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2012年9月

2012年9月30日 (日)

黄金神社

今日は宮城の小牛田にある山神神社に、女房と参拝に行ってきた。木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)を祭るこの神社は、東北山神神社の総本山的存在だ。なかなか厳しい凛とした雰囲気の神様がいらっしゃる。

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子育て・安産の神様として敬われている神様に、僕は正直に資金援助・商売繁盛を祈願してきた。

行きは4号線を南下して小牛田に向かったのだが、帰りは気仙沼・南三陸方面行きの道をチョイスした。初めての道である。

車で20分ほど走った頃だったろうか、涌谷町の山間にはいると突然巨大な黄金色の鳥居が現れた。

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黄金神社の鳥居だった。車を急停車。僕と女房は黄金という名前に魅了され参拝してきた。奈良時代、聖武天皇が東大寺に大仏を造る際、奥州から金が献上されたのだが、この黄金神社のある山の金が使われたそうだ。

偶然遭遇した黄金神社。これは木花開耶姫命の導きだろうと思う。社の前で祝詞をあげさせて頂いたが、例の青点が僕の眉間に点滅した。御札を頂き帰路についたが、なかなか良い感じである。

今日は神社参りの一日でした。

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滅亡のカウントダウン

電源開発(Jパワー)は28日、中断している大間原発(青森県大間町)の建設工事を年内にも再開する方針を固めた。同社幹部が10月1日に地元を訪れ説明する。昨年の東京電力福島第1原発事故後、建設中の原発の工事再開は初めて。

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 政府がまとめた新たなエネルギー・環境戦略では原発の新増設を認めない方針を示しているが、枝野幸男経済産業相は「建設途上のものは原則の外側にある」としてすでに着工した原発は建設継続を容認する姿勢を示していた。産経ニュース

もし人類が滅亡するとしたら、それは間違いなく教訓を生かせない暴走を止められなくなった時だろう。

原子力開発関係者は、麻薬患者と同じ。隔離して治療をしなければ治らない。よっぽど快楽が大きいんだろうな。この施設を造るということは。

*福島や青森になぜ原子力発電所が造られたのかという歴史的考察を、興味深い観点から友人の小林先生が書いています。お読みください。

 

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2012年9月29日 (土)

本音は必要だ

人は本当のことを言われると怒る。だからお互いに、本音は言わない。それで社会がうまく行けばいいのだろうけれど、時に本音は必要だ。

感情を害されることは確かに面白くないことだが、そこで気づかないと進歩はない。

人の言葉に従順でなくてもいいが、人の言葉を理解する智慧は必要だ。だから勉強をしなくてはいけない。

歯の浮くようなお世辞を言われ始めたら、警戒したほうがいい。そんな時こそ魔が忍び込む。

嫉妬や策謀の裏返しは褒め言葉だ。本当に尊敬している相手にたいして、軽々しく歯の浮くような褒め言葉は使わない。

塾もそうだ、やたら指導を褒める保護者に限って、手のひらを返すのも早い。要望や希望を進言してくる保護者様のほうが長い付き合いになる。

最近体験入学者の生徒の入塾率が低い。5連敗中だ。実は僕の指導方針を聞くこともなく、月謝の金額だけを聞いて、生徒だけをよこす保護者の方が増えている。

子どもに塾はどうだったときっと聞くのだろうが、もし僕が勉強が好きでない子どもなら、間違いなく『僕には向かない』と言うだろう。親が指導方針を聞くこともなく、子どもに塾の選択権をあたえる教育はいかがだろうか。

体験入学で、教室に入ってくるのに、「こんにちは」「よろしくお願いします」の挨拶をしない生徒が最近は多い。終わっても黙って帰って行く。

ここだけの話だが(笑い)、そういう生徒に対しては、入塾のプッシュはしないし、親御さんにも強く薦めない。僕は体育系の人間なので、そこは譲れない。あいさつは基本だ。

今日は僕の本音でした。

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2012年9月28日 (金)

人材がいない

アメリカを非難したとある僕の記事に対して、迷惑コメントが英文で連日送られてきていた。毎日コメントを削除するのも疲れるので、本日その記事に対するコメントのブロック措置をとった。

5年間で2600ほどの記事を公開してきたが、特定の記事に対してコメントのブロック措置をとったのは今回が初めてのことだ。

震災以降、アメリカは過剰反応をするこが多い。どうもきな臭い。

揺れ動く世界情勢の中で、今日本は、激流の中の笹舟のごとくアップアップ状態だ。震災の復興、失業対策、そして放射能の問題と、国内が火の車だけでなく、ここに来て島の領土問題までもが激化し、中国13億人の民が日本製品の不買運動を起こし、まさにてんやわんやである。

民主党がどうの、自民党がどうのと言う問題ではなく、今の日本には、国を背負って引っ張って行く人材がいない。

戦後、アメリカの主導による似非民主主義の中で育てられた僕らは、多数決の原理に慣らされ、個々の決断の能力を奪い取られてきてしまった。その結果がこの政治のありさまだ。

常にアメリカにご機嫌伺いをして、日米安全保障条約という名のもとに、軍用地を占領され、挙句の果てに余ったウランを押し売りされ、この小さな国に多くの原子力発電所を作ってきた日本。

東北がこれほど原子力のために汚染されたにもかかわらず、青森で建設中の原子力発電所の工事を続行する決断を、日本政府は下した。全く国民の声が届いていない。

どこぞの共産主義国家と変わらない・・・・。

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『はずだ』の世界

人生の最大の敵は、自信の喪失だと思う。そういった意味では、今の教育は子どもたちから自信を喪失させる教育が施されている気がしてならない。

ここまでやれば大丈夫だという指針がないほど、辛いものはない。やってもやっても終わりがないのが確かに学問だと思うが、ガイドラインが欲しい。

教育指導要綱や、れっきとした教科書があるのに、何を言っているのだと思われるかも知れないが、30年あまり受験指導してきて実感していることだが、入試問題に於ける文科省の指導要綱などというものは、はじめから形骸化している。

入試問題で、これは教科書に出ていないので削除などという話を聞いたことがない。この教科書の公式が理解できれば、この問題は解けるはずだ、というのが出題者の主張で、入試は、『はずだ』の世界が延々に構築されていく。

