょうど30歳の時に独立し、今の塾を始めた。今年創立23年目を迎える。

家には27年連れ添ってきた女房と、そしてその女房ととっても仲の良い母と(爆笑)、工場勤務をしている音楽狂の23歳の長男と、今度高校3年生になる卓球狂の次男、そして母の話し相手である雌猫がいる。

ちょっとこのブログの説明もしなければならない。本当は塾ブログなので、教育のことなどを書くべきなのだろうが、2年前震災が起きて、東京電力福島第一原発の放射能が勝手に一関に飛来し、汚染されてからは、反原発、放射能警告ブログになってしまった。

ブログを書き始めた頃は、1日に100アクセスもあれば、今日は結構来たじゃん的なブログだったが、震災後は僕の方が慌てふためく程のアクセスが押し寄せて来るようになってしまった。

塾の方はさっぱり無名なのだが、このブログだけが一人歩きしてしまい、今や国内にとどまらず、アクセス数の1割が、英語圏やフランス語圏などの外国からのものだ。

このブログも6年目に突入するが、ブログを通じ素晴らしい方々と縁が繋がった。このブログにリンクされている皆さんのブログがそのことを物語っている。

今度の4月で非常勤講師で行っている私立高校も5年目を迎える。なんとか首にならず使ってもらっていることに感謝である。

地元の中学校で指導している卓球のコーチも6年目に突入だ。

自分ではかなり変なオジサンだと思っている。縁あって僕の塾に来てくれた皆さん、しばらくの間僕の変さにお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願い致します。

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2013年3月26日 (火)

職種がいい意味でも悪い意味でも、立ち振舞に現れる人がいる

その道のプロと言うのか、極めた人というのは、その道の気配を感じること無く、シンプルさを身にまとっている。

職種がいい意味でも悪い意味でも、立ち振舞に現れる人がいる。しかし常人を超越している仕事人は、らしさが無いものである。オン・オフのスイッチの入り方がしっかりしている。

簡単に言えば、余計なところで自分を飾らないし、威厳を見せない。その代わり、自分がやらなければならないときはものすごいオーラーを放つ。いつも僕が尊敬してやまない方々だ。

貧乏人のように見える金持ちや、意図的にお馬鹿のように振る舞う秀才というのも、嫌味っぽく、鼻持ちならないが、すごい人間が全く普通に見える凄味というのは、演技や演出では作れないものだ。

商業ベースに乗っかっているとか、お金を儲けることがうまいとか、そんなことは関係ない。本物というものは、そこに存在するだけで、空気感が変わるものだ。

教員の中にも、芸術家の中にも、サラリーマンの中にも、そういう本物はいる。そういう方々の共通点は、家族が皆しっかりしていらっしゃる。権力に対して媚びを売らない。そして仕事が出来る。見習いたいものである。

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2013年3月25日 (月)

龍神様の導きかも

突然ですが僕の携帯の待ち受け画面です。

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僕の苗字そのものの神社です。宮城県栗原市金成町に鎮座する神社です。金成町の金田八幡、縁起がいい感じがしませんか。貧乏人の僕としては、この携帯の待ち受け画面で、なんとか貧乏を脱却したいと思っています(笑い)。

実はこの神社との縁は、夢枕に現れた竜神に導かれました。この神社の存在は前から知っていましたが、ある日白龍がこの神社の屋根の上を舞っている夢を見ました。竜神オタクの僕としては、金田八幡に来いとのお告げだろうと思い、翌日兎にも角にも軽トラックを飛ばし参上しました。すると・・・・・・。

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神社の裏手に、この辺では決して見ることのない立派な龍神様の石神が祭られているではありませんか。

いつの話かというと、ちょうど6年前、このブログを書き始めた直後のことでした。このブログ、ひょっとすると龍神様に書かされてきたブログかも知れません。

(お願い)

昔、もう25年以上前のことですが、家庭教師に行っていた時に、金成町のとある自宅に、この金田八幡の御札を見かけたのですが、この神社の御札が今もあるのなら、どこでいただけるのか教えてもらえないでしょうか。情報をお持ちの方よろしくお願い致します。

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2013年3月24日 (日)

17兆ベクレルの放射性セシウムが太平洋に流失

東京電力福島第1原発の港湾内で海水の放射性セシウムの濃度が下がりにくい状態が続いていることに関し、汚染水の海への流出が止まったとされる2011年6月からの約1年4カ月間に、計約17兆ベクレルの放射性セシウムを含む汚染水が海に流れ込んだ恐れがあるとの試算を、東京海洋大の神田穣太教授がまとめた。

 東電は、11年4月に1週間で意図的に海に放出した汚染水に含まれる放射性物質の総量を、約1500億ベクレルと推計しているが、その100倍以上に当たる。

 神田教授は「現在も地下水や配管を通じて流出が続いている可能性がある。すぐに調査すべきだ」と指摘している。

共同通信

17兆ベクレルの放射能セシウムが太平洋岸に流失。それでも日本近海の魚は食卓に上がり、毎日食されている。

津波で被災した三陸の漁港の復興は徐々に進んでいる。しかし問題は魚の安全性だ。国や関係機関は、魚介類の放射能検査を徹底し、子どもたちの内部被曝を阻止しなければならない。

検査費用がかかるかも知れない。しかし食の安全性なくして真の復興はない。福島原発の崩壊から2年が過ぎた。日本の科学技術を駆使すれば、食料のセシウム簡易検査機器が登場してもおかしくない時期だ。

出てこないのは、国が無視しているからだろう。もしくは意図的にそういった機種の普及を、企業に圧力をかけることで、阻止している可能性もある。

子どもたちはこの国の未来だ。彼らを守らずして、真の復興はあり得ない。

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神のみぞ知るである

4月で塾教師生活31年目に突入する。あっと言う間に30年が過ぎた。

塾教師になった当初、僕は今の自分を想像出来ただろうか。遠い過去のことなので忘れてしまったが、将来のことなど考えること無く、日々ただ生きることに没頭していた気がする。

バイトと音楽に明け暮れた学生生活の終焉とともに、僕は青春という言葉の残骸を背負い込み、悶々とした閉塞感に苛まれ、一日一日をどうにかやり過ごしていた。

20代前半の僕にとって、子どもたちにものを教えるという行為は、とても斬新的な経験ではあったが、先生と呼ばれる自分の存在が歯がゆく、なし崩し的に自分の夢や希望が消失していく恐怖みたいなものに、若さを吸い取られていく感覚がして嫌だった。

自分のやりたいことが見つからないまま、時が過ぎていく焦燥感。教員試験に合格し、教諭になって行く同僚を尻目に、僕は東京での生活を止め、帰郷する決心をした。

帰郷したとて仕事のあてがあるわけではなかった。ぶらぶらとした生活を半年ほど続けた僕は、職業安定所で家庭教師の仕事を見つけ、小さな田舎町の塾兼家庭教師派遣業の専任講師になった。

と言っても歩合制みたいな職場で、勤めて数ヶ月は、給料の全てが車のガソリン代に飛んでいってしまう生活だった。

そんな田舎での塾屋家業の再スタートだったが、続けた理由は何かと言えば、都会の塾では味わえなかったいい意味での社会からの疎外感だった。30年前、岩手の田舎町に於いて、塾教師などという職業はマイナーで全くのアウトローな日陰者の職業だった。故に僕は塾教師という仕事に情熱を傾けることが出来たような気がする。

世間から無視されればされるほど、やる気が出る性格は、間違いなく歪んだ根性の持ち主なのだろうが、それがいわば僕の世界観であり、困ったところでもある。

高校時代もそうだ。誰も大学に進学などしない高校ゆえに、逆に大学になんとしても入ってやろうと思った。塾だってそうだ。儲からないしんどい商売がゆえに、いろんなバイトをやって塾を維持してきた。

