最近考えていること
僕の家には現在テレビがない。そして僕は携帯電話を持たない。故に考える時間がいっぱい持てる。
で・・・、最近何を考えているかというと古代の東北のことを考えている。古代と言っても教科書的な古代じゃない。中央政権がやって来る前のずっとずっと以前の昔の東北のことだ。
物部氏と蘇我氏が宗教戦争を始めるずっと前の、東北の神々に僕は思いを馳せている。
僕が崇拝する駒形神も、氏子になっている八幡神も、蝦夷を制定した中央政権が東北に持ち込んだ神だ。つまり東北の古代人が崇拝してた岩座や山そのものを支配者は封印すべく、中央から神様を持ち込み鎮座させた。
しかしそこは人間様の勝手な理屈であって、名前を変えようとも社を変えようとも、神々の本質は微動だにしない。我々の思考をはるかに超えた存在が、普遍性をともない東北に鎮座する。
神道であろうが仏教であろうが、その本質は変わらない。宗教は単なる入り口の違いでしかない。仮に到達点があるとするならば、その領域は同じだろうと思う。
キリストを崇拝しようが大日如来を信仰しようが、アマテラスを信仰しようが、究極に位置するものは、宇宙の真理であり、それ以外の何ものでもない。僕は50歳を過ぎてそのことを実感した。しかしあくまで実感したのであって、悟ったわけではない。残念ながら未だ煩悩の塊である。
僕は龍神オタクだが、その龍神がきっかけで、様々な神様との出会いがあった。震災後、古代東北の神様であるアラハバキの神様に導かれるように僕は、近隣の山を探索し始めた。一関の烏兎ヶ森の岩座を訪れ、平泉の束稲山の岩座を訪れ、そして衣川の月山の岩座を訪れ参拝をした。
古代人が環状列石に何を託したのか、なんとなく分かる気がする。巨石は地球のツボなのかも知れない。ある種の石には、人間の意識を拡張したり宇宙につながる何がしかのコンセプトを伝授するパワーがあるのだろう。そのことを古代人は知っていたのかも知れない。
早池峰の山頂に連なる巨岩や、大船渡の五葉山の山頂に切り立つ巨岩を目の当たりにし目を閉じると、僕は古代人のざわめきを感じる。
多くの現代人は、電磁波と高圧の電気器具にサンドイッチにされ、古代の人々が感知していた宇宙の調べや、宇宙の音楽を聞くことが出来なくなってしまった。残念なことだ。
僕らは宇宙を旅する旅人だ。地球に舞い降りた幸運に感謝しなければならない。
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