例えば中学入試や大学入試の問題は、学校のメンツもあるのだろうが、必ず難問奇問が登場する。僕は捨て問題として生徒には無視させるが、真面目で神経質な生徒は、これらの問題も解かなければと、必死になるものがいる。

その問題に数時間費やす時間があったら、もっと有意義な時間が確保出来るのにと思うのが、僕の考えだ。

一方入試要項を毎年眺めて僕は考える。真の学力とはなんだろう。人間にとって必要な知性とはなんだろうと。

一般入試を敬遠し、AO入試や推薦入試で受験する高校生が、大学入試の全体の半分以上を占めている。作文と面接で合否が決まる。

極端から極端への入試の天秤の揺れ幅は、ますます学力格差を生み出し、実態のない知性を掌握できない企業や会社は、ますます学閥社会へと傾いていく。

受験勉強を逃げ出した若者達は、自信を喪失し、最高学府という幻想にすがりつく。進学高にいなければ、普通の入試問題が解けない時代だ。その他の学校では、受験レベルの内容に入れない。そういう意味ではAO入試が救いなのかも知れないが、せめて本当の意味の基礎学力を試す問題提示が必要なのではないだろうか。

高校入試もそうだ、英語は長文読解がすべて。簡単な文法を理解しても解けない。入試で20点以下の中学生が続出する。問題が簡単過ぎると、進学校を受験する生徒が、みんな満点をとってしまい優劣が使いということのようだが、中間層がいない入試問題は、いかがなものだろうか。

『3年間中学校で勉強して、僕のレベルはこんなものか。』そんな声が聞こえてきそうだ。やる気の前に、自信を喪失する子どもたちが多くいる。

昔の入試のように、技術教科の導入がそろそろ必要な気がする。

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2012年9月27日 (木)

ベストバラード・ チョイス by かねごん

今日は全くの僕の偏見と自由度で選んだ、ベストバラードを紹介したい。

ウイズアウト・ユーいつ聞いても名曲です。

キャロル・キングのYOU’VE GOT A FRIEND この曲を聞くと、僕はいつでも青春時代に帰ることができる。

ジャニス・イアンの空気感は静謐だ。

 

ノラ・ジョーンズのこのアルバムを買ったのは、このジャケットの素晴らしさから。

中年おじさんが選んだ懐かしのバラードは、やっぱり女性ボーカルでした。あしからず。

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僕は教え子たちに足を向けて寝られない

僕は小学5年生の時に、自分の夢と題する作文の中で、歌手になることと書いた。その作文を書いた当時のことを鮮明に覚えている。

夏は全員でサッカーや野球をやり、冬は卓球をやる小さな小学校だった。楽器がやれず、譜面も読めない自分が、何故に歌に興味をもったのか、非常に疑問なのだけれど、無性に歌を歌うことに憧れた自分がいた。

生まれて初めて買ったLP盤のレコードは、グレープの『精霊流し』の入ったアルバムだった。その前に買ったドーナツ盤のレコードは、麻丘めぐみの『芽生え』だったので、その変遷は激しい(笑い)。さだまさしさんの詩の世界に強烈に惹かれた。

このLPを買った後に、フォークギターを僕は買った。もしという言葉はあまり使いたくはないが、もし僕がこの曲と出会わなければ、ギターを弾くことはなかったかも知れないし、音楽にのめり込み、受験を失敗することもなかっただろうと思う(・・苦笑い)。

昨日のブログで、ある職業に就けなくて塾教師になったと書いたが、音楽産業関連の会社をかたっぱしから会社訪問して、玉砕した。

22歳で塾教師になってからは、クリエーターとしての音楽とは決別した。ジャズやブルースをこよなく愛する、リスナーとして僕の音楽嗜好は継続されて行く。37歳の時まで。

塾生の一言が、僕の人生をまた変えた。

たまたま塾で、学生時代に作った曲を披露した。『先生ライブやろうよ』突然僕の音楽が復活した。塾生がチラシを作り、会場を探し、音響に詳しい塾のご父兄の方にまで応援を頂いた。

塾をやっていなければ、こんな奇跡も起こらなかっただろうと思う。そのライブが誘い水となり、小学校でのミニライブが始まり、講演会に招かれ、FMで僕の曲が紹介され、そして38歳の復活ライブを見てくれた当時の塾生が、大学を終えテレビ局に入社し、彼が映像を編集し、僕の音楽活動をテレビで紹介してくれた。

僕は塾生に多くのパワーをもらい、生かされてきた。

先月、頑張り屋の児童が塾に入ってきた。きっかけは学校の担任の先生が、僕の塾の卒塾生。本当に感謝である。僕は教え子たちに足を向けて寝られない。

どっちに向いて寝たらいいだろうか・・・・。

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2012年9月26日 (水)

塾の興亡

今日中学2年生の男子生徒が僕に聞いてきた。

「先生はどうして先生をやっているの」

とてもとても哲学的な質問だ。言葉に詰まった。自分はどうして先生と呼ばれる仕事についたのだろう。

気がついたら先生と呼ばれていた。

もうすぐ10月だ。就職活動をやった30年前を思い出す。5年間のブログの中で確か2度書いた話題だが、希望した職種に就けなかったので、とりあえず塾教師になったら、30年が過ぎていた。

僕は、塾教師は日の当たる職業じゃないと思ってやってきた。そしてその劣等感をパワーにしてきたような気がする。

別に行きたくなければ行かなくていい所、塾。その塾に存在価値を生み出そうと、僕は悪戦苦闘してきた。

忍耐や努力でなんとかなるものなら、塾経営は楽勝だろう。そんなにたやすいもんじゃない。

学校と同じ事をやっていたら、間違いなく廃業だ。かと言って生徒に媚を売っていたら、やはり塾は続かない。

資本があるわけじゃない、専任講師を雇える余裕もない。個人塾の興亡をいやというほど目にしてきた僕は、自分を信じて、自分のできることをやるしかなかった。

僕を救ってくれたのは塾生だった。生徒に恵まれた。

「先生はどうして先生をやっているの」

『君たちが塾に来てくれるからだよ』 僕は心で呟いた。

本当にありがたい。

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2012年9月25日 (火)

