知識はまるで物質のようなエネルギーを所有している
教えるべきことを教えないことと、教えるべきことを教えられないことは一見違うように思えるけれど、結果としては同じような状況を生み出している。
教えることを生業にしたことがある人は経験済みだと思うが、自分が学んで知ったことを他人に教えると、何かが相手に移動して行くのを感じるものだ。知識はまるで物質のようなエネルギーを所有している。
教える側が絶えず補強しないと、空っぽになってしまう。だから教師は、昔とった杵柄で毎年指導を繰り返していると、いくら授業をしても生徒に伝わらなくなる。
なぜか。それは知識があっても、もはやそのものには与えるべきエネルギーがないからだ。
知識にエネルギーを復活させる方法は色々あるだろう。読書もそうだ。音楽を聞くこともそうだ。研修なるものを受け、新しい指導技法を身につけることも大切かも知れない。
僕が心がけていることは、生徒との対話だ。こちらから与えるだけではなく、ちゃっかり生徒からもいろんなことを教えてもらっている。
もちろん与えられている以上に、与えてはいるけれど(・・笑い)。
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