僕は高尚な教育理念があって塾を続けてきたわけではない。フランチャイズの金太郎飴のような、似たり寄ったりの塾にライバル心を燃やしているわけでもない。

自分が過去に置き忘れてきた夢や希望の残骸を、塾教育という現場で子どもたちを指導することで、残骸では無く、オブジェにしようともがいている自分がいるのかも知れない。

生きてきた人生の時間、塾教師をやっていなかった時間よりも、塾教師をやってきた時間のほうが、はるかに長くなった。

まだまだドラマは終わりそうにない。最後のフィナーレは神のみぞ知るである。

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PCを占拠

我が家の猫は、僕がブログの打ち込みに夢中になって無視していると、PCの前に陣取って打ち込みの邪魔をする。

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以前にも何度か登場した雌猫のキラである。もともとは近所で飼われていた猫なのだが、訳あって僕の家に棲みつき早6年になる。

体はでかいのだが、臆病者で、遠くで犬の鳴き声などするものなら、脱兎のごとく茶の間に逃げ込んできて、隠れ家に避難する。

たまにネズミや小鳥を獲ってくるのだが、食べないで遊んでる。家族の悲鳴が聞こえると僕の出番。瀕死状態のネズミや小鳥をうまく取り上げ、処分しなければならない。

知らぬ間にキーボードを足で押して、わけの分からない文章をしたためている。僕へのメッセージのつもりだろうか。

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2013年3月23日 (土)

送別

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みなさんは神社に行って何をお願いして来るだろう。お金持ちになりますように。病気が治りますように。合格しますように。恋人ができますように。

切実な願いはそれぞれだろうと思う。

僕は神社の神様の繁栄と、氏子の皆様の繁栄を祈願し、大いなる癒しを祈願する。

言葉にしなくても、神様は、祈願者の心のうちはお見通しである。我欲を出せばきりがない。一見失敗に思えることが、成功の種であり、一見成功に思えることが悲しみの種だったりする。

でもだいじょうぶ。全てが神心。心配なんかいらない。

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神社の境内から見上げた空は、春色の空だった。これから故郷を離れる皆さん、お元気で。頑張ってください。

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2013年3月22日 (金)

カロリーを制御している

高校入試の直前に、3年ぶりの痛風の発作を起こしてから、体調のバランスが崩れどうもしっくりいかない日々が続いている。

以前のブログでも書いたが、今年2月から毎日散歩をしている。1ヶ月で100キロ近く歩いている。実はこれが痛風発作の間接的な要因になってしまった。

毎日歩くものだからすこぶる調子が良かった。調子がいいものだから思わず昼飯や夕飯がカロリーオーバーとなり、痛風の発作を誘発してしまったようだ。

幸いにも足ではなく、左手首に炎症が生じたので、仕事に重大な支障をきたしたわけではなかったが、マニュアルの軽トラックを運転するのには難儀した。ギアチェンジをするたびに、激痛が走り脂汗がでた。

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散歩は今も続いている。教室の横にレンガ敷きの素敵な遊歩道が完成したので、須川岳や束稲山を眺めながら歩いている。

夜は豆腐半丁にお茶碗半分のご飯でカロリーを制御している。これを機に体重を減らし、負担を減らしたい。

今年は30代の頃のように、北上高地や奥羽山脈の山々を走破したいと考えている。痛風ごときでギブアップしているわけにはいかない。山の神が僕を待っている。行かなければならない。

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魂の航海図

人間は何のために勉強し学び続けるのだろう。そんなことを考えることはないだろうか。

この世に生まれて、わずか70年や80年で命が終わってしまう人間。そんな一瞬の存在である僕らが、必死に勉強したことが、わずかの間で消滅してしまう。そのことに虚しさを感じないと言う人はいないだろう。

きっと幸福の隙間のどこかで、悲しみのはざまのどこかで、一度ならず考えたことはあるだろう。

勉強するという言葉を、生きるという言葉に変えてもいい。生存競走の中で僕らは切磋琢磨し生きていく。日々の糧を得るために労働は欠かせない。労働の代価としてお金を手に入れ、僕らは食料を得、住む家を得て、命をつないでいく。

労働のため勉強だろうか。お金のための勉強だろうか。

実は僕らは、勉強をしなくても生きていける。労働も時に必要じゃない。そんな日常が一杯転がっている。

なんのために勉強をするのだろう。

悲しいかな学校や会社の評価のために僕らは勉強を強いられているが、本当は魂の航海図を作るために、僕らは勉強しているんじゃないかと思っている。

僕らの人生には、多くの喜びや悲しみが同居している。一人として同じ人生はない。一見幸福な人生、一見大変な人生と言うものがあるかも知れないが、それは僕らの社会の中でのスタンスであって、魂はもっと深い所で、学びの本質を模索している。

そういう意味では、容姿端麗で才能がある人間も、何らかの病気や障害を抱える人間も、魂の学びの点では全く同等であり、優劣などない。

パラドックス的な表現ではあるが、学ぶことが勉強ならば、学ばないことも勉強である。働くことが学びならば、働かないことも学びなのだ。

幸福であるがために、閉ざされてしまった感性があるものだ。不幸が故に感じ取れる魂の領域というものがある。

誰もがお金があって、家族がいて、健康な暮らしを望むだろう。しかし、現実はどうだろう。100人に7人が仕事が無く、3組に1組が離婚をし、病気による診療費は毎年うなぎ登りだ。

それでも日本は幸福だ。100人中93人は仕事があり、3組の内2組は愛の絆を保ち、夫や妻や子どもに看取られ天寿を全うする人たちがいる。

勉強をしても最後に孤独な人生の終焉を迎える人は多い。勉強を必死にしなくても、豊かな暮らしをする人がいる。

人生のすべての事象は自分が招いているものだ。勉強を一生懸命しなければ人生に成功はないと思う人生。人を裏切れば、自分も裏切られると思う人生。それぞれの人生が想いによって彩られて行く。

現在の人生が、今を未来を作っていくのだと思う。

WHO AM  I ? 

私は過去であり、今であり、そして未来だ。それを学ぶためにここに存在している。

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2013年3月21日 (木)

アラハバキの神

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3.11の震災後、僕は古代の東北に於いて信仰されたアラハバキの神に導かれ、偶然に、そして必然的に古代の神々に出逢い、そして不思議なシンクロニシティを数多く経験してきた。

そもそも始まりは4年前に、奥州市水沢区で個別指導塾・学び舎を営む友人の小林先生が、前九年の戦を記した陸奥話記の現代語訳を世に出したことに遡る。

平泉藤原三代の土台骨を作ったのは間違いなく安倍氏である。その歴史の栄華と衰退を、陸奥話記は描いているが、僕は小林先生とともに歴史の舞台となった川崎の柵や黄海の柵を探索した。

北上川に面する古戦場には、のどかな田園風景が広がり、北上川の流れは悠久の歴史を映し出すように青空を映しだしていた。僕は小林先生の労作である陸奥話記の現代訳に感銘を受け、『興亡の河』という歌を作った。

この歌を作ったのは震災の1年ほど前だったが、作っている最中にラップ音が聞こえてきたり、最初のお披露目の時に、ギターのカポタストが突然ぶちぎりたり、書けばきりがないほどの不思議な出来事があった。

震災の後、僕は声なき声に導かれ、三峰神社のアラハバキや、上の写真の磐神社のアラハバキ神に導かれたのであるが、今思えば、あの不思議な体験は、震災が来ることへのアラハバキ神の警告だったのかも知れない。

実は先日磐神社のアラハバキ神の巨岩を衣川に行ってカメラに収めてきたのだけれど、何度やっても巨岩の写真だけがうまくPCに転送出来なかった。仕方がないので、タウン誌のマチネットの写真を拝借させて頂いたのだが、何もないことを祈りたい。

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2013年3月20日 (水)

