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2012年12月17日 (月)

障害者を排斥しようという心理も障害である

人間には異質なものを排除しようという本能がある。

道徳性や人間性の是非が問われる状況になっても、その本能は発動される。他民族や違う人種に対する違和感や、差別をどう捉えるかは、個人的な問題であり、それこそ国家や民族のヒエラルキーの問題だろうけれど、人間が持っている本能に目を向けなければ、差別やいじめの本質は見えてこない。

階級社会がどうして生まれるかは、自然界を眺めればよく分かる。食物連鎖の構図がそのまま人間社会にも当てはまることは多い。僕ら人間は、霊長類として特別な存在だと思っているかも知れないが、間違いなく自然界の縮図の中で生きていることを忘れてはならない。

人工的な食物の摂取や、環境汚染により、僕らは目に見えない大きなダメージを受けてきた。ここ30年教育の仕事に携わってきたが、何らかの障害を有する子どもの数は哀しいかな増え続けてきている。

障害が認識されない障害と僕は呼んでいるが、40人の子どもがいれば、一割の児童や生徒が、何らかの障害を持っている。ずっと座っていられない。簡単な連絡網の伝達ができない。学校のトイレに入れない。電車やバスに乗れない。異性と一切会話ができない。時間割の用意が高校生になっても一人でできない。などなど。

自分と異質な存在を察知すると現れる行動パターンは3つある。排除するか、無視するか、去っていくかである。

僕は塾教師を長年やってきた。様々な障害や個性を有する子どもたちを指導してきた。自分と同じ中学校の支援クラスや、擁護学級の生徒が入塾してくると、進学校を目指す子どもたちの何人かが塾を辞めていくことに、最初は腹立たしさを覚えた。

近年は僕はその状況を素直に受け入れている。言葉は失礼だが、いい学校に入ろうとして、弱者や障害者を排斥するこどもも、実は障害を持っているのである。

冷静に考えていただきたい。優秀な学校を終え、教員に採用された若者が、不良少年や問題児に対応できなくてノイローゼになるケースが多いが、もともと対応できない性質を持っていたのである。それも障害だ。

僕は4年前のブログで、自動車などに貼り付けてある『 I LOVE 障害者』というスッテッカーが大嫌いだと書いた。いろんな反響があった。

障害を理解しようなら分かる。障害者を愛しているというのは、偽善を通り越して、冷たさだけを感じる。それもなぜわざわざ英語なのだろう。言葉で人間の感情をごまかそうとするくらい、当事者を傷つけるものはない。

異質なものを阻害しようという心理の奥底には、異質なものへの恐れがある。それは自分が抱えている精神の危うさから来るものかも知れないし、自己保存の欲望からかも知れない。

かつて文明国の人間がもたらした天然痘やある種のはやり病が原因で、滅亡した部族や多くの島民がいた。よそ者を排斥する行動は、人間の魂やDNAが持っている自己保存のあらわれかも知れない。

しかし障害を持つ子どもの問題は別だ。自立ありきで障害を考えていかなければならない。障害を周りが理解し、支援ではなく共有を優先しなければならない。

繰り返す。障害者を排斥しようという心理も障害である。

奇声をあげて勉強を邪魔するとか、立ち歩いて集中ができないとかならまだしも、記憶力が悪かろうが、ちょっと風変わりな癖があろうが、顔つきがちょっと変わっていようが、それが何か迷惑になるのだろうか。

僕に言わせれば、訳の分からない香水をプンプンさせているオネイさんや、ところかまわずケータイで声高に話しをしている人のほうが、ずっと迷惑だ。

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