無いコマは振られない

昨年の夏前は、雨が降ると線量計の値が上がった。そして今は、雨が降ると線量計の値が下がる。

刈り取った草が焼却された今年の夏は、風が吹くと線量計の値が上がる。一関市は全域の公園の除染を決めた。しかし山沿いの場所は、放射能の値が高かろうが低かろうが、除染ははっきり言って無駄だろうと思う。

除染を行うことで、地元の土建業者にお金がおり、そこで働く人の仕事が確保されるという点においては無駄ではないだろうが・・・・

四方八方を山で囲まれている地域は、いくら除染したところで、雨が山のセシウムを里に運び入れ、乾けば風が放射能物質を拡散する。放射能値の高い場所には、小さい子どもを近づけない、遊ばせないを徹底するしかない。

何度も警告をしてきたように、被曝が心配で心配でしょうがない人は移動すべきである。放射能なんて気にしないと豪語する人は、せめて自分の加入している保険を見直し、将来の万が一に備えるべきである。

癌になったら国が補償するだろうなんて思ってはいけない。裁判所に訴訟を起こさない限り、国はだんまりを決め込むし、ひょっとすると無視するかも知れない。

薬害エイズもそう。水俣の時もそう。歴史が証明している。

しかしである。人生はピンチの時が逆にチャンスである。不安と猜疑心が錯綜する時代だからこそ、間違いなく人間の魂は進化する。

努力は幸福を創造する最大のアイテムだ。「何も気にしない人が楽よね」という声を聞くが、決してそんなことはない。自分の命を防御することは、未来に生まれ来る人を救うことになる。

自分が生きると決めれば、生きていくのだ。自分がダメだと思ったらダメになる。無理をしなくていいのだ。自分が出来る範囲で、最大の努力をすればいい。

金が無くったって、仕事が無くったって、あきらめてはいけない。最高の時が続かないように、最悪の時も続かない。最悪が続いていたらラッキーだと思えばいい。必ずあきらめなければ怒涛の運気がやってくる。あきらめないことだ。

聖書にもあるように、空を舞う鳥たちは、明日の食料や宿を心配などしない。すべてが鳥たちのために用意されている。それが神心だ。僕らはヤワじゃない。大丈夫生きる糧は必ずある。

毎日放射能値を気にし、天気を気にし、ツイッタを眺めてはため息をついている暇があったら、働いて働いて引っ越すお金を工面すればいい。引っ越す気がないのなら、心配する振りなどやめて、明るく前向きに暮らせばいい。きっと免疫力があがり、判断力も増すだろう。

無いコマは振られない。

子どもへの放射能を心配した友人家族が、沖縄に一関から引っ越した。自宅の押し入れを、子どもたちのためにかいぞうしてもらったり、看板を作ってもらったり大変お世話になった友人家族だ。元気に暮らしているようだ。沖縄のパワーにあやかろうと、自宅の神社の狛犬を、ことしの春先にシーサー狛犬にした。

なんだか知らないけれど、そうしたら瀬織津姫やら弁財天やら十一面観世音菩薩やら、神様が一杯まわりにやってきた。頑張れということだろう。僕は頑張る!

さて僕は家内に内緒で旅行を計画している。お金はないが、計画を決めたらなんとかなるような気がする。どこに行くかって?10年ほど前から行きたかった場所へ、気ままな一人旅である。

これで来月の23年目の軽トラックの車検は決まりだな。車の買い替えはおわずけだ。そう言えばテレビも調子が悪い。壊れたらもう見なければいい。NHKの受信料も払わなくていいし、ラッキーだ。

明日は高校の授業が1時間目だ。寝よう!

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瀬織津姫が溢れだした

今年の夏、早池峰神社に祀られている神様が瀬織津姫の神様だと知ってから、僕の頭の中は瀬織津姫だらけになってしまった(笑い)。

早池峰には10回以上は登った。真夜中に月あかりを頼りに電灯も持たずに登ったことがある(みなさんは真似しないでくださいね)。それほど早池峰の山は知り尽くしていた僕だったが、神様のことまでは知らなかった。

そもそも早池峰に導かれたのは、早池峰の神楽に魅了されての事だった。新聞で、山開きの日に頂上で早池峰権現の舞が神事として行われることを知って、早池峰に行ったのがそもそもの始まりである。

そしてその頃から自分でも全く理解に苦しむのだが、龍神に惹かれていった。龍神の置物を見ると買いたくなるし、龍神の掛け軸を床の間に掛けては、一人悦に入っていた。病気である。

実は僕の自宅のそばに雷神を祀る小さな神社があるのだが、その神社の鳥居のそばには早池峰の石塔が立っている。かなり大きいものだ。この神社の総代を5年前から引き受けているのだが、江戸時代に早池峰の石塔を立てた地域の方々は、この石塔に何を願ったのだろうか。この神社から早池峰まで、もし歩いて神様を勧請しに行ってきたとしたら、いったいどれだけの時間を要したのだろうか。いまでこそ車で往復すれば5時間の道のりだが、その情熱を思うと、心がじ~んとする。

瀬織津姫が十一面観世音菩薩であることが、神道や仏教界の常識であることもつい最近知った。また共に水の神様で、龍神の化身であることも知った。またウエーブで神道研究科のサイトを眺めると、瀬織津姫=弁財天とか、瀬織津姫=国常立命などという主張も登場する。

この話を詳しくし始めれば、それこそ原稿用紙100ページほどの長さになってしまうので、今日は詳細は控えるが、瀬織津姫は日本で一番古い神様であるという意見が多いのである。

縄文時代岩手の北上高地を中心に信仰されてきた岩倉信仰やその後現れたアラハバキの信仰が、瀬織津姫信仰の原型じゃないかと語る研究者がいる。確かに瀬織津姫を祀る神社は圧倒的に岩手の北上高地に集中している。

国常立命(くにとこたちのみこと)とをwikpediade調べると下のような説明がなされている。

天地開闢の際に出現した神である。『日本書紀』本文では、国常立尊が最初に現れた神としており、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記している。他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっている[2]。『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記される。『記紀』ともに、それ以降の具体的な説話はない。

