この国が変わる最後のチャンスだ
塾生の何人かは、僕の塾が僕個人の所有だと思っていて、大家さんの家が、僕の自宅だと勘違いしている者がいる。22年間もずっと同じところで塾をやってきたものだから、勘違いされるのもしょうがないかも知れない。
僕はネコ型人間なのだろうと思う。一度気に入った場所からは離れられない性質のようだ。
放射能の影響で、野菜や米作りに気力をなくした僕ではあるが、生きることに投げやりになっている分けでは決してない。それどころか、この国が変わる最後のチャンスだくらいに思っていて、なんだか知らないけれど、理不尽さと戦う気力は十分ある。
福島では、放射線による子どもたちの健康被害が出ている。甲状腺異常の症状が多発している。宮城や岩手も今後が心配だ。
100ベクレル以内なら流通してもOKという国の判断が、どう考えてもおかしいだろうと怒り心頭なのだが、そのことに対して無反応の議員さんや学校の先生方が多いことに、また一人歯ぎしりをしているかねごんである。
近くの山で採れたキノコを測れば800ベクレルから1000ベクレルの値が出て、こどもの尿検査からはセシウムが検出されてしまうこの僕の町。小さな子どもを抱える家族の苦悩は人しれない。
そのことを無視していれば気分が悪くなってくるし、放射能のことをこうやって書けば書いたで、また気分が落ち込んでいく。
塾屋が騒いだところで何も変わらない。しかし何もやらなければもっと何も変わらない。
僕のところにはいろんな相談が寄せられる。表立って放射能のことを書いている被災地のブログなんて稀人だからだろう。
昨年放射能や原子力関連の記事を書き始めて頃、売名行為だろうとか、アクセス数を増やして塾の宣伝をしているんだろう的なコメントも頂いた。しかしその予想は残念ながらハズレである。
アクセス数が増えても塾生は残念ながら増えなかった(苦笑い)。僕が放射能の警告を書くことで、塾生の何人かの家族が一関を離れ、避難して行った。これはもちろん僕が予想していたことだ。小さな子どもがいて、仕事や経済的な状況が許すなら、0.25マイクロシーベルト(昨年の値)の空気線量がある町から、離れたほうが良いに決まっている。
福島や放射能のホットスポットで商売をしている方々のブログをたまに拝見するが、放射能の話題をする記事はない。その心情は痛いほどわかる。
ただ多くの方々が読んでくれているお陰で、様々な支援活動や啓蒙活動がしやすくなった事は間違いない。昨年は記事によっては、一日のアクセス数が6桁を超えたこともあった。塾の知名度はさっぱりだけれども、放射能警告ブログとしての認知度は高まってしまった感がある。
ブログには訪問者の滞在時間や記事に対するアクセス解析がついている。僕が塾や教育のことを書いた日は、滞在時間が数秒で終わるアクセスが急増する。笑っちゃいけないけれど、ほとんどの方は僕にそんな記事を期待してはいないようだ。
昨日も書いたが、このブログのデザインを一新した。まるで塾ブログのような画面になったが(笑い)、今後とも、雑念の多い記事が続いて行くのだろうと思う。
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