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2012年10月18日 (木)

言葉は人格であることを忘れてはならない

モラルがない人が教育を動かすのだから、軽視されるのは当たり前なのかも知れないが、
日本のアイデンティティーを保持するためにも、方向転換をしなければならないと私は思う。

ロンドンオリンピックのメダリストたちが天皇陛下とお話になり、そのコメントにもやはり驚いた。
どの選手も、「天皇陛下に~と言われた」と言う言葉を使っていた。
そう言う言葉に違和感を感じる私も歳なのかも知れないが、やはり耳障りである。
こういう教育もやはりすべきではないかと思う。【とよ爺先生の記事より抜粋】

 とよ爺先生のブログ記事には、いつも共感する記事が多いのだけれども、僕もロンドンオリンピックに出場したアスリー卜たちの敬語の使い方には、違和感を感じた。

敬語は上下社会の遺物だと言う方もいるが、僕は目上の人を敬うことは、人間として当然のことだと思うし、尊厳のある生き方だと思う。言葉はその人の人格であり、感性だと僕は思っている。故に社会にでた人間は、しっかりとした言葉を持たなければならない。

会社に入った新入社員が、半年もして慣れてくると、仕事が出来る先輩や上司に対して「神っすよね」などという言葉を使うという。尊敬の念を示したつもりの言葉だろうが、きっと上司は苦笑いだろうと思う。

学校でも塾でも、教師に対して俗に言うタメ語で話しかけてくる生徒がいる。微分積分や分詞構文を教える前に、教えなければならないのは、しっかりした言葉だ。

大人は若者に迎合することも大切かも知れないが、威厳をもった言葉と態度で接することは大切なことだと思う。

とよ爺先生がおしゃるように、日本を代表するオリンピック選手が、「天皇陛下に~と言われました」では、やはりお粗末である。

言葉は人格であることを忘れてはならない。

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言葉」カテゴリの記事

コメント

敬語について、ある講演会で聞いた話です。
『敬語をしっかり使うということを、殊更に言うと国粋主義だとか、差別だとかいう人がいる。しかし、社会に出てまず必要とされることは敬語だ。営業マンがきちんとした敬語も使えないでは、お客さんからクレームの嵐。上司に可愛がられるのも、きちんと敬語が使える人。敬語を使うというのは、今や一つの武器になるんです。』

国語教育の先生の講演だったと思います。
社会人になってから習った敬語ではなく、子どもの時から染みついた敬語が使えれば、本人も楽でしょうし、周りも違和感がないと思います。残念ながら、大人でも、学校の先生にタメ口の人がいます。子どもはそれを見て、そんなものだと思うのでしょう。

武器になるほど、今は敬語を教わる場所がないのでしょうか。(親が教えるべきだと思いますが)

(かねごん)
G様コメントを頂きありがとうございます。
まさにそうだと思います。しっかりした敬語を使えることはいい意味で武器だと思います。
言葉がしっかり使えこなせることは、すばらしい能力だと思いますね。
子どもとタメ口の親が多いのは、やはり問題だと思います。

かねごんさん、こんにちは。20代のメダリストたちが陛下から頂いたお言葉をどのような言葉を使って表現されるのか興味があり見ていました。メダリストたちのコメントを聞いて「ああ、やっぱりこの程度なのかな」という残念感がありました。大切な場面で正しい敬語を使えないのは、戦後数十年たって生まれた世代というのも影響している一つと感じます。正しい敬語が身についていないこと以上に心配がありました。私たちにとって一番欠かせない天皇陛下を尊敬する心は、子どもたちに育まれているのか。かねごんさんのこの記事を取り上げていただいたことで子どもには、「天皇陛下」を尊敬し感謝を持つ心をしっかり伝え「正しい言葉使いと敬語の使い方」を普段から意識したいと反省しました。

(かねごん)
たんた様コメントを頂きありがとうございます。
言葉の乱れは、人間性の乱れに通じるような気がします。
自ずと感謝があれば言葉は整っていくと思います。生かされていることへの感謝、忘れないようにしたいものです。

こんにちは。私も敬語がまともに使えない類いの大人ですが、「それじゃあどう使えば良いのだろう?」と、ネットなり文献なりで調べれば良いのですが、世の中にはせっかくかねごん先生などのこうした文章を読んでも、調べるところまでは至らない人も多いように思います。

世の中は文字離れが言われて久しいですが、せめて調べるところまでは行かずとも、文字を拾ってくれた人のために、「せめてここは〜と言って欲しい」といった、回答を表示しておくこともひとつの方法ではないかと感じます。

もちろん自分で調べて身に着けるのが一番ですが、いきなりそこまで求めてもやらない人はやりません。それよりもっと敬語なりマナーなりを、できる限りわかりやすい形で普段使いの言葉の中に出して行くこと、目に触れるようにする事が大人の責任なのかなと感じました。

(かねごん)
川越様コメントを頂きありがとうございます。
若者にとって、敬語を使いこなすことはとても難しいことは確かです。
それ故に、若い営業マンの方がしっかりした敬語を使って話しかけてきたりすると、気持ちがいいですね。
会社や組織が、敬語を教えなければならない時代なのでしょうか。

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