この神様については艮の金神であるとか、古代日本にやってきたアマテラス系の神様に、東北に封印された神様であるとか、神道系の研究書の類のなかでは諸説紛糾している。

一方では、瀬織津姫は山神である木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)や白山の神様である菊理媛神とは同一神でないかという説が多く聞かれるが、確かに一緒にこれらの神様が祀られている神社は多い。

偶然かどうかは分からないが、早池峰神(瀬織津姫)の石塔が祀られている僕の自宅のそばの神社からわずか車で5分のところに、木曽の御嶽山から勧請された、立派な御嶽山神社がある。ここの祭神は国常立命である。そしてそこから直線距離で50メートルほどのところに、奥州17番札所・龍雲山大祥寺があり、なんと十一面観世音菩薩が祀られている。

そのことも最近気づいたのである。瀬織津姫の神様が、僕の身辺で溢れだした。なぜかわくわくするかねごんである。

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2012年9月24日 (月)

久しぶりの卓球

僕は自分のことを5年間も書き綴ってきたものだから、ほとんど隠し事がない。毎日使える小遣いの金額から、頭の悪さまで世間に筒抜けである。

書き始めた当初、家内や息子たちに「あまりプライベートなことは書かないでよ」と注意や脅かしをされた(笑い)。今は完全にあきらめたようで、家族写真を載せない限り、ほぼ検閲を受けないで済んでいる。

僕が全く面識がない方から、フレンドリーに声をかけられることがある。僕のことを何かと知っている(・・笑い)。『ブログを書いているかねごんさんですよね』と念を押されれば最後、白状するしかない。乗っているおんぼろ軽トラック。そして無精髭に禿頭。バレバレである。

ところで昨日は久しぶりに卓球をやって汗を流してきた。3年生も受験勉強の忙しい中、県大会を決めた後輩のために練習に付き合ってくれて、本当に助かった。

ずっと日曜日は試合のベンチコーチが続き、自分がラケットを握ることがなかった。中学1年生の初心者君に、サーブの出し方、腕の振り方などを伝授し、そこそこの汗をかいてきた。

午後に墓参りに行くつもりが、あいにくの土砂降り。午前中の卓球疲れと、雨音が心地良かったのだろうか、茶の間で熟睡してしまい、目が覚めれば早夕暮れ時。あわてて家内と墓参りに行ってきた。

実は東北大会に出場したときに、卓球部の育成会OBよりご祝儀を頂いていたのだが、墓参りの後、遅まきながら、お返しを渡しにおじゃましてきた。

かつての卓球少年は今や立派なレントゲン技師。昔話に花が咲き、心が和んだ日曜日だった。

ところで、昨日やってきた3年生に「受験勉強が忙しいのに悪いな」と、繰り返したところ、嫌味ですかと言われた。嫌味ではない。冗談を言っただけである(笑い)。それにしても、身体を動かすのは気持ちがいいものだ。重い波動がとれた気がする。

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2012年9月23日 (日)

どうすれば子どもはヤル気が起きるか

30年間の塾教師生活の中で、一番相談を受けたのが、『どうすれば子どもにヤル気が起こるのでしょうか』という悩み、いや教育の真髄とも言える親御さんの叫びである。

自分の経験や、指導してきた子どもたちの経験知で話すことは楽だけれども、時として想像を超える深遠が横たわっている時もある。

僕は神社・仏閣好きな中年オヤジだが、実はこの物好きにもそれなりの理由がある。僕も一応先生と呼ばれたりする輩なものだから、それなりに教育関係の本を読むことはある。発達障害や感情障害、しいては30年前から日本の心理学書に突如として表れたトラウマなる用語に関する様々な提言に目を通してきた。

しかしである。そういったいわゆる心理学関係の範疇を超越した現象に出遭う時、僕は人間の本質とはなんだろう、人間の思いとはなんだろうと、立ち止まり思案に明け暮れることが多かった。

今僕の家内が取り組んでいるシュタイナー教育を読み込んで行ったのも、そんな状況の打開を考えてのことであったし、塾の本棚に置いてあるちょっと怪しい書籍も、何かのヒントになればとの、探究心のあらわれである。

裕福な家庭の子どもがいる。貧しい家庭の子どもがいる。親の経済力が間違いなく子どもの教育環境を左右する。しかしもっと左右するものがある。それはその家(血脈)に流れるエネルギーだ。この事を研究すれば、間違いなくオカルトや占いの類にはまってしまう。僕はその狭間の世界で揺れ動いたこともあった。

聖書を読み、古事記を紐解き、民俗学や神話学の世界に耽溺した時もある(実はいまもそうであるが)。僕は何を知りたかったのか。それは人間の死や、魂と呼ばれるものの本質を知りたかったからだ。そのことを無視して、もしくは知らないふりをして教育は語れない気が僕はしている。

たまたま頭がいいとか、たまたま障害を抱えているとか、そういった偶発的な感覚で人間の特性や性質を解釈する先には、なにも解決策は見いだせない。うつ病ですと言えば薬を処方され、精神疾患があれば病院に隔離される。優秀な生徒は、優秀な学校に入り、スコップや鋤を持つこと無く人生を終えて行く。

多くの先駆者たちの思想や想いが、彼らの死と共に消滅してきたならば、この地球に於ける進化は、これほどまでに精神性を重んじた社会の構築に繋がらなかっただろうと思う。

医学が進歩し、化学の研究が進む中で、物理的・生物学的人間としての解明は飛躍的に解き明かされてきた。解明されてきたからこそ、逆に理解に苦しむ現象が増えてしまったのも事実だろうと思う。

20歳の時に祖父がなくなった。前世も来生も信じない無神論者の若造っだった僕は。本当に戸惑った。本当に悲しかった。人間は死んだら火葬されて無機質になってしまう。こ人間の人生にはなにか救いはないのだろうか。そんなことをしばらく考えていた自分がいた。

高額なお金をふんだくり、葬儀屋宗教になってしまったお寺や、弱者を食い物にするインチキ宗教が蔓延していった時代、時を同じくして、学校では、不登校や学級崩壊などどいう言葉が新聞やメディアで取り上げられるようになっていた。そして時代はバブルに突入する。

それからしばらくして、僕は大学を卒業し、塾教師としての人生を歩むことになるのだが、あることを勝手に決めた。それは世の中には神様がいるということ。この人生は一回きりの人生ではなく、輪廻転生する魂の世界であると自分で決めた。

