ぼやきブログ
ついに一昨年のお米がなくなった。
百姓をやっているのに、スーパーでお米を買ってきた。
北海道米の『きらら』。
レジにお米をぶら下げて並んでいたら、なんか泣きたくなってきた。
「俺、百姓だよな」
「なんで九州の野菜を買ったり、北海道のお米を買ったりしなきゃいけないんだろう」
安全ですだと。
ばかやろう!
そう呟いて僕は財布からお金を取り出した。
百姓仕事でなんとか20年間賄ってきた家計は、火の車だ。
22年間乗り続けてきた軽トラックは、11月に10回めの車検がやってくる。
新しい車を買いたいのはやまやまだ。
でもお金がない。
毎日寝る暇も惜しんで働いてるのにお金がない。
塾は儲かるだろうだって。
被災地の田舎の塾はどこも青息吐息だ。
塾長先生方はみんなバイトにいそしんでいるよ。
でもね。
塾で学んでいる生徒には関係ないことだよ。
一生懸命勉強してもらって、合格に導くのが僕らプロの仕事だ。
たまたまでっかい地震がやって来て、津波が襲って、そして放射能がばらまかれちまったけど、悔しいくらい穏やかな日常が過ぎていく。
なんだろうこの感覚は。
福島も宮城も岩手も、街を歩くと、海岸線以外は数年前と何ら変わらない風景だ。
でもやっぱり何かが違う。
うまく言えないけど、違う。
空気が重いんだよ。
魂のため息が聞こえてきそうな空気って言ったらいいのかな。
どんよりしている。
この空気感のなかで、子どもたちを鼓舞するのは正直しんどい。
でも行動を起こさない限り次のステップは生まれては来ない。
今夜、家族ときららを食べながら、僕はそんなことを考えていた。
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