ネズミ一匹で

福島第1原発で停電が起きて、冷却システムが停止していた問題で、電源盤の内部の壁などに黒い焦げ跡があり、ネズミが感電し、ショートさせた可能性があることがわかった。
東京電力は、会見で「(電源盤の内部に)小動物が落ちていることがわかりました」と語った。
東京電力によると、冷却システム停止の原因とみられている3号機・4号機の仮設の電源盤7つのうち1つで、ケーブルなどを接続する端子と壁に焦げ跡があり、黒くすすけていたという。
またその下では、ネズミのような小動物が死んでいたこともわかり、端子の間にネズミが入り、感電したことで、電源盤がショートした可能性もあるみて、さらに調査を進めている。
FNNニュース

ネズミ一匹で、とんでもない事態を招きかねなかった福一の状況って、これは完全に崖っぷちの世界じゃないだろうか。

何度も言うように、原子力はあってはいけなかったものだろう。利便さや経済云々の前に根本の思想が欠落している。

ネズミ一匹で停電してしまう冷却装置。日本の領土権を面白く思っていないどこぞの国が、日本を崩壊させようと思ったら、赤子の手をひねるよりも簡単だろう。

そのような状況にもかかわらず、避難指示の距離感を、日本政府は意図的かもしくはしらばっくれているのか、完全に誤っている。

福一で作業されている方々の命の安全を含め、致命的なミスをしていることに、企業や政府は気づいていない。

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異界への道

昨日は、正月以来の休日で、夕方からの高校の先生方の送別会に出席するため、塾の仕事はオフにした。

朝、部活をする息子を高校に送って行き、予約していた歯医者さんに行き、その後は、家のペンキ塗りをやり、午後は震災以後初めて女房と映画を観てきた。

ミゼラブルを観たのだが、後半は感動の嵐で涙腺は制御が利かず、涙・涙の連続だった。それにしても歌の迫力は素晴らしかった。

ところで今日は息子の高校の前で、懐かしい風景を目にした。これだ。

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けもの道。ちょうど猫や犬が通れるほどの道が笹薮の間にできている。隣のトトロに出てくるような小道だ。小さい頃の僕なら迷うことなく、探索しただろうけれど、さすがにこの歳になっては、入り込んで行く勇気もなく、ただカメラのシャッターを押すだけで、欲望を抑えた僕だった。

この先にはどんな世界があるのだろう。ひょっとすると異界とつながる光の世界が広がっているのではないだろうか。そんな妄想に浸ったころの自分の昔を思い出し、心がワクワクしたかねごんであった。

2013年3月19日 (火)

平和ボケのようなテレビや報道に洗脳された国民であってはいけない

東京電力と原子力規制庁によると、18日午後7時頃、福島第一原子力発電所の免震重要棟などで停電が発生した。

 事故収束作業の指揮所となっている免震重要棟の電源はすぐに回復し、原子炉の温度監視などに問題はなかった。しかし、停電で一部の電源システムに異常が起き、1、3、4号機の使用済み核燃料の一時貯蔵プールの冷却装置が同日午後9時40分現在、停止している。

 3基のプールには、計2500本の使用済み燃料が収容されている。プールの温度は最も高い4号機で約25度。冷却が止まっても、現在の温度上昇は小さく、管理上限の65度に達するまでに、約4日間の余裕があるという。このほか、汚染水処理装置も止まった。

 原子炉の注水は継続し、周辺の放射線データにも変動はない。東電は原因を調査している。

最終更新:3月18日(月)23時0分 読売新聞

7時に生じた停電の発表が、10時を過ぎた頃にテレビで発表になった。

まただ・・・。もう一度メルトダウンしたならば、東北はオシマイだ。東電の情報秘匿の慣例は、3.11の時と全く変わっていない。

緊急事態であるにもかかわらず、事態の深刻さをカムフラージュする情報の開示の仕方も以前と同じだ。

何度でも僕は繰り返す。現在の東京電力福島第一原子力発電所の状況は、本当に油断を許さない状況だ。原子力発電所が崩壊後、震度5強の揺れが福一を襲わなかったことのほうが奇跡であって、緊急の事態が生じた時には、1分でも1秒でも早く情報を開示して欲しい。

今東北の被災地に生きるということは、万が一の時は、緊急避難をしなければならないということを意味することだと思っている。

あの日から2年が経ち、表現は悪いが、完全に平和ボケのようなテレビや報道に洗脳された国民であってはいけない。

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2013年3月18日 (月)

人の縁、そして神様の縁に感謝である

僕の家は、僕で18代続いてきた農家なのだが、創建年代不明の石宮の神社が屋敷の北側に祭られている。僕の住んでいる花泉では、この石宮をお明神様と呼んだりするが、水神や山神、家によっては稲荷様や地元の神社の御札をお祀りしている。

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ちなみに僕は現在この石宮に、山神である、奥州市水沢区の駒形神社と宮城県小牛田の山ノ神神社の御札を祀っている。祖父の代には奥州市衣川の三峰神社の御札が祀られていた。

息子で19代目ということになる訳だが、子孫が途絶えることなく、こうやって19代400年近く家が続いてきたことに、先祖の並々ならぬ愛惜を感じる。そして、寒村で必死に生きてきた祖先たちの暮らしに思いを馳せると、思わず胸が熱くなる。

どんな家の歴史の中にも、家が途絶えるピンチは必ずやって来るものだ。病死、貧困、そして震災による離別など、時に運命は過酷で非情だ。古人(いにしえびと)にとって、神のご加護を求めるのは自然な営みであっただろうと思う。いや、現代社会に於いてさえ、それは変わらない。

実は僕は22年前、今の塾を始めた時に不思議な夢を見た。上の写真の石宮に、多くの人達が行列を作って参拝にやって来る夢を見た。自分が始める塾という仕事を、ご先祖様たちが後押ししてくれるという確信を、僕はその夢で得たような気がした。

あれから22年、百姓と塾教師の二足のわらじを履いて、なんとか頑張ってこれたことに感謝で一杯だ。それに加え、4年前からは市内の私立高校で、英語講師をやらせてもらっている。

3.11の震災が来て、農業も塾も本当に大変だった。高校での講師の仕事がなかったなら、もっと右往左往の日々だったろうと思う。

石宮にかつて祖父が衣川の三峰神社の御札を祀っていたと書いたが、実は、僕の所に、英語の講師を依頼に来て頂いた高校の先生のご自宅が、衣川の三峰神社の近くだった。確認はしていないが、きっと三峰神社の氏子になっておられるのではないかと思う。

人の縁、そして神様の縁に感謝である。

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排除された若者は家族が支えている

──ヤンキー文化のマイナス面をどう打破するべきでしょうか。

 近代的な個人主義を再インストールすることだと思う。

 体罰が強要されるのはスポーツマンの個人主義が認められていないせいだ。技量の不足は未熟さの表れであり、未熟な人間の権利は制限されて当たり前と考えてしまう。

 学校で教える徳目(道徳の内容)から協調性を外すことが必要かもしれませんね。協調性だけを強調するカルチャーが、ムラ社会におけるいじめのロジックを補強している。一人だけ変わったことをするやつはいじめていいという話につながっている。

 あくまでも個人の権利を尊重することが最優先事項で、協調性は2番目か3番目に大事であると教育しないと、いつまでたってもヤンキー的な、個人よりも集団を優先する論理がまかり通ってしまう。個人よりも家族、個人よりも地域、個人よりも学校。今起きている問題はすべてこのロジックに起因している。

 ただし日本的集団主義のカルチャーは簡単に否定できない面もある。集団主義が世間という相互監視システムを作り上げ、突出した犯罪はめったに起こらない。薄い毒をみんなで共有することで、濃縮された毒が1カ所にたまるのを防いでいる。日本社会は世界にまれに見る平和な社会で、治安にかけるコストも低い。ただ、この平和を維持している空気が、社会の天井の低さ、閉塞感につながっている。

 典型的なのは、日本における引きこもりの多さとホームレスの少なさでしょう。若年ホームレスだけ見れば1万人いない。米国には100万人、英国に25万人いるのに日本は異常に少ない。それがどこにいるかと思ったら家の中にいる。引きこもりという形で。排除された若者は家族が支えているんです、絆で。