それから、本当に不思議なことがよく起きるようになった。本を読んでいて、気になる言葉が出てきて調べようと思っていると、翌日知人の先生から、そのことに関する本を偶然紹介されたり。

神社庁の冊子を読んでいて、この神社のご神体はこんな神様なんだ、ちょっと行って参拝してこようなんてノリで、その神社に行ってみると、数日後にその近くの生徒が塾に入ってくるなんてことがちょくちょく起きる。

人間というのは、目に見えない糸で繋がっている、思いのさざ波のようなもので、生かされている存在なのではないかと僕は考えている。

来年で僕の塾の卒塾生が700名を超える。50冊ほどになった22年間の指導ノートを眺めてみると、学ぶことがどれほど大切かを実感する。堆積する思いはやがて未来への自分に反映される。

人生は快楽と自己保存に流される営みではない。なぜ学びが必要なのか、親御さんは子どもと真剣に語り合ってはどうだろうか。心が決めたことは、やがて実現する。

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危険信号が点滅している

放射能に関して正直もううんざりだ。

政府の対応ばかりではなく、疑心暗鬼が被災地に暮らす人たちを分断してしまった。放射能を気にしていない人はいない。しかし気にしないふりをしている人は多い。

避難した人を変人扱いする人間。避難しない人を、数年後には癌で死ぬぞと脅す人間。

言論の自由は誰もが持っている。当然のことだ。でも僕ら東北人は怒りの矛先が間違っている。

僕は今までに1300のコメントを公開してきたが、200くらいのコメントは公開せず削除してきた。公開することで、多くの人が不快になるコメント、何らかの組織的な意図を感じるコメント、営利目的のコメント、そして削除をお願いされたコメントを消してきた。

なぜ公開してくれないのかと、追い打ちをかけるコメントがやってくる。そうかと思うと、腹いせなのか、何度も何度も迷惑メールをよこすものもいる。それを覚悟で書き続けているブログだ。書いている僕もある意味命がけである。

震災後、ブログを始めた被災地のブローガーの多くの方がブログを閉鎖した。きっと僕と同じような経験から疲労困憊したのだろうと思う。

本当は避難したいのに、のっぴきならない理由で避難できない人間に対して、「命が一番大切ですよ」というのは、真実ではあるが、無償避難をさせ、仕事や住居を提供しなければならない東電とその東電を野放しにしてきた政府に、物言わない我々東北人は切な過ぎる。

ある方がコメントしてきた。避難するのも地獄、しないのも地獄だと。またこんな声も聞かれた。助かる時はどこに居ても助かるし、助からない時はどこに行っても助からないと。

完全に思考能力が低下し、感情で物事を捉える人間が増えてきている証拠だ。危険信号が点滅している。

放射能の特性を知り、危険を回避する努力を放棄し、確率論や偶然の幸運に頼ってはいけない。

毎日書いて疲れないですか。昨年はよく言われた。物好きのブローガーとでも思われていたのかも知れない。僕のブログは、エロサイトから放射能ブログまでいろんなところに貼り付けられているようだ。従ってアクセス数は多いが、ほとんどの人は素通りしていく。アクセス数など気にしない。僕は毎日もしくは定期的に僕のブログを読んでくださる方のために書いている。

不安と疑心暗鬼で毎日を生きることほどつまらない人生はない。免疫力が低下するばかりだ。お金も仕事ももちろん大切。家族も子どもも言わずもがなである。

あれほど一関市の放射能が騒がれたのにもかかわらず、放射能の線量が低い町から、一関一高附属中学を受験する児童が多かった。気にしていない人は気にしていないのである。

一関の放射能の警告を書いている僕のブログを読んで、沿岸部から僕の塾にきてくれた生徒がいた。人の考えはランダムに拡散する。

あそこは危険だから行くな、と言われれば言われるほど行きたくなる人間がいる。そろそろこのブログも考えた方がいいのだろうか。

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2012年9月22日 (土)

2000冊はすごい

今年の4月から、非常勤講師で行っている私立高校で、僕はアメリカ人講師2人と、週3回英語の授業をコラボで担当している。

僕は30年近く中学生や高校生に塾で英語を教えてきた。大学受験英語の指導は2流以上だと自負してきたが、英会話力は5流だろうと思う。

今風のアメリカ映画を字幕なしで見ることがあるが、正直訳の分からないフレーズに頻繁に遭遇し、自分が嫌になる。

最近は分厚い英英辞典と英和辞典を手放さない状況の毎日である。大体は言ってることが分かっても、専門的な話題になるとギブアップという状況が訪れる。困ったものだ。

今日電子辞書を持っている先生や生徒が増えてきた。僕は驚いた。せいぜい広辞苑や歴史辞典、英語やフランス語・ドイツ語辞書等が入っているものと高をくくっていたら、なんと日本の文学作品が1,000冊、英文の文学作品が1000冊、合計2000冊があの小さな電子辞書の中に入っているのである。言い忘れた。数学の公式集も入っている。

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なんだか重たい辞書を抱えて歩いている自分がピエロに思えてきた。電子辞書無用論を唱えてきた自分の信念が揺らいだ一日だった。(あくまでも揺らいだのであって、降参したわけではない)

金額を聞くと、2万円から3万円で買えるらしい。僕の物置に眠っている書籍類が、この機械1つに収まるとは、自称宇宙人も驚きである。

しかしである。やはり英語の語感や雰囲気をキャッチする点に於いては、英語辞典は昔ながらのペーパー辞典がいいと頑固に主張したい。そこだけは譲れないかねごんである。

それにしても2000冊はすごい・・・・・。

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2012年9月21日 (金)

急に秋がやって来た

急に秋がやってきた。今年の夏は異常だった。8月から9月の半ばまで、毎日温度計は32度超えの猛暑だった。

2日前から涼しくなったが、昨日は体調を崩し午前中一杯床に居た。なんとか午後の高校の授業と塾の仕事をこなしたが、夏の疲労の蓄積がここに来て出たのだろうか、頭痛と胸の息苦しさが続いている。

