奇跡が創造されている
ありふれた日常という表現があるけれど、よ~く考えてみれば、そんなものはない。
毎日毎日が全く違う一日で、たとえ部屋に閉じこもっていても、毎日同じような天気が続こうとも、ありふれた日というのはない。
時の流れは生きとし生きるものを流転させ、降り注ぐ日の光は日々新たな歴史を作っていく。世界のどこかで、宇宙のどこかで、毎日どころか、一瞬一瞬に奇跡が創造され、命が生まれ、命が育まれ、命が召喚されて行く。
喜びの歓喜や、悲しみの慟哭は、人間のまさにありふれた感情の発露ではあるが、宇宙の営みそのものだ。
この時代に生まれた偶然は、実は偶然ではなく、一人一人が目に見えない愛の糸で手繰り寄せられた、宇宙の光や宇宙の意志の織りなすタペストリーであり、絵模様だ。
それが分かれば、他人を傷つけたり排斥することが、自分を傷つける行為でもあることが分かるはずだ。
つずれ織りなす人生の人間模様全てが、一人一人の想いが形作る連続性の絵模様であり、言葉が、視線が、そして想いが錯綜し、現実が構築されて行く。僕はそんなふうに考えている。
ありふれた出逢いも無いし、ありふれた人生なども無い。全てが精密なコンピューターの計算のごとく、人生が彩られて行く。
「俺はこんな人生を望んでなんかいない」そんな声が聞こえてくる。
表面的な意識はそうであっても、無意識(魂)が何かの意図を目的に、ある種の学びを選択している可能性もあるのではないだろうか。
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