存在するのは個の力だ
人はなぜ走り続けることや、戦い続ける姿に感動をするのだろうか。
マラソンや駅伝で走り続ける若者たちの姿が見るものに感動を与えるのは、その常人の能力を超えた頑張りに涙を流すのではなく、自分の魂が忘却してしまっている過去の自分に切なさを感じるからではないだろうか。
誰もが天使の時代と阿修羅の時代を魂に抱えている。死の淵から這いずり上がった経験を持つもの。自分の命を守りきれなかった過去を持つもの。
幾代も重ねてきた命のバトンタッチの中で、それぞれが担うべき栄光と学びがある。
僕らはいずれ命が絶え、肉体が消滅する。輪廻転生を信じる信じないは別にしても、僕らの想いや言葉、愛は、後世に間違いなく伝えられて行く。その現実の前には、学歴も血筋も家柄もそして経済力も関係ない。存在するのは個の力だ。
人生が終われば、それでリセットされると思っていたら、大きな間違いだろう。僕らの生きざまが子や孫に伝わって行く。
なぜ不幸なのか。なぜ苦しいのか。それは自分を生かし切っていないからだ。孤独なら孤独を楽しめばいい。貧乏なら貧乏を楽しめばいい。馬鹿だったら馬鹿を楽しめばいい。その想いに運はついて来る。
この世に生まれてこれなかった数億のいや無数の魂がある。僕らはこの地球に存在できるだけでラッキーなのだ。苦悩は自分で作るもの。それ以外の要因は何もない。
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