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2012年9月 7日 (金)

民主主義教育の崩壊

学校教育とは何かという問いかけが、何度も何度も繰り返えされてきた。楽しい学びのはずが、苦痛以外のなにものでもないと感じる子どもたちがたくさんいる。

いじめの問題も、不登校の問題も、激増する保健室登校の現状も、その根っこには同質の人間の弱さや闇が横たわっている。社会の溝と言ってもいいかもしれない。

親も子どもたちも、そして教師も努力が全てだと思っている。努力をしない人間は成功しないという規則を勝手に作ってしまっている。

そのことが努力を放棄した人間に、不安を与え続ける。いや恐怖と言ってもいいかもしれない。脅かされ諭され続け、子どもたちは、自分たちの能力を力を否定されていく。残念だ。

学歴がないからと言って諦め、お金が無いからと言って諦め、自分の現状が自分の人生だと勘違いして人生を終わっていく。

大きな成功や小さな成功の差は、努力や能力の差だろうか。僕は決してそうは思わない。やりたいことをやらず、やらなければならないことに全力投球しているからだ。

僕らは完全に洗脳されてきた。仕事は忍耐だ。勉強は忍耐だ。楽をしてお金など儲からない。人生は甘くないんだ。そしてその通りの社会を作り、僕らはインチキの民主主義のなかで育ってきた。

一部の特権階級のために、働くことを強制されてた労働者であり続けることを放棄しない限り、僕らに真の自由は幸福はあり得ない。

学校の指導要綱を考えつく文科省の官僚などは、子どもたちの真の学力向上など考えていない。いかに予算をうまく巡回させるか、いかに教員数を維持する時間数と、教科指導をリンクさせるか、そんな辻褄合せばかりやっている。

1ヶ月一生懸命汗水流して働いているのに、20万円の給料に満足してはいけない。自分より仕事をしない人間が、50万円の給料をもらっているのを黙っていてはいけない。忍耐力は人生の理想と目標を見失ってしまう。僕らは奴隷じゃない。

僕らは明確な目標とその目標の達成のためな具体的な計画さえ立てられれば、必ず成功する。それができないのは、教育の現場や会社で洗脳されてきたからだ。

歴史を見てみれば簡単だ。江戸時代キリスト教を禁じた理由は何だったろうか。平等や愛に国民を気づかせたくなかったからだ。

当たり前になっている学校の学級制度。学校側が決めたクラスに素直に収まり、決められた先生に黙って教わっていく。授業が分かりません。先生の態度が気に入りませんとで言うものなら、暗黙のブラックリスト。

終身雇用制が確立していた時代ならば、少々能力が無くても融通が利かなくても、まじめに働きさえすれば、労働者の家族の生活は保証され、年金という安全弁が老後を支えてくれた。そういった時代には、学級の中で人間関係の空気感を読み、忍耐やバランスをとる訓練は必要だったかも知れない。

しかし今の社会はどうだろう。個性の尊重などという言葉が虚しく響く学校教育だ。クラス担任も選べない。教科担当の先生も選べない。部活を変えようにも、何個もはんこを貰わなければならず、それだけであきらめてしまう。

小さい頃から花よ蝶よと育てられたお王子様やお姫様が不登校になるのは当たり前だろう。生徒個人の資質や家族環境の問題点を考える前に、学校制度のシステムを抜本的に替える時期に来ている。

これ以上どれだけの数の、不登校生や中退者を学校は生み出すつもりだろう。教科の自由選択、受験科目の自由選択。、そして教師を選択する自由を与えない限り、新世代の子どもたちの教育はますます大変になっていく。

お金持ちにはお金持ちの教育。貧乏人には貧乏人の教育。そんな日本の教育を見ていると、民主主義教育の崩壊を感じる。トップダウンシステムの教育はいらない。

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