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2013年2月 5日 (火)

被害者であることを演じてはいけない

一度きりの人生だから、迷惑をかけなければ自分に正直に生きたほうがいい。そうじゃないだろうか。

「おまえは出来ないやつだな」とか、「こんなことも我慢出来ないのか」なんて言葉を浴びせられて、自信を喪失して縮こまっていることなんかない。

やれないことに意識を持っていくことを社会の中で強制されて、自分の良いところを見失っている人が実に多い。哀しいことだ。

空気を読めとか、周りを考えろとか、外部からからやって来る声に従うことに必死になって、被害者になってしまっていないだろうか。

権力者は常に誰かを従わせる。それが時に親であり、教師であり、上司である場合は、自分が悪いのではないか、自分は能力がないのではないかと、疑心暗鬼に陥る。

自分を褒めることは難しいことかも知れないが、自分を鼓舞できるのは自分だ。だから夢を持たなければならない。

人のためになどという中途半端な正義感はいらない。自分の夢を突き進む人間は、必ず人を助ける仕事が出来るものだ。道を突き進むその姿が、周りの勇気の源にもなる。

誰かのために自分が犠牲になるというのは、一見人道的に見えるかも知れないが、本当は自分の人生をごまかしていることが多いものだ。

罵声を浴びせてきたり、暴力を振るう人間から逃げるべきだ。彼らは加害者であり、被害者を演じる人間からエネルギーを奪い取る略奪者だ。

僕らは孤独な存在じゃない。あなたをこの世に送り出してきた無数の愛のエネルギーの体積の結晶だ。だからあなたの存在を無駄にしてはいけない。

あなたを必要としているのは、実はあなた自身であることに気づくべきだ。

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コメント

若い頃は自分の思うような結果を出せず、悩んだり自信を失い落ち込んだりすることがあるかもしれません。
親や教師がいつも正しく導いてくれるとは限りません。
様々な情報や友達もいつも自分のためになるとは限りません。
だからこそ、あなたはあなたのままでいい。
やってみて違うと思ったらそれをやめてもいいし、自分を許せばいい。
一番大切にするべきなのは、自分自身であり、天才バカボンのパパのように「これでいいのだ」と自分を認めることだと思うのです。
考え方一つで苦しいことが実はそんなに苦しいことではなくなります。
実は、一番自分を苦しめていたのは、自分を縛っていた自分の思いかもしれません。
若い頃を振り返って今私が思うことです。

(かねごん)
たんた様コメントを有難うございます。
そうですね。親や先生のアドバイスが全てではありませんね。訳の分からない占い師や、魑魅魍魎のたぐいに頼ってもいけません。
自分が進むべき道は、自分が一番知っているのですが、直感が鈍っているんですね。
それはあまりにも雑音が多すぎるからですね。情報の選択が難しい時代になってしまいました。

数年前からかねごん先生の記事を、東京から拝読させて頂いておりました。
突然のコメント、本当に失礼致します。

 本記事は、いつも上司、家族、同僚その他諸々に気を遣いながら生きていた自分には、本当に励みになる記事でした。
 思えばいつも周囲に迷惑がかからないように生きていた自分。そんな自分を脱却したくて様々な仕事を、資格取得を…気を遣いながら、してきたような気がしています。
 本当に、これからは、自分を人生の主役として生きてい行きたいものです。
多少、ガサツに生きてい良ければ、気持ちも楽になるかも、などと考えました。

(かねごん)
零細診断士様コメントを頂き有難うございます。
また日頃稚拙な僕の記事を読んでいただき恐縮です。
生きて行くことは実はシンプルなことなのに、人生に付加価値をつけることに一生懸命になって、なんか真の幸福から遠ざかってしまっているなと、僕は自分のことを思っていました。そんな反省の雑文の記事であります。
直球勝負も疲れますが、変化球やチェンジアップの連投も疲れますよね・・・。
 

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