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2012年9月 2日 (日)

さざ波

小さなことから大きなことまで、日常は本当に様々なことが生じて波紋が起こり、そのさざ波は人生を彩って行く。

僕は普通のことも、ヘビーなこともなるべくフラットに考えることにしている。すべてが必然。偶然を装っていろんな学びがやってくる。

経済のこと、教育のこと、そして会社や学校の人間関係、親子関係、日々さざ波は押し寄せる。時にそれが大波になることもあり、本当にドキドキだ。

夏になるとスイカ割りをやる。今年は大きなスイカが自宅の畑にできたが、そんな余興をやる気分にはなれず、今年はスイカ割りなしの夏が過ぎて行った。

手ぬぐいを目隠しにして、周りの声を頼りにスイカに直進するあのドキドキ感は、なんとも言えない。周りの声を頼りにするのだが、どこかに自分の感覚を信じたい自分がいる。

実は日常の様々な出来事も同じで、物事を掌握している人間の意見に従えばよさそなものだが、どこかで自分の意志で突き進みたい自分がいる。

こうすれば物事が上手く行く的な、そんな方法論に反骨したくなるのが、人間の性だ。ひょっとしたら自分だけが例外じゃないだろうか。何をやっても自分の運は人とは違うんじゃないだろうか。そんなことを考えることはないだろうか。

一方、スイカ割をしている当事者にアドバイスする人間の感情も見てみよう。

スイカを割らせたいと思う反面、早く割られては余興がつまらない、ちょっとだけルーズ感のあるアドバイスをと思ったことはないだろうか。

実はこの感情のゆらぎが、様々な波紋をもたらす。

実は世の中に生じるゆらぎは、スイカ割りのアドバイスや、自分に対する意志のゆらぎほどでしかないように僕には思う。

だから深刻になることはないし、自分の意思決定に強烈な自己責任を感じることもない。僕はそう思う。

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コメント

なるほどなあ。さざ波ですか。
そうかもしれません。

ときに大波になってドキドキするのは、確かにその通りですね。さざ波の揺らぎが重なり合うと大波になるという比喩はよく分かります。

波は繰り返し寄せては返すものだし、さざ波があるのが当たり前と思っているほうが気持ちの上では楽かもしれませんね。

一つ前の「神様のうんちく話」といい、興味深い記事でした。

(かねごん)
小林先生こんばんは。コメントをありがとうございます。
最近不思議な偶然が僕の身辺で頻繁に起こり始めました。
つまりは『必然』なのかも知れませんが、ちょっと、まさかというようなことが連続しています。
さざ波でしょうか・・・

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