今日も出勤時間ぎりぎりまで寝ていた。今年の夏は、いろいろな活動があって、日曜日は全てオフ日ではなかった。ハードスケジュールが続いた夏だったが、気温が下がり、身体も油断をしたのだろうか、どうもぱっとしなかった。

明日の土曜日は、朝9時から夜遅くまで指導が入っている。高校の定期テストが終わって、今度は中学校の中間テストがやってくる。身体をしゃきっとしなければならない。

病み上がりの身体に今日の雨は、恵の雨だった。ジョン・コルトレーンのアフターザ・レインを聞いたら元気が出てきた。

せっかく涼しい季節がやってきたのだから、頑張らねば・・・・

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2012年9月20日 (木)

「棄民」

友人の学び舎・小林先生のブログを引用させて頂いた。

ちょっと考えてみれば、私たちがとんでもない状況に置かれていることに気がつくはずである。チェルノブイリの事故はたった1基の原子炉が起こした事故だった。福島は3基がメルトダウンを起こし、運転停止中の1基が使用済核燃料プールという爆弾を抱えている。これ以上悪い状況があるのだろうか。

しかもこの先、真の収束まで何十年かかるか分からないのに、汚染された土地に人々を住まわせ続けようとする。除染どうのこうのの問題ではない。福島第一の現状は決して安定したものではないのに、その危険な土地に近い所へ人々をとどめておこうとするのは何故なのだろう。

東日本大震災以来、ずっと頭の片隅から消えない言葉がある。「棄民」。福島の人々も東日本沿岸の津波被害を受けた人々も、みな見捨てられていくのではないか。

放射性物質が広く降下し、放射性セシウム137によって汚染された広大な面積を除染するのは現実的に不可能だろう。特に山林に降下した放射性物質を取り除くのは無理だろう。低線量被曝が避けられない状況にあるのだが、そのことについて公的な機関からは何もアナウンスがなされない。低線量であれば健康に害が出てこないという見方を公式見解にしているからなのか。

いずれにしても、非日常も日常化してしまえば、何も感じなくなる。何も考えなくなる。福島の原発事故はまだ収束などしていないのだし、津波の被害を受けた東日本沿岸の復興はまだまだこれからなのだということを、改めて意識しなければならない。

僕も小林先生も生粋の東北人だ。どこを切っても東北人の血が流れてくる。福島第一原発が崩壊してから、僕はずっと考えていた。東北人は見捨てられたのではないだろうかと。

チェルノブイリの惨事を読めば読むほど、東北はもっと深刻なはずなのに、だれも政府の要人達は、そのことに言及しない。テレビも新聞も、小林先生が書いているように、まるで原発の事故が収束したかのように沈黙をしている。

これから一体どんな未来が東北に待っているのだろうか。

『気にしてもしょうがないがら』 よく聞かれる言葉だ。

出荷される野菜や果物以外の食材は、線量を計ることも食卓に上がっている。小さな子どもたちを守らなければならない大人たちが、麻痺してきている。

僕らは「棄民」であっても、凛として生きて行かなければならない。この東北で。

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由々しき問題だ

文部科学省の国立教育政策研究所が、全国学力テスト4回分の傾向を分析した結果、小学6年生の半数近くが、小5までに学ぶ「小数のかけ算・割り算」の意味を理解していないとみられることが分かった。

 同研究所は、小6と中3が参加した2007年度から10年度までの4回分のテスト結果を今回初めて一括して比較調査した。全国学テでは同一問題は出題されないため、同種の問題を比較した。

 深刻な課題が見られたのは、小6の算数。小数が絡む「□×1.2」や「□÷1.3」など四つの計算式のうち、式の答えが「□」に入る数字より大きくなるものを選ぶ問題の正答率が45.3%など、類似した小数に関する問題の正答率がいずれも低く、最高でも55.7%だった。

 「5×1.2」のような単純な計算の正答率は高い傾向にあるという。

 同研究所では、「低学年で学んだはずの小数やそのかけ算、割り算の意味が理解できておらず、指導方法を再検討する必要がある」と指摘。全国学テの検証が学校での指導の見直しに役立てられていなかった面があるとして、全国の指導的立場の教員を集めて説明することを決めている。読売新聞

僕の塾に来ている小学生は、附属中学を狙う小学生たちなので、文科省が指摘するような傾向の子ども達はいないのだが、問題は中学生である。

中2の理科の単元が気象に入ると、湿度を求める計算が出てくるのだけれど、半数近くの生徒が小数点の割り算の計算が出来ない。これは由々しき問題だ。

従って電気のオームの法則も、小数点が出てきた時点でギブアップになる生徒が多い。小学生に文字式や確率を教えるのもいいけれど、文科省の指導要項を真に受けて進めていると、とんでもない穴が生じてしまう。

中学校でも高校でも少数のわり算なんて教えてくれない。だから大学生になっても計算機命の学生がいるわけで、筆算ができない日本人が増えていく。由々しき問題だ。

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こんな塾があってもいいかな

夏期講習の新規生に、いわゆる継続の案内・促進・電話を一切しない。

現塾生に増コマの提案などを一切しない。

入塾金や俗に言う維持費といった不透明な費用の請求もしない。 

友達紹介のキャンペーンも今は全くしていない。

月謝滞納者に対してこちらから電話したこともない。

退塾を申し出た方に引き止めをしたこともない。

月謝を口座振替にしていないのも、辞めたい時にいつでもすっと辞められるためでもある。 

他塾がどうだ、一般的にはどうだというのは一切気にしない。

通うか通わないか、全ての選択権は子どもや親御様にある。こちらは待つのみである。

上の文章は、四畳半スクールの永田先生のブログの記事を拝借したものだ。塾屋としての感性が非常に僕と似ていると思っている。ただし永田先生は、僕と違ってカッコよく若々しいのだが・・・・。

体験入学に来た生徒がいれば、入塾勧誘の電話なりDMをするのが普通の塾だが、僕はやらない。夏期講習の外部生への勧誘もしない。

21年間で30人ほどの塾生が指導半ばで退会していったが、引き止めたのは僕の記憶では一回きりだ。

『通うか通わないか、全ての選択権は子どもや親御様にある。こちらは待つのみである』全くそのとおりである。

大きな塾のように何人も先生がいる塾ならば別だが、ほぼ一人で教えている個人塾は、どうしても生徒との相性というものがある。いくら立派な教室でも、設備が良くても、先生の雰囲気がダメ、というケースもあるだろうし、教室がボロくても、先生を慕って集まる塾もあるだろう。