 こうしたこともアゲアゲの景気のよさにかき消されていく。何だかんだ言っても景気がよくなれば国民の気分はよくなる。よくなれば弱者の存在は目に入らなくなる。安倍内閣が景気最優先と掲げたのは、目くらましとしては最高でしょう。

 

斎藤環 東洋経済

日本では,毎年高校を中退する若者が年間30万弱、その半数がいわゆる通信制の高校に転学する。しかし卒業を果たすのはさらにその半分。残りの半分は引きこもりの予備軍になっている。

学校の人物評価に『協調性に欠ける』というものがある。日本社会はこの協調性を特に重んじてきた。アウトローは厄介者扱いを余儀なくされる社会、それが日本だ。不登校や引きこもりの問題だクローズアップされたのは、ちょうどバブルがはじけた頃からだ。

バブルが始まり、国民が中流意識を持ち、豊かさが国民の性格を変えた。その結果訪れたのは雇用制の変革だった。僕はすべての諸悪の根源は、派遣社員の雇用制にあると思っている。

終身雇用制の是非はそれぞれあるだろうが、会社を簡単に替える風潮が、退学者や離婚率の増加とリンクし、労働力の低下を招いたと思っている。

少子化に伴い、子どもの教育の質が上がったと感じている方も多いかも知れないが、僕は全くその逆を考えている。子どもが多ければ生活が大変。子どもの子育てに自分の人生を全て注ぎたくない。そんな親が日本では増えてきた。生活が大変だから子どもを作らないのではなくて、自分の暮らしの自由度が奪われるから、子どもを作らいないという潜在意識が蔓延している。

つまりヤンキーなのだ。結婚しなくても性には困らない日本。学校にいかなくても家庭が保護してくれる日本。斎藤氏が言うように、排除された若者は家族が支えている。

可愛い子には旅をさせよ、などという思想は消滅した。引きこもりを許すのは家族の愛や絆ではなくて、単なる育児放棄なのだ。大人になってしまた幼児の育児放棄。テレビの前に子どもを座わらせているのも、ゲームを買い与えピコピコさせているのも、携帯を小学生の頃から与えているのも、気づいていないだろうけれど育児放棄である。

共働きになって、保育所が不足している。本当に共働きが必要なのだろうか。自分の子どもを育児するより、外で働くことのほうが重要だとしたら、こどもを産むという行為は何だろう。お金が全て優先する社会に、反逆するヤンキーな親が増えれば、日本は変わって行く。僕はそう信じている。

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2013年3月17日 (日)

春の暖かさがやって来ると・・・

春の暖かさがやって来ると 、花粉症やアレルギー、そして持病との戦いが始まる。下の写真は僕が毎日飲んでいる薬だ。

救いなのは、持病の喘息がここ2年起こらないことなのだが、年を取るということはいろんな厄介な症状が出てくるわけで、本当に身体のケアーは大切だと実感する。

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同年代と比べれば、運動はしているほうだろうと思う。しかしなにせ生活が不規則だ。ここ30年以上日曜日以外夕ごはんをとるのはいつも真夜中。

昼ご飯は、ただ飲み込むだけの日々も多い。そして受験が近づくといつも胃腸の痛みと肩凝りが襲う。

入試が終わり、確定申告が終わると、今度は来期の仕事の準備が始まる。塾生募集の営業やチラシ配りをやるわけではないが、正直生徒がやって来るだろうかという不安からは、何十年やって来ても逃れることは出来ない。

悟っているわけではないが、やって来る生徒はやって来るし、やってこない生徒はやって来ない。入塾して来る生徒に全力投球をやるだけである。

今日は昨年の秋以来、昼間、茶の間のストーブがいらなかった。季節はとっても良い感じになってきたのだが、逆に身体が温かさに過剰反応しはじめた。困ったものだ・・・。

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賞状がスレッターに

もと塾生のご父兄より、先日こんな話しを伺った。

市内某中学校の校長室での出来事なのだが、年度末で校長室の大掃除をすることになり、何人かの女子生徒たちが掃除をすることになったらしい。あろうことか、校長先生の命令で生徒たちが、部活の賞状をスレッターにかけさせられたと言うのだ。

古くなった団体競技の賞状ならまだしも、卒業したばかりの生徒の個人の賞状もスレッターにかけたのだという。卒業生の住所録を見ればすぐわかること、校長先生によっては無用の長物でも、部活で頑張った生徒にとっては、汗と涙の結晶である。本人に返却するのが筋ではないだろうか。

この話しを聞いて、その校長の教育者としての感性を疑った。きっと若いころスポーツで感動などというものを経験したことがない方なのだろうと思う。

実はその校長、日曜日の部活を自粛するようにとの進言もしているのだと言う。部活を禁止して生徒が勉強をするとでも思っているのだろうか。せいぜい自宅にさらなるゲームソフトが増えるだけである。

僕の年齢も,ぼちぼち各学校の校長先生の世代に突入したが、どうも理解不能の校長先生がたまにいらっしゃる。僕の感性がおかしいのだろうか。

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魑魅魍魎が闊歩している

日本維新の会の西田譲衆院議員が今日の予算委員会で驚きの質問をした。福島原発事故で広範に飛散したのは「微量なセシウム」だけで、「低線量セシウムは人体にまったく無害」、憲法違反の避難命令は直ちに解除せよと政府に迫ったのだ

昨日のブログでも書いたが、この世には魑魅魍魎が闊歩している。人間の顔をうまくつけた悪魔や、わけの分からない宇宙人が右往左往している。

目的はこの星の混迷だ。僕に言わせれば、相手にしなければいいと思うのだが、魑魅魍魎は、いつも善人のふりをして近づいてくる。政治家や教師や時に聖人になりすまして。

たちが悪いのは、彼らは自分が操られていることに気づいていないことだ。化けの皮がはがれても、自分の怪物ぶりを正当化しようとする輩は、最終的には排除しなければならない。

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2013年3月16日 (土)

新しい道が完成

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1年と3ヶ月間、磐井川の土手の工事のため封鎖されていた一関磐井町の道路がリニューアルされ開通した。

川土手に、新たにレンガを敷き詰めたスロープが出来た。高校生のランニングや市民の散歩に、これからは大活躍をすることだろう。

しばらくの間、人も車も通らず閑散としていた僕の塾もこれで風通しがよくなり、猫以外の方々がようやく通れるようになった。

僕の塾もようやく長い冬眠から覚めた感じだ。通りすがりにチラシを持っていく親御さんもぼちぼち出てきた。震災前の状況に戻るのはまだまだかも知れないが、この道が出来たことで、塾前の空気感が変わった。

23年目の春がやって来た。ふんどしの紐を締め直してがんばるか。

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潜在能力は努力で開花する

高校入試は、3年連続全員合格とはいかなかった。僕の指導不足である。申し訳ないという思いと、合格発表の時の塾生の気持ちを思うと、本当に心が痛い。

入試の合格発表の会場は、喜びと落胆の風景が交錯する。ガッツポーズをする生徒、そしてうつむいて去っていく生徒。毎年目にする光景だ。

50歳をとうに過ぎた今でも、僕は自分の合格発表の日の痛みを毎年思い出す。掲示板の前で発せられる歓声の声。自分の番号がないのは、見落としじゃないかと、もう一度掲示板を見渡す焦燥感。そして猛烈な虚脱感に襲われる自分を、もう一人の自分が冷静に見つめているあの浮遊感は忘れられない。

自分の勉強不足だということを認めてしまえば、まだしも心が楽になるのだろうけれど、自分には運がないんじゃなないだろうかとか、テストの結果云々ではなく、自分の人間性のようなものを否定されたような感覚は、厄介な精神状態に自分を追い込んでいく。

