僕の読書遍歴
本への溺愛は小学校1年生の時に遡る。
家計が苦しかった我家ゆえ、僕は幼稚園には通わせてもらえなかった。家に車というものがなかったので、図書館や本屋さんに連れて行ってもらうということもなかった。
お盆と正月におじが里帰りに来るのだが、いつも絵本を僕に買ってきてくれた。その本をボロボロになるまで眺めていた。
小学校に入学して、図書室に置かれている童話の本を目にした時は、嬉しさのあまり卒倒しそうだった。3年生になる頃までには、図書室の低学年用の本をすべて読み尽くした。
そしてとある事件をきっかけに、僕は小学4年生から中学3年生まで本を一切読まなくなる。その事件の話を書くと無性に悲しくなるので、書かない。
第2の本への溺愛期は高校に入ってからだ。県立高校に入れなかった僕は、私立高校に入ったのだが、僕が高校に入った頃、高校の経営サイドである理事側と教員の間にちょっとした揉め事があって、授業はとてもアバウトな状況を呈していた。
自習が多く、課題なども一切出なかった。あまりにも暇だったので、手当たり次第本を読みあさった。6年間ほど本から遠ざかっていた僕は、水を得た魚のように読書に耽溺していった。3年間の高校生活で、1000冊は読んだと思う。
僕の読書中毒が始まった。
僕の読書は、一つの作品が気に入ると、その作家の作品をとことん追求する粘着質タイプだ。従って、まるっきり読まない作家の作品がある一方、読んだとなれば全てを読み尽くして行った。
夏目漱石・太宰治・三島由紀夫・安部公房、エルマンヘッセ・スタインペック・ドストエフスキー・スタンダール・ヘミングウェイ、当時の文学青年が辿る道を僕も辿って行った気がする。
そんな僕の読書中毒も結婚と同時に終焉した。26歳の時である。僕にとって読書は孤独感を埋める作業だったのかも知れない。
現在は1ヶ月に7,8冊程度になってしまった。忙しいというのも一理あるが、本当に読まなくなってしまった。
20代中頃まで読んだ本が、僕の今の感性のもとになっているのだとしたら、僕はだいぶ偏った人間だろうと思う。
で、今は何を主に読んでいるのかというと、中央政権が八幡神や仏教を伝播する以前の、古代東北の神々についての本を探しだしてきては読んでいる。僕はやっぱり偏っている・・・・。
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