指導力はあっても生徒が集まらないし、合格実績が全てではないところが塾の難しさだ。

おまえの塾はどうなんだと問われれば、震災前と塾生の数はあまり変わらない。生徒数は逆に増えているかも知れない。ただしコマ数が半減している。以前は生徒数が少なくても、週3回コースという生徒が結構いた。今は数名を除いて、ほとんどが週1コースである。

かと言って僕は永田先生と同じで、増コマの提案など一切しない。それぞれの家庭の事情というものがある。

夏休み前に親御さんと進路面談をする塾が多い。あれは、志望校の相談と言うよりは、夏期講習の勧誘面談である。貴重な親御さんの時間を僕は無理に剥奪したくないので、数年前からやめた。

悩み事はメールで頂いている。僕はパソコンを自宅にしか所有していないので、すぐ返答は出来ないのだけれど、塾生や保護者の皆様、遠慮なくご活用ください。

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遠野物語

早池峰神社のことを調べようと、久しぶりに遠野物語を手にとってみた。

軽く流すつもりが、引きこまれてしまった。若い頃読んだ遠野物語と、様々な民族学や神話学を読んできた今の自分が感じる面白さは、天と地ほど違った。遠野物語はとんでもない書物だ。

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山神や奇っ怪な現象の裏に読み取れる、農民の暮らしの激情ともとれる信仰や諦観の姿にしばし僕は息を飲む。

すべての神話や伝説には間違いなく、そこに暮らす人々の歴史がある。そしてその歴史は決して過去の遺物ではない。遠野物語は現代に暮らす我々の深層に、忘却していた人間の情念を呼び覚ます。

過酷な労働の中で一生を終えていく農民の唯一の楽しみは、祭りの宴であったり、一夜の逢瀬であったりする。山の幸と、そして荒ぶる神に左右される農耕の収穫。彼らの命は神頼みであり、時に異界の住民への憧憬を生み出す。

閉鎖的な山村で、いく世代にわたって繰り広げられる婚姻。遺伝子的な劣勢が、やがて神の子と称する誕生を生み出す。河童伝説や、馬神や蛇神の子を孕んだなんどの話が語られていく。

遠野郷に限ったことではなく、岩手の街道を走ると、至る所に石塔が立っている。その1つ1つに、悲しみや畏敬の伝説が語り継がれてきた。

僕の異界探索はまだまだ続きそうだ。

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2012年9月19日 (水)

反日行動の激化

【北京=川越一】日本政府による尖閣諸島国有化に抗議する中国国内の反日デモは、満州事変の引き金となった昭和6(1931)年の柳条湖事件から81年の18日、北京や上海、遼寧省瀋陽など少なくとも100都市で行われた。日本人2人が同諸島に上陸したことに対し、中国外務省の洪磊報道官は報復措置を示唆。中国当局の強硬姿勢を受け、反日行動はさらに規模を拡大しかねない。

 北京では約5千人、上海では約1万人がデモに参加。広東省広州でも計約1万人が日本総領事館が入るホテル周辺などに押しかけた。中国当局はデモを容認する一方、武装警官らを多数動員して暴徒化防止に努めたが、記念式典が行われた瀋陽の「九・一八歴史博物館」周辺で日本国旗が焼かれたり、北京の日本大使館や瀋陽の日本総領事館の窓ガラスが割られたりするなどの被害が出た。

 当局は公務員のデモ参加を禁じ、大学生に外出しないよう指示。15日以降、広州や陝西省西安などで暴徒化した参加者を拘束するなど統制を強めてはいる。しかし、一部暴徒の蛮行はやまず、日系の企業や飲食店の多くは休業、北京や上海、広州、山東省青島の日本人学校も臨時休校した。産経新聞

中国に於ける邦人企業が襲われる事態が続いている。尖閣諸島を日本が国有化したことによって被った日本企業の損失は、間違いなく尖閣諸島を国が買い取った金額、20億5千万円を超えただろうと思う。

中国と日本の友好関係は完全に崩壊したと言ってもいいだろう。昨年は平泉の中尊寺に行っても、宮城の塩釜神社に行っても、聞こえて来るのは中国語。境内には、日本人より中国人の方がはるかに多かった。今は殆ど中国人の観光客の姿はない。

僕は仕事や卓球関係で、中国からやってきた方とお話をする機会があるが、複雑な気持ちだろうと思う。

日本と中国の歴史は本当に激変の繰り返しだった。古代、飛鳥時代から始まった遣隋使によって、日本はどれだけの恩恵を中国から得ただろうか。中国の存在がなかったなら、今の日本の文化や感性は存在しなかっただろう。

明治になって近代化を目指した日本は、中国への進出(中国人からみたら侵略)をすることで、領土の拡大と資源の確保を策略していった。東の端っこにある小さな国に、侵略された中国人のDNAには、日本人に対する怨念が染み込んでいるに違いない。

塾の生徒が言っていた。「あんな小さな島、中国にあげればいいのに」

僕も塾生の意見に概ね賛成だ。これ以上日本に対する被害を拡大させてはいけない。

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2012年9月18日 (火)

そろそろ・・・・

僕はいつも貧乏話を書いているが、本当は金持ちになりたい。当然ながらお金はないよりあったほうがいいに決まっている。

僕なりにお金を稼ぐ方法を考えてはいるのだが、なかなか状況は難しいようだ。

お金持ちになるためのHOW TOものを本屋さんで手に取ることがある。僕の人生は、お金持ちとは真逆の人生を送ってきてしまったようだ。残念だ。

女房にいつも言われることだが、お人好しが服を着て歩いているのが僕らしい。お金にならないことをついつい引き受けてしまう。一種の病気だろうと思う

僕の塾に通って来ている生徒さんの親御さんの職業は様々だ。家庭のことを全く話さない生徒はもちろんいるが、結構気さくに話してくれる生徒もいる。

個人でお店をやっている保護者の方がいれば、なるべく利用するようにしているが、何分外でお酒を飲むことがない僕なので、ご無沙汰しているお店も多い。

今日は中学生の塾生に、「お母さんが一関で床屋をやっているから先生髪を切るときはきてね」と言われた。

「僕の髪は特殊だからな・・」と言ったら、「ひげがあるからだいじょうぶじゃない」と言われた。お店の位置まで教えてもらったので、近いうちに行こうと思う。

文房具にしても古本にしても、CDにしてもインターネットで何でも安く買える時代になった。店を構え、商売をやっているひ人にとっては、厳しい時代だろうと思う。

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最近瀬織津姫の猛烈なファンになった僕は、まさか十一面観世音菩薩なんてAmazonで売っていないだろうなと思ったら、なんと売っていた。観音様までインターネットで即買える時代になった。すごい時代だ。