ここ2,3日、多くの少年や少女達が、38年前の僕と似たような感情に苛まれているのではないだろうか。当事者の辛さは、当事者にしか分からない。しかし間違いなくこれだけは言える。受験に失敗したのは、運が悪かったでもなく、人間性を否定されたのでもない。落ちた生徒に、違う道が、違う選択肢が用意されただけだ。その事実を受け止めて欲しい。

君たちの人生は君たちのものだ。だから自分にシラケチャいけない。自分をけなしてはいけない。あなたにしかない力が、あなたにはある。そのことを実感するするためには、努力というアンテナを張り巡らすことだ。潜在能力は努力で開花する。

その一歩はまず自分を信じることだ。こどもである時代は長いようで短い。いつも親の庇護の下で暮らすことは出来ない。自分の脳力でお金を稼ぎ、生活をして行かなければならない。大人になって行くということはそういうことだ。

社会は決して冷酷ではないが、かと言ってそれほど寛容でもない。機転が利き、話術がたけた人間が要領よく生きて生ける社会のように思えるかも知れないが、実はもっと大事なことがある。

それは、他人のおだてや、他人の悪意に動じない強固な精神力だ。心のタフさが無ければ、この魑魅魍魎が闊歩する時代を生きては行けない。

おどおどした秀才よりも、たくましい鈍才でなければならない。今新たな道を模索しなければならない諸君。ピンチはチャンスである。過去も未来もどうでもいい。今、今を頑張っていこう。

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2013年3月15日 (金)

親が子どもに望む職業は公務員

バンダイが実施した「将来なりたいものに関する意識調査」によると、親が子どもになってほしい職業は、男子・女子の親ともに第1位が「公務員」であることがわかった。国家資格を有する資格や手に職がつくエンジニアや職人などに人気が集中した。

 一方、子どもが将来なりたいものランキング1位は、男子が「スポーツ選手」28.5%、女子が「食べ物に関わる仕事」21.5%となった。男子の3割近くが「スポーツ選手」になる夢を抱いており、このうち「サッカー選手」が14.5%、「野球選手」が10.3%と野球よりもサッカーの人気が高かった。

 子どもたちが将来なりたいものは何から影響を受けたかについて、男子は「テレビ番組」28.0%、女子「実際に働いている人を見て」26.3%がもっとも多かった。

 親が子どもになってほしい職業1位の「公務員」は、子どもが将来なりたいものランキングの上位10位にはランクインしておらず、子どもが将来なりたいものと親が子どもになってほしいものにギャップがみられる結果となった。

 なお、同調査は、全国の3~15歳の子どもの保護者800人を対象に職業に関わる意識について同社がインターネットアンケートを実施。調査期間は1月7日~9日。

 

《工藤 めぐみ》
親が子どもに望む職業は公務員。子どもたちはスポーツ選手。このギャップが最近の世相のすべてを物語っている。
公務員は給料がいい。ボーナスも出るし、育児休暇もいっぱい取れる。そして休みも多いし、何よりも退職金がいっぱいでる。それでも子どもたちはスポーツ選手が夢だという。
がんばれ子どもたち!

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開校23周年

今日は僕の塾の開校日。23年目に突入する。今までにお世話になった方々にこの場を借りて謝辞を申し上げたい。本当に有難うございました。

僕はネコ型人間なので、一度腰を下ろした場所からは、なかなか居場所を移すことが出来ない人間である。気に入ってしまうとずっと居座ってしまう。故に23年間ずっと同じ場所での塾屋家業とあいなった。

小さな塾ゆえ、全学年60人も在籍すれば一杯一杯の寺子屋塾である。23年間の総在籍数はまだ1000人ちょっとだ。いろんな喜びがあった。いろんな悲しみがあった。子どもたちのパワーに支えられてきた23年間である。

個人塾が生きていくには大変な時代になった。少子化の問題に加え、一関市は放射能の問題を抱え、人口の減少に歯止めがかからない。小さなお子さんがいる転勤族の方々が、東北の被災地を敬遠するのは至極当然のことだろうと思う。

僕は故郷が好きだ。この地に骨を埋めるつもりだ。あと何年、この塾を続けられるか分からないけれど、教えることに情熱が冷めないうちは、石にかじりついても頑張りたい。

小さな個人塾には、小さな個人塾の良さがある。僕はその信念のみで、やってきたような気がする。

また今日から新たなドラマが始まる。お付き合いください。

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2013年3月14日 (木)

岩手県公立高校の合格発表

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今日3月14日は岩手県公立高校の合格発表だった。

合格した皆さんおめでとう。残念ながら合格しなかった皆さん、だいじょうぶ、チャンスは何度もやってくる。めげないで。

高校で人生が決まるわけじゃない。違う高校で君たちが活躍する場は山ほどある。うつむくのは今日ぐらいでいんじゃないかな。がんばろう!

どよめく歓声の中で味わった屈辱感は、確かに辛いものがあるけれど、リベンジに向けて踏み出そう。

受かった人も兜の緒を締めて、次の目標に向かって頑張ろう。高校の3年間はあっと言う間だ。高校時代は人生の土台骨を作る大切な時期、謙虚にそして果敢に生きて欲しい。

今の若者達は、僕らの頃こ比べて誘惑があまりにも多い。流されてしまう戻ることがとても困難な時代だ。自分に必要なものは何なのか、冷静な判断を心がけて欲しい。

勇気と知恵とそして友情を大切に、高校時代を驀進してください。

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軽トラックと猫

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最近僕が塾の前に軽トラックを停めると、どこからともなく猫がやって来て、僕の軽トラックにじゃれつくようになった。

我が家で飼っているメス猫が、僕の軽トラックの下でいつも遊んでいるので、匂いに反応してやってくるのだろうか。パンダのような顔をした愛嬌のある猫である。

塾の前に座って、僕の軽トラックが来るのを時々待っている姿はなんとも癒される。

塾がある一関磐井町の桜の小道もレンガが敷かれ、もうすぐ完成である。猫ちゃんたちものんびりと散歩や日向ぼっこが出来そうだ。あとは桜が植樹されれば、またいつの日か、やすらぎの木陰が生まれることだろう。

ところで現在真夜中の2時。10時過ぎから書き始めた納税の申告書が、今ようやく出来上った。今年もなんとか間に合った。さあ風呂に入って寝よう・・・。

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2013年3月13日 (水)

須川岳

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一関磐井町から展望する須川岳である。みちのくのアルプスと称賛されるくらい、雪をかぶった須川岳の姿は美しい。

市内の高校や中学校の校歌の歌詞には、必ずこの須川岳が歌い込まれている。一関市民にとっては、この山は間違いなく精神的な支えである。嬉しい時、悲しい時、いつも須川岳が西の空にそびえ立ち、僕らを癒し、そして鼓舞してきた。

市内の雪がすっかり解け、須川岳のほこらしい雪山が煌きだす季節になると、いよいよ別れの季節だ。

今日は中学校の卒業式。明日は県立高校の合格発表だ。僕と言えば、今夜は申告書類の作成で徹夜となるだろう。いつも合格発表はフラフラの状況で見に行く僕だが、毎年祈る親御さんの気持ちが伝わってきて、僕はうるうるしてしまう。

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2013年3月12日 (火)

マリア像

家内が土日シュタイナー教育の研修に横浜に行ってきたのだが、東京国立西洋美術館で、ラファエロ展を見てきた。

多くの画家が聖母マリア像を描いているが、ラファエロが描いたマリア像ほど自愛に満ちた絵はない。

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家内がこの絵のレプリカを買ってきて、玄関に飾ったのだが、よぼよぼの我が家の玄関の空気感が凛となった。

僕はキリスト教徒でもなんでもないが、この聖母マリアの凛とした表情は、僕の感情を畏敬させる。

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2013年3月11日 (月)

