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2012年11月10日 (土)

人生にはタイミングというものがある

相談事を伺うと、どの家庭にもそれぞれの問題というものがあって、そういった苦悩やある種の悲しみと同居しながら、多くの人達は人生を過ごしているだなと実感する。

経済的にも恵まれていて、一見幸福そのものと思える家庭の中に、実は言い知れぬ不安が横たわっていたり、また豊かに見えている家庭の台所事情が、火の車ということも少なからずある。

これは性格や魂の癖のようなものがあるのだろうけれど、自分の苦しみを一切吐露しない人は強そうにしていて、とても脆弱だ。家や車や身につけているもので、いくらカムフラージュしても、内実を知っているのは自分なわけで、24時間現実と向き合いながら自分を誤魔化し続けるのは難しい。

僕は貧乏人を馬鹿にする人間や、頭の悪い人間を見下す人間は大嫌いだ。そもそも一つの家がずっと豊かであり続けることはないし、優秀な家系の中には、稀人が生まれることもある。

貧乏であることも、頭が悪いことも、僕は魂の学びだと思っている。お金がないことや、学がないことを多くの方は嘆くのではあるが、実はそのような人生を選択しているのが自分であることに気づいている人は少ない。

僕は中学時代、遊び呆けて勉強をしなかったが、そのことが大人になって仕事を始めてから、非常に役立っている。勉強をしたくない、分からないという生徒の気持ちが僕の中にす~と入ってくる。

それは同情でもなければ、もちろん蔑みでもない。その子どものやる気のなさの原因が、僕の中に飛び込んで来るのだ。

人生にはタイミングというものがある。飛躍のため、魂が意図的に負の経験を希求しようとしているのを、無理に矯正しようとすれば、結果的には順調と見えるかも知れない人生のなかに、新たなひずみが生じることがある。

万事塞翁が馬、それぞれの人生は、実にうまく彩られて行くものだ。キワードは、自分が頑張る時だと思ったら頑張ることだ。休みたいと思ったら休むことだ。

とても単純なことだが、そのことを現代人は、お金や地位の獲得という幻想に振り回され忘れてしまっている。もっと自分の内なる声に、耳を傾けることが必要な気がする。

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コメント

かねごんさん、今晩は。記事になるほど~と共感いたしました。
「僕は中学時代、遊び呆けて勉強をしなかったが、そのことが大人になって仕事を始めてから、非常に役立っている。勉強をしたくない、分からないという生徒の気持ちが僕の中にす~と入ってくる。」これこそが、長い私塾運営を続けられている秘訣の一つのように感じました。この世に魂の経験をしにきているならば、一見意味がないように思われる事も実はとても意味があるのではという大きな視点で考える余裕をもつことが大切な気がします。人生にはタイミングが重要であり自分の内なる声に気づき受け入れる余裕と素直さが大切だと思いました。休む時と頑張る時のタイミングを間違えないようにとも。

(かねごん)
たんた様コメントを頂きありがとうございます。
僕は勉強がやりたくない生徒の気持ちがとても掌握出来る塾教師だと自負しています(笑い)。
中学時代の勉強のサボり具合は半端じゃありませんでした。ただし高校では苦労しましたが・・・。
人間は頑張る時に頑張ればいいと思います。それだけのことだと思います。
気持よく手を抜く時は抜き、やる時はとことんやればいんじゃないでしょうか。
そのほうが生きやすいですよね。

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