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2013年1月28日 (月)

正義とはなにか

正義とは何かということを考えることがある。例えば、地球の環境や自然保護を優先すれば、ある種の産業が抑制される。時に経済的な制裁や損失を被ることになる。

原子力に関しては、3・11以前ならば黙認されていたことが、これでもかと言うくらい露呈し、多くの世論が反原子力に傾いた。

社会の健全な経済活動にとって、電気は今や欠かせないものだ。少しの原料で猛烈なエネルギーを産出する原子力がもてはやされてきたのは、経済優先の勝利者を勝ち組とみなしてきた日本にとっては当然のことだったろうと思う。

塾生の兄弟の中には、原子力関係の会社に勤めている方がいる。卒塾生の中には、原子力を推進する企業に所属しているものもいる。それぞれが家庭を持ち、生活の糧を原子力によって得てきたわけだが、原子力全廃となれば、そのことによって数万人の人間が職を失う。

正義とは何だろう。

今の世の中は、命よりお金を優先する。例えば、癌治療が素晴らしい進化を遂げている。僕の母が癌になった時、1本60万円という薬が劇的な効果をもたらした。その薬を7回は投与しただろうか。健康保険に入っていなければ、その薬代だけで300万円は優に超える。

癌を告知されても、国保税を払っていないため、その後の治療にやって来ない人が多いという。今の日本は、お金が無ければ命も救われない。

正義とは何だろう。仮に弱者を助けることが正義だとしたら、日本社会はあまりにも理不尽だ。

震災の復興財源を19兆円から25兆円にするらしい。今潤っているのは、建築業界だけだ。日々の暮らしに困っている人よりも、道路や港湾の工事を優先させることに、違和感を覚えない人が多いが、なぜだろう。

貧乏人はお金持ちを羨み、お金持ちは貧乏人を見下す。これが経済格差の社会病理だ。どのような状況でもこの普遍的病理は変わらない。

勉強する動機づけも、そこに至るケースは多い。お金を稼ぐためにいい学校に入り、いい会社を目指す。実は僕の反骨精神の始まりは、そこにある。

いい会社に入るため、給料が安定する仕事に就くために勉強をするという思考が、僕には欠落していた。正直に話そう。気に入らなかった。生意気だったかも知れないが、勉強することの目的はそこなのかという哀しみに似た感情に襲われた。

知識や智慧を蓄えることが、単にお金のためだとしたら、人間という存在はなんて哀しいのだろう。

人間は何のために学ぶのか。原子力発電のようなものを生み出すためだろうか。NOだ。権力や財力を手に入れるためだろうか。NOだ。人間の病気を治すためだろうか。残念ながらそれもNOだ。

お金は人のためにあるのであって、人がお金のためにあるのではない。同様に学問は人のためにあるもので、人が学問のためにあるのではない。

便宜的な学びは便宜的な人生を作っていく。打算的な学問は打算的な人生を作っていく。そうならないために、僕らは雨漏りのしないような屋根を作り、地震で崩れないような土台を作って行かなければならない。流行に惑わされること無く。マスコミに躍らされること無く。政治に翻弄されること無くだ。

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コメント

こんにちは、学び舎です。

「便宜的な学びは便宜的な人生を作っていく。打算的な学問は打算的な人生を作っていく。」まさにその通りだと思います。

学問は手段であるけれども、それ自体が目的であり、だからこそ奥深いのだと思います。学問の結果に経済的なものがついてくれば、それはそれでめでたいことですが、必ずしもそうではないでしょう。

マスコミなどにはまったく無縁の老教授が、いかに学問の奥深さを教えてくれたか。そのことを思い出すたび、私はそれだけで大学で学ぶことの価値があったのだなと思わずにはいられません。学ぶことが単に経済合理性にだけ奉仕するものであるなら、それは悲しすぎます。

(かねごん)
小林先生ご無沙汰しています。
学びは宇宙の花だと思いますね。
悟りであり愛だと思います。

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