風が吹いている。

あの風はどこからやって来た風だろうか。

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春の日差しの中で、風はとても頑張っているように見えた。

年老いた老人が咳をした。

びっくりした猫が背中を丸め、その横を一陣の風が吹いていく。

僕らは、やがてやって来た場所に帰っていく。

何も携えていくものは無いけれど、与えた愛と与えられた愛の光と影は、やがて融和する。

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怒りや悲しみを遠ざける必要などない

塾の前を流れる磐井川も、河川敷の雪がすっかり消え、土手の芝も緑が濃くなってきた。2年前の今日、地震の時、僕はこの写真の反対側の土手下に逃れ、ものすごい揺れが収まるのを待っていた。

(3月9日に撮影したものですが、今日11日はまた一面の雪景色になってしまいました)

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震災後1年間は、放射能を恐れ、この河川敷で遊ぶ子どもたちの姿が消えた。

この2年間、被災地の復興を願い、また子どもたちに内部被曝をさせまいと、多くの人達が立ち上がった。家内が主催するシュタイナー教室『風と虹』には、関東地区、九州福岡からボランティアで先生方が何度も訪れて頂き、医療や精神的な支援をして頂いた。

僕のブログを読んで頂いた読者の方からも、全国津々浦々、支援物資や様々な援助を頂いた。心より御礼を申し上げたい。

僕の塾生のご家族も、大船渡や女川で被災し、家や財産をすべて流されてしまったご父兄がいる。また僕のブログを通じ、避難してきたはずの一関が放射能のホッとスポットと知り、さらに九州に引っ越された方もいる。

あの日から時間が止まったままだという人も多いだろう。2年間で喪失感など消えはしない。

今日は各地で鎮魂の祈りが捧げられる。しかし忍耐でこうべを下げる必要はない。怒りや悲しみを遠ざける必要などない。

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2013年3月10日 (日)

明日3月11日がやってくる

弱者の立場になって考えるということは、とても難しいことだ。暮らしに不安がない方々が、弱者を援助するかと言えば、残念ながらそうとは限らない。

東日本大震災で岩手や宮城の沿岸部に駆けつけてくださったボランティアの方々が、生活に余裕がある方たちかと言えば、決してそんなことはない。むしろ大変な境遇にいる方のほうが、多くの支援の手を差し伸べてくれた。

様々な企業や団体が、NPO法人を立ちあげて被災地の支援活動を行なっている。僕の個人的な想いなのかもしれないが、抜け目なく書類を作成し、国や県からそれなりのお金をもらっているNPOという支援の組織は、どう見ても僕には支援という名をかりた商売のように思えてしょうがないのだが、僕の思いす過ごしだろうか。

沿岸部で被災した子どもたちのたちのために、無償の寺子屋教室を行ったNPO組織があったけれども、彼らは僕なんかよりはるかに高額なお金をもらっていた。逆に被災した塾の先生方の仕事を奪い、廃業に追いやってケースさえある。

支援のはずが、違う負の状況を生み出すケースは多い。

巨額のお金が復興事業に注ぎ込まれたが、そのお金をまんまとせしめているのは、大手土建業とその下請け企業だけだ。本当に困っている人の元へは、雀の涙ほどのお金も届いていない。

仮設住宅で3回めの春を迎える多くの人たちがいる。放射能を出し続けている東京電力福島第一原子力発電所の収束は全くめどが立っていない。

被災地で起こされる放射能関連の訴訟はすべて敗北し、多発する甲状腺機能低下症や癌の疾病に対して、声を上げる医者もいない。

残念ながら、東北は日本政府に見捨てられたと僕は思っている。復興支援のお金さえばら撒いておけばいいだろうという政府の態度は、東北の人々の命を助けようという意図は全く感じられない。

 

震災後僕は、『いのり』という曲を書いた。自宅のカセットで安いカラオケマイク一本で録音したがさつな音源を、神奈川のとよ爺先生が、震災の写真をバックにユーチューブにアップしてくれた。僕の歌の下手さはしょうもないけれど、映像にしてくれたとよ爺先生の鎮魂の執念には、2年前涙があふれて止まらなかった。

明日3月11日がやってくる。津波で亡くなった多くの方々の御霊の無念さを無駄にしないためにも、これ以上の犠牲を出してはいけない。

僕ら東北人の戦いはこれからだ。

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2013年3月 9日 (土)

福島県郡山市で小中学生14人が起こした放射能疎開裁判

裁判の通称は「ふくしま集団疎開裁判」という。 

 原発事故の3か月後の2011年6月、「郡山市内は放射線量が高くて危険」「安全な地域で教育を受ける権利がある」などと、郡山市を相手どったこの裁判は始まった。

 注目すべきは、申立人が郡山市在住の小中学生14人(法廷では親が代理人)だったことだ。

 原告団の主任弁護士である柳原敏夫さんが言う。

「郡山市の土壌汚染レベルは非常に高い。原発事故があった旧ソ連のチェルノブイリの基準でいえば強制移住が必要とされるレベルです。チェルノブイリでは避難が遅れ、放射能の影響で小児甲状腺がんをはじめとするさまざまな疾病の患者が急増しました。それを考えると、とても子供の生命や健康を守れる場所ではありません」

 埼玉県在住の柳原弁護士が裁判にかかわることとなったきっかけは、原発事故直後の2011年4月、文部科学省が子供の年間被曝を20ミリシーベルトまで許容すると発表したことだった(後に年1ミリシーベルトを目指すと修正)。「子供を危険にさらす無責任な措置」と激しく憤った柳原弁護士は、住民支援のため郡山市に向かった。

「従来の国の許容基準は年間1ミリシーベルト未満で、国際基準であるICRP(国際放射線防護委員会)の数値と一緒でした。それを事故後に、いきなり20倍に引き上げたんです。子供は、大人よりも放射能への感受性が4~5倍高いといわれています。途方に暮れる親御さんがいるだろうと現地に向かい、“子供は安全な場所で教育を受ける権利がある。市はそれを守っていない”ということを伝えました」

 保護者は、郡山市や教育委員会に疎開措置を期待していたがかなわず、訴訟に至ったのだという。

「といっても、教育を受ける権利があるのは親ではなく子供。そこで、子供たちが原告になりました」(柳原弁護士)

 放射能への不安に駆られた地元住民のうち、県外への自主避難の道を選んだ家庭も少なくない。 

 裁判に臨んだ子供たちは、なぜ自主避難ではなく、“集団疎開”を求めたのか。柳原弁護士が代弁する。

「経済的な事情もありますが、子供たちの気持ちの問題も大きかった。“友達を見捨てて自分だけ逃げるなんて裏切りはできない”という思いです。子供にとって友情はとても大切なもの。でも、放射能も怖いんです。

 ある子供は“ぼくは(学校を)絶対離れない。でも、福島には絶対いたくない”と引き裂かれる気持ちを話していました。この矛盾を解決する方法は、集団で避難することしかありません。裁判で求めたのは、あくまで14人の疎開ですが、この裁判に勝つことができれば、福島の子供たち全員の疎開を実現していけると思っています」(柳原弁護士)

 郡山市教育委員会に取材すると、「係争中なので裁判についての具体的なコメントは控えたい」との返答。

 この裁判の行方については、国内ではほとんど報じられてこなかったが、ドイツや韓国のテレビ局が取材に訪れるほど国際的な注目度は高かった。しかし、福島地裁郡山支部は2011年12月、以下の理由などで子供たちの訴えを却下した。

「小中学校における実際の被曝量の程度を考慮すると、債権者ら(訴えを起こした子供たちのこと)の生命身体に対する切迫した危険性があるとまでは認められない」 

 地裁の決定に小中学生10人が即時抗告し、現在は宮城県の仙台高裁で控訴審が続いている。

※女性セブン2013年2月7日号

先日痛風のためかかりつけの病院に行ったのだが、待合室で待っている間に、備え付けの週刊誌を読んでいたら上の記事を目にした。

何度もこのブログで書いてきたが、福島の郡山もそして僕が住んでいる岩手の一関市も、震災後の放射能値は、0,25マイクロシーベルトをゆうに超えていた。この値はチェルノブイリ事故が起きた近隣の町や村では、強制的に海外移住をさせられた値である。

