季節は晩秋から冬に向かっていく
一関の街路樹もだいぶ色づいてきた。中学校の文化祭が終わると、季節は晩秋から冬に向かっていく。寒くなってくると無性に聞きたくなるのが、ビリエバンスのピアノだ。
一関市は音楽が盛んな町だ。特にジャズに関しては、聖地と言われるジャズ喫茶ベーシーが40年近く凄まじい音を演出し、多くのジャズシーンを築いてきた。この聖地、実は僕の塾から徒歩2分である。
また僕の癒しの場所を提供してくれるジャズの老舗モリソンは、コーヒーがめちゃくちゃうまく、仕事で疲れた心をホットにしてくれる。マスターの奥様が作るパスタは絶品です。
ジャズ喫茶ではないけれど、一関市千厩にあるしゅうちゃん先生の伊庄整体院もジャズが清らかに鳴り響く素敵な空間だ。かつて音楽パブを横浜でやっていたしゅうちゃん先生だけあって、クライアントを癒してくれる曲の選曲は素晴らしい。
とにもかくにも秋は、僕にとってジャズの季節である。受験指導が忙しくなる季節、軽トラックのCDプレーヤーから流れてくるジャズが僕を鼓舞し、ジャズが岩手の田園風景の中に溶け込んでいく。
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かねごん様
無沙汰しております。ジャズが好きで、仕事場が著名な喫茶店より徒歩2分の地にあるとの由、恵まれた環境ですね。その喫茶店ベーシー、名前だけは何度も聞いたことがあり、様々な人々の紀行随筆も読みましたが、勿論、実際に訪問したことはありません。
達意の文に釣られ、お薦めのジャズ・ナンバーの演奏動画をクリックしたのですが、この演奏時間が半端ではないですね。岩手県の人は、何事にも真面目なのでしょうか、共有動画の「推薦」にさえ「リキ」が入っていますね。興味深い音楽の紹介、有難う御座います。
軽度のジャズファンならば、この季節には時々、「枯葉」を聞くぐらいで満足。その動画サイトには、様々な「枯葉」が掲示されていますので、正に選り取り観取り。良い時代になったものです。
お元気で。
(かねごん)
Yozakura様コメントを頂きありがとうございます。
岩手はジャズが旬です。
親友のアメリカ人が驚いていました。ミシシッピーよりジャジーだと。
吹き抜ける風や、日の光がジャズに合うのでしょうか。
投稿: Yozakura | 2012年12月19日 (水) 08時54分
かねごん様
返信を拝読しました。故郷・一関市とジャズへの深い愛着、それはかねごん氏の生活と一体化している模様ですね。了解しました。
> 岩手はジャズが旬です。
> アメリカ人が驚いていました。ミシシッピーよりジャジーだと。
("jazzy"と云う形容詞があるんですね。軽度のジャズ・ファンは、初めて知りました。)
同様の感想を纏めた随筆が、只今、私の手許にあります。 ご関心あれば-----と思い、以下に勝手に転記します。ほぼ11年前に公表された記事ですが、今読んでも、十分に楽しめる内容です。
御不用であれば、削除なさって下さい。失礼しました。
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標題:ベーシーの変人たち
執筆者:石山修武(建築家)
発表の日付:2002年01月17日
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ベーシーの菅原正二からFAXレターが届いた。三十年前のJBLの新品のアンプをいきなり贈り届けられたと言う。ベーシーは岩手県一関市のジャズ喫茶で、菅原はそこの主人だ。
エッ、まだジャズ喫茶なんてものがあるの、と大方の人は仰天するかも知れぬ。ジャズ喫茶どころか、ジャズそのものの勢いに陰りがある。ジャズは一九六〇年代にピークを迎え、それから衰退した。絶頂期の後には、必ず退潮期がある。今更、言うまでもない歴史の定理である。
それはともかく、ジャズ喫茶ベーシー三十年の歴史は、ジャズの興亡と共にあった。本場アメリカンのジャズの大御所カウント・ベーシーにちなんで名付けられ、ジャズのメッカであった。
菅原はオーディオ界では、知る人ぞ知るの人物でもある。それ故、ベーシーのアンプ、スピーカーから生み出される音だけを目当てに遠くから聴きに来る人だっている。
ベーシーの音は筋金入りの古い音だ。レコードにレコード針をのせて、真空管アンプを通し、工夫をこらしたスピーカーで聴かせる。アンプは良い状態を保つため三十年間、スィッチを切らずにある。世界の何処にも、こんなジャズ喫茶はない。
最近、アメリカの若いジャズ・プレイヤーが、此処に来て腰を抜かして帰ったという。最盛期のジャズの音を生まれて初めて、聴かせられたからだ。音は姿形を持たぬから、美術館に保存することが出来ない。菅原のジャズ喫茶は、アメリカにも無いジャズの保存再生庫でもあるのだ。
不思議な事に衰退に向かうと、必ず守ろうとする人間が現れる。それでアンプを黙って贈りつけて来たり、レコード針を絶やさぬ心配りをしたりの人も現れる。皆、少々変人なんだろう。
しかし、こういう変人こそが、これからは生き方の手本になるだろう。進歩前進成長を旨とする価値観のベースからは自由な人達だ。衰退期には、あらゆる文化が熟成するとも言われる。
ジャズ喫茶ベーシーは、それを物語る。
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標題に今一度、ご注目下さい。「変人たち」と複数形になっております。愛好者に対する、執筆者からの最高級の賛辞でしょう。お元気で。
(かねごん)
Yozakura様コメントを頂きありがとうございます。
そして貴重な記事を添付頂きありがとうございます。
菅原正二さんはすでに70歳を超えましたが、僕よりずっと若く見えます(笑い)。
いろんな伝説を作ってきた菅原さんですが、ジャズの魅力を岩手一関から放射し続けるジャズのパイオニアです。
本当にジャズはいいですね。
投稿: Yozakura | 2012年12月21日 (金) 15時10分