人間にとって品格は大切だ
最近固定観念を打ち破る訓練を僕はしている。
常識であるとか、慣例化していることを客観的に見ることを強化している。結構気づきがある。
ここ数年僕のブログを読まれてきた方は気づかれていると思うが、僕が一番生きる上で気をつけていることは、想いのエネルギーである。
人が考えている以上に、相手を想う力は多大な影響を及ぼす。従って何かを始める時は、敵を作ってはいけなし、他人の幸福を考えない商売や活動は成功しない。
法律に引っかからなくても、自分の心にやましいことをしていれば、その負の想念が失策を生み出す。
恋愛も、仕事も、学問も例外はない。身勝手な行動は必ず身勝手な思いが伴う。
お金や権力を多くの人達は欲する。そのことは決して悪いことではないだろうが、品格が伴わない金持ちや権力者の晩年は、多くの方が知っている通りである。
人間にとって品格は大切だ。魂の偏差値が品格になって現れる。
利己的な人間とそうじゃない人間を見極めたかったら、1回酒を酌み交わせば一目瞭然だ。カラオケで人の歌を聞かないで、選曲をしている酔っぱらいは、しらふでも人の話を聞かない自己中の人間である。
競争心は大切だが、度を越すと阿修羅の世界の魔物に取り憑かれる。暴君という魔物だ。会社や学校や家庭で、この魔物が牙をむき出すと、崩壊が始まる。
優しさも大切だが、度を越すと自分を見失う。他人を許しすぎていると、自分の人格を喪失してしまう。
振り子も、ブランコも勝手に動いているように見えるが、必ず支えである支柱や軸がある。人間にとってそれは、愛だ。
教育に今その愛が欠如している。取り戻さなければならない。
« 人に本当のことを言うと、相手は激怒することを知っているだろうか | トップページ | まだ時間はある »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- せっかくの人生だもんね(2018.07.05)
- 長旅から帰ってまいりました(2018.05.04)
- 神様を信じている人と信じていない人の違い(2018.04.26)
- 4761回目のつぶやき(2018.04.11)
- 流転(2018.03.25)
コメント