しかもそれでも多くの被爆者が出て、その後重大な疾病が多発した。

東電や国のお抱え学者である、自称見識者たちは、あの地域は山のベリーやきのこを主食にする地域だったので、甚大な健康被害が出たのであって、空気線量の値が直接の被曝原因ではないとするコメントを出したが、無責任極まりない発言に、絶句した。

自主避難者の救済が全くなさせれないこの国の対応は、絶対おかしい。莫大な除染費用を使う前に、疎開をさせて欲しいと多くの人達が願っている。

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2013年3月 8日 (金)

私立文系の人間が言っても説得力が無いかもしれないが

ちょっとした悩みを20年以上抱え込んできた。

僕の塾は小学生・中学生には全教科を教えているのだけれど、大学受験指導をしている高校生の指導教科は、英語と論文だけである。

1ヶ月5000円の月謝ということもあって、高校生のお子さんをお持ちの保護者の方にはお陰様で重宝がられているのだけれど、いつも言われるのが、数学を教えてもらえないんですかという相談である。

私立高校や職業教科の高校の数学なら、なんとか教えられても、大学受験の数学は僕には無理である。

ちなみに大学受験の数学を指導する講師を雇う余裕はない。かと言ってパソコンの前に生徒を座らせて高校数学をやらせるつもりもない。

そんなわけで、塾教師をかれこれ30年以上やってきた中で、何度か受験数学をチャレンジしてきたけれど、僕の頭が生理的に数学を受け付けないことを知った。

僕の脳みそは俗に言う私立文系タイプである。英語や哲学的命題を考えることは全く苦にならないが、数学や物理的公式が並び始めるとアウトである。

最近は英語が出来ないと悩む高校生が増えている。僕に言わせると、数学に時間を取られて英語の勉強をしていないだけのような気がする。

英語も数学も得意であれば、それは理想だろうけれど、国立大学を無理やり志望させられるが故に、みんな中途半端になって、国立どころか、滑り止めの私立大学も失敗するケースが多い。

私立文系の人間が言っても説得力が無いかもしれないが、苦手なものに意識を向けるよりも、得意な教科を伸ばしてこそ人生は生きやすいような気が僕はする。

教育は、お金というものが絡んでくるがゆえに難しいけれど、もっとゆったりと専門分野を学べる環境が高校生には必要だろうと思う。

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2013年3月 7日 (木)

90キロの散歩

2月から散歩を始めた。教室のそばの磐井川の土手道を30分ほど歩いている。健康のために良かれと始めたが、3日前3年半ぶりに痛風の発作に襲われた。

原因は、適当な運動を始めたので食欲が湧き、調子に乗って晩酌までしたものだから、カロリーオーバーとなったようだ。発作は幸いにも足ではなく、左手首。痛さは激痛そのもので、涙目状態だったが、病院で痛み止めの注射を打ってもらい、今日はようやく痛みも引いた。

2月は距離にすると90キロは歩いたろうか。昨日一昨日はさすがに痛風の激痛で歩くことが出来なかったが、今日は夕暮れ時に散歩をした。

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空を見上げると、雁の群れが北帰行のアクロバット戦隊飛行を始めていた。高校入試の今日は温かい春の一日だった。

入試が終わると今度は申告書類の作成が待っている。それが終わると春の田んぼの準備やら種まきの準備がやってきて、更には春期講習がやってくる。

3月14日は合格発表だが、僕の塾の開講記念日でもある。23年目に突入する。23年間ずっとこんな春の日々を過ごしてきた。

生かされてきたことに感謝である。

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運良く合格した生徒、力及ばず不合格になった生徒たちへ~byとよ爺先生

国立大学の前期合格が発表になり、昨日は県立大学の合格発表だった。 不況の中、家計が大変で、国立志望が加速してきた。国公立大学はどこも狭き門である。

「私立大学は 入れられない」という親御さんの声が多い中、高校生たちは、それぞれの苦悩と希望が交差する季節を迎えている。

そして今日岩手県は、公立高校の入試だ。それぞれの春を迎える青春の日々。無駄な経験などない。成功という文字は、長い人生をかけて熟成して行くものだと思う。

塾屋の大先輩であり、僕のブログの師匠であるとよ爺先生が、数年前、高校入試に臨んだ受験生に送った記事、「運良く合格した生徒、力及ばず不合格になった生徒たちへ」というブログをアップした。とても感動する記事だった。今回またとよ爺先生がブログにて公開してくださった。ここに紹介したい。

運良く合格した生徒、力及ばず不合格になった生徒たちへ
私の住む神奈川は昨日、公立高校後期入試の発表があった。
まだ受験をする受験生たちも多少はいると思うのだが、ほとんどの受験生の高校受験は幕を閉じた。
受験というものは必然的に合格者と不合格者を生む。
そこで子どもたちは人生の厳しさを知るわけである。

心ない大人たちはその両者を勝者と敗者と呼ぶ。
特に私たちの同業者の一部の人たちは子どもたちにそういうレッテルを貼る。
単に受験で言うのなら、それは勝敗ではなく、合否であり、そんな呼び方は当てはまらない。

私の教え子にも今年は合格者と不合格者がいる。
彼らと正対していた3年間を考えると、私は人間のひとりとして勝者と敗者に分けることなど出来ない。
私の目の前で最後まで頑張っていた子どもたちは、私にとっては紛れもない勝者たちである。
あまり好きでない勉強を、時間を惜しんで頑張った子ばかりであり、不安や希望が交錯しながら、目まぐるしく過ぎていく時間の中で、失いそうになる自分自身と戦い続けた戦士たちである。
私に言わせれば、最後まで戦い続けたことが勝利であり、全員の生徒が勝利を勝ち取ったと思う。
高校受験で勝ち負けを言うことは非常に早計で意味のないことである。

受験生たちよ、心ない大人の言葉で傷つく必要などない。
君たちの戦いは始まったばかりであり、これからもっと人生の中で過酷で辛い戦いが待っている。
高校受験など、サッカーの試合で言えば、相手陣内に攻め込んだくらいのもの、
野球で言えば内野安打を打たれ程度のことである。
それを持って勝ち負けを言うのはおかしいことだし、「自分が勝者だ」とか、「敗者だ」とかを、言い放つのも思うのもおかしなことだ。

運良く合格になった者よ!
君たちはこれからの長い戦いの道の起点に立ったと言うだけだ。
違う道を選んだ者を蔑むことや批判することなど出来るはずもない。
自分の歩む道が決まったことを少しの間、喜んでも良いがその道がどこに行き着くかをこれから一生懸命、考えなければならない。
また目的地が決まっても、早く着くためには自分の全身に負荷をかけて歩かなければならないのだ。
ほとんどの道はまだまだ果てしなく続き、目的地には着くまでの道のりは長い。
違う道を選んだものを蔑んだり、批判したり、笑ったりすることはその時点で立ち止まっていることなのだ。
そんなことをしていれば、それはすでに違う道を行く者に抜かれているのかも知れないのだ。

力及ばず不合格になった者よ!
君たちは違う道の起点に立っただけだ。
そしてその道は歩き方さえ間違わなければ、どんなところにも必ず行けるはずだ。
君たちは今の逆境を乗り越えて、歩き始めた時点ですでに他者に差を付けていると思う。
今は自分の気持ちが塞いでいるかも知れないが、それを割り切った時点で君たちは勝者となる道を歩き始めたのと同じ事なのだ。
大事なことはその道をしっかり前を向いて、一歩一歩着実に踏み出すことなのだ。

運良く合格になった者よ、有頂天になってはいけない。
周りのライバルだった者の健闘を褒め称え、心から感謝をしろ!
そうすれば、君と一緒歩む者が増えて、君が方向を失うことはないだろう。


力及ばず不合格になった者よ!
君たちは敗者ではない、ここまで来れたことが勝者なのである。
ゆえにこういうときこそ、前を向いてしっかり一歩を踏み出しなさい!
君たちの受けた試練や経験は、その後の君たちの人生に大きな影響を及ぼすことになるだろう。
それをプラスに変えることが出来れば、むしろ君たちの方が一歩先に行ったことになる。
神様が君たちにくれたチャンスだと思え!

