暦に思う
毎年この時期になるとカレンダーをいっぱい頂く。
基本的に一部屋に一つあれば足りるわけで、多くのカレンダーはメモ用紙や裏紙となり消費されていくのだが、なんとも申し訳ない気分である。
カレンダーを作る方としては、お金もかかっているし、毎年図柄のチョイスやサイズなど一生懸命考えているのだろうと思うのだけれども、会社名が全体の5分の1ほどの大きさで印字されているカレンダーは、センスがいい写真やイラストがあっても、ちょっと教室などには飾れない。
申し訳なさそうに隅っこにお店の名前があるカレンダーをたまに頂くが、ほっとする。
カレンダーと言えば、昨日新聞販売店から平成25年度版の福寿暦を頂いた。一白水星や四緑木星などと書かれている例のやつである。
来年の僕の運勢は絶好調らしい。悪い時は信じず、いい時だけ占いを信じる僕は極楽とんぼな分けだが、故になんとか生き抜いてこれたような気がする(笑い)。
暦には開運カレンダーなどどいうものがあって、百円ショップなどでも売っているが、吉方位や凶方位などが日々記載されていたりする。あれを信じている人がいるかどうかは別にして、あの通りに方位を気にしていたならば、間違いなく日常生活は崩壊する。
家の方角によっては、木を切っちゃいけないとか、土を掘り返してはいけないとか、この月は南に行っちゃいけないとか、色々制約があるわけだが、そんなことを気にしなくても、感謝の心を持ち、信心深い人は、ちゃんと守られている気がする。
人のために良かれと思うことは躊躇せず実行すべきだ。不運だと思う時こそ、他人のために尽くすべし。今年はこの方角は凶だからなどと躊躇していると、人生はあっと言う間に過ぎてしまう。
自称占い師や星座占いを信じて、動かないのも個人の自由だろうけれど、世の中ため人のために動こうとする人は、占いなど超越した世界で生きていると思うのだが、いかがだろうか。
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