毎年、受験生たちを見ると、胸が熱くなり、涙がボロボロこぼれてくる。
一途に何かをしたり、何かを目指すの者は本当に美しいものだ。
君たちはみな選ばれた勝者であると言うことを忘れないで欲しいと思う。

とよ爺先生、素晴らしいエールをありがとう御座います。

 

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2013年3月 6日 (水)

いざ出陣

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明日は岩手県県立高校の入試です。

塾生の皆さん、やるだけのことはやりました。自信を持って臨みましょう。

だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。

受験会場の校門をくぐる際には、高校にいらっしゃる受験の神様にご挨拶をお忘れなく。

「神様、今日無事に受験を迎えられたことに感謝します」

心で手を合わせ、会場に出陣してください。

上の写真の絵馬は、一関配志和神社境内にある天神様の絵馬の写真です。皆さんの合格を心より祈願して来ました。

君たちの願いを成就させましょう!おもいっきり!

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2013年3月 5日 (火)

貧乏暮らしのススメ

お金がないのに無理をする必要はない。連休になると、家族旅行やら外食やら、そんな家族のイメージがあるようだが、車で外出すればガソリン代がかかる。家族で食事をすればこれまたお金がかかる。家で本を読んだり、家の周りを散歩するだけで、十分心が豊かになるものだ。遠出などしなくていい。

お金が無ければ無いなりの暮らしでいいのではないだろうか。見栄をはることは必要ない。自殺の原因の多くはうつ病と言われているが、その発症のきっかけはお金のトラブルが多いという。

お金が無いのに、無理に家を建てたり、高級車を買ったり、子供を大学に入れたり、命と引き換えに実行するほどのものではない。

家は雨風がしのげればいい。車は動けばいい。息子や娘を大学に入れるお金が無ければ、そのことを伝えればいい。本当に大学に入りたければ、自分で稼ぐだろうし、ノイローゼやうつ病になってまで頑張ることじゃない。僕はそう思っている。

僕は15歳の時、私立高校に行きたいと言ったら、授業料を自分で払えと言われた。そこで3年間奨学金とバイト代で支払った。東京の私立大学に行きたいと言ったら、アパート代とお米ぐらいは工面するが、授業料は自分で払えと言われた。そういう訳で4年間自分で支払った。

一生懸命働いている両親の経済力は十分承知していた。貧しいければ貧しいなりの生き方がある。

昨年23年間乗ってきた軽トラックを廃車にした。50を過ぎて生まれて初めて新車を買った。軽トラックだ。軽トラックなら1年間の税金が4000千円で済む。10年間支払っても40000円。普通自動車の1年分の自動車税だ。

震災後、築40年近くになる自宅の台所を自分でリフォームした。床板と壁板の費用が3万円で出来上がった。息子たちの部屋も10年前自分でリフォームをした。

写真が横になってしまったが、台所はこんな感じ。

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僕はお金が無いので外では飲まない。新刊本も買わない。いつも105円の中古本のみ。ジャケットはここ5年間で3着買ったが、すべて古着屋のバーゲン。

塾だってそうだ。同じ指導時間で、20000円の他の塾と、うちのような5000円の塾のどこが違うのだろう。若くてピチピチのギャル先生もいないし、イケメンの青年教師もいないが、人生経験豊かなハゲオヤジならいる(爆笑)。

貧乏は全然悪くない。身の丈にあった暮らしをすれば、贅沢は出来ないかもしれないが、心豊かな暮らしは工夫次第でできるはずだ。

ちっぽけなプライドや、不本意な社会への迎合などは必要ない。

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2013年3月 3日 (日)

変な社会だ

こどもの頃から一人で遊ぶことに慣れていたせいか、大人になっても一人でいることが苦にならない。皆で騒いだり、大勢で飲んだりすることが、どちらかと言うと苦手だ。

一人でジャズを聴いたり本を読んだりすることが好きな僕は、今で言えば引きこもり的青年だったかも知れない。逆にそんな性格だから、30年以上塾教師をやってこれたのかも知れない。

生活があるから、他者と接することを拒絶することをしないだけで、孤独が好きな人間は多いようだ。

人の感情や思考が、ダイレクトに入ってくることを拒絶できない人間がいる。感受性が強いと言えばそうなのだが、他人の領域に土足で踏み込んで来る人間が多いのも確かだ。

人間はとても多様なのに、無理やりスタンダードな人物像を作り上げ、そのカテゴリーに追い込もうとする。誰のための分類だろう。

規格外の人間を、まるで果物や野菜のようにつまみ出す現代社会の病巣は、弱者を痛めつけるだけだ。

はっきりものを言えない人間はダメ。自分の思考を文字に出来ないものはダメ。稼げないものはダメ。そんなダメ人間を増産して、社会はまるで喜んでいるような感じがする。変な社会だ。

人間関係が希薄ならば、社会は不幸なのだろうか。不登校や引きこもりを根絶することに躍起になっている人間が多いが、彼らや彼女らの声を聞き入れない人たちがトップでいるうちは、この社会は変わらない。

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2013年3月 2日 (土)

なに!51万ベクレル!

PCが使えないと、僕には一切の情報が入って来ない。息子を軽トラックで高校に送りながら、ラジオを聞いていた僕は、「最近は報道もまったりして、花粉症の話題ばかりで、放射能の話題はなくなったな・・」と僕がつぶやくと、

「福島沖からから獲れたあいなめから、51万ベクレルの放射能が検出されたらしいよ」と、ケータイを眺めていた息子が言ってきた。

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なに!51万ベクレル!

津波で被災した沿岸部の町が、カキやホタテの養殖を復活させてきた。そして沿岸漁業も水揚げが復活してきた。うれしいことだが、やはり魚介類の放射能汚染が心配だ。

市内の回転寿司屋さんは、連日、子供連れの家族でにぎわっている。僕だったら小さな子供に地元産の魚は食べさせない。営業妨害をやる意志など一切ない。魚の放射能の計測値を公表してこそ本来の誠意ある商売ではないだろうか。僕はそう思う。

52万ベクレルという値は、日本の食品基準の5100倍。あいなめもそうだが、カレーやなめたなどの低海漁は特に要注意だ。貝もそうだ。

測定値の安全が示されて初めて、子供たちが安心して食べられるものだと思うのだが、そうじゃないだろうか。

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多くの思い出をありがとう!

セブンが崩壊し、エイトで僕のブログが再スタートです。

ようやくセブンに慣れたと思いきや、度重なる地震の影響でしょうか、2台目のPCは短い命でした。ちなみにテレビも震災後壊れました。

新しいエイトは、はっきり言って使いづらいです。電源のOFF画面を引っ張りだすのも一苦労。進化したつもりなのでしょうが、お年寄りの使い勝手を考えていないんでしょうね。

それにしても昨年末の軽トラックの買い替えに続き、今回のPCの買い替えで、僕の懐は、もはや空気さえも出ない感じです。

今回も新年度のチラシは無理ですね。残念・・・・。

PCが壊れボケーとしている間に高校は卒業式を終えました。手前味噌ですが、僕が講師で行っている一関修紅高校の卒業式は厳かで格式があって最高でしたね。涙があふれる卒業式でした。

卒業式の全校合唱は[『栄光の架け橋』でした。ブログで僕が何度も言ってきましたが、震災後僕が一番聞いた曲です。僕のケータイの呼び出し音ももちろんこの曲。

この曲を卒業式で、生で聞いたらもうそりゃ涙ですよ。いい卒業式だったな・・・。

2年連続3年5組の女子クラスの英語を受け持たせて頂きましたが、素直で感性が豊かな生徒たちでした。多くの思い出をありがとう!

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