ところで瀬織津姫を祀る神社は、圧倒的に岩手県に集中している。瀬織津姫を祀っている早池峰神社の数が岩手に多いと言うのも理由だが、その他にも『滝』や『池』『瀬』などの水に関係する漢字が付く神社に、瀬織津姫の神を祀る神社が多い。龍神信仰との繋がりも深いようだ。

そろそろ龍神様に、お金を工面できますようにと、正直にお願いしようかな・・・・。

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てんやわんやである

我が家では似た大きさの男が3人いる。身長ほぼ170の息子二人と僕だ。足の大きさも同じ。違うのは、息子たちの体重が50キロ台なのに対して、僕が70キロを超えていることだ。

下着やパンツ、そして靴下に名前があるわけじゃないので、干した洗濯物が座敷に取り込まれ後の、自分の下着類を探すのが大変だ。

特に次男も僕も卓球をやっているので、似たようなシャツや靴下が堆積する日々。息子は高校に出かける朝、ウエアーやパンツ探しにてんやわんやである。

靴下はなるべく同じ柄のものを買うことにしている。そうじゃないと相棒を失った靴下が座敷や茶の間に見捨てられ、はかない寿命を終えていく。靴下とて決して安くない。管理ができない息子達や僕に、ため息をつく女房であるが、家族5人全員がO型家族というアバウトが性格家族である。

きっと自宅教室をやっていなかったら、ゴミ屋敷状態になっていたのではないだろうか。そんな気がする

農家というのは、どこの家もそうだが敷地が広い。草刈りやら納屋の掃除やら、本当にてんやわんやだ。稼働率が悪い割には維持が大変だ。そして今回の放射能汚染。農家離れが加速するだろう。

今年も、お米の放射能検査が終わらないうちは、お米の刈り入れをするなとの回覧が回ってきた。牧草地も刈り取られないまま放置されたところが多い。

僕の住んでいる地域では、跡取りが都会に出てお年寄りだけになっている農家や、伴侶の縁がないまま50歳を過ぎた農家の長男も多い。きっと放射能のセシウムが半減期を迎える頃は、田んぼを耕す人がいなくなっているのではないだろうか。

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いつの日か耕地はやがて自然に帰っていく。休耕田を3年も放置すれば雑木が生え、10年もすれば雑木林になっていく。

穀物や野菜がダメなら花の栽培に切り替えようかとも思うが、果たして僕にその体力と時間があるのだろうか。僕の人生に隠居生活は無さそうだ。

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2012年9月16日 (日)

東山でのシンクロニシティ

今日と昨日は中総体新人戦。一関市東山町での卓球大会に出向いた。先月東北大会に出場した花泉中学は、がらりとメンバーも替わり新チームでの初陣であった。決してうまいとは言えない選手達ではあるが、なんとかどうにか団体の県大会出場をもぎ取った。

いつも会場になる東山であるが、花泉から会場に向かう途中いつも気になる神社があった。今日初めて会場に向かう朝、車を止めて神社の案内板を見た。

【保呂羽三嶽神社の案内板】

保呂羽三嶽神社は康平五年(1062)源義家の建立と伝えられ御嶽神社と貞享二年(1685)金田備中守が勧請建立と伝えられる保呂羽神社とを明治三十五年(1902)合祀し保呂羽三嶽神社として保呂羽山に鎮座されている
祭神は

御嶽神社
金山毘古命
建速須佐之男命(八坂神社)
誉田別命(八幡神社)

保呂羽神社
伊弉諾命
伊邪那岐命

古くから霊験あらたかな、お社として諸祈願等御利益があると伝えられ、江戸中期にかけて、郡内は勿論他県よりも参拝者が多く、特に祭日には家内安全五穀豊穣商売繁盛等の祈願に訪れる人が賑って来たといわれています。

例祭日 旧3月25日
     旧9月25日

案内板なるものを初めて見たのだが、神社を勧請した人物が、たまたま僕と同じ名字である。もしやと思い、試合が終わった後、山を登り神社に参拝してみた。

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往復1キロほどのちょっとした登山だったが、予想した通り山神様(木花開耶姫命)が祀られていた。千厩の金田神社にも山神である木花開耶姫命が祀らている。金田という地名や名前には理由は分からないが、山神である木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)が頻繁にリンクしてくる。

かくいう僕も10年ほど前から、突然木花開耶姫命が気になりだした。不思議な現象だ。そればかりか、最近は同じ山神である瀬織津姫が僕の生活に頻繁にリンクしてくる。

今朝も不思議なシンクロニシティが起こった。上の看板を眺めた僕は、会場近くのコンビニに立ち寄った。栄養ドリンクを買おうと思ったが、レジに多くの人が並んでいる。人が少なくなるまでと思い、雑誌コーナーに立ち寄り週刊誌を手にした。

開いた一発めのページに、十一面観世音菩薩の写真が掲載されているではないか。十一面観世音菩薩は瀬織津姫の分身でもある。また現れたシンクロニシティに僕は唖然とする。

単なる偶然ではないと思う。僕はそう信じたい。

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2012年9月15日 (土)

人生の旅日記

ブログに対して頂いたコメントが、昨日で1300件を超えた。ほぼ5年間での達成である。

貴重な時間を、僕のブログのために割いて頂き感謝申し上げます。

毎日書きたいことを書いてきた。いったい何人の方が僕のブログを読んでくれたのだろうか。多くの賛同のコメントを頂いたことが、書き続ける原動力になってきた。本当にありがたい。

もちろん、僕の記事に対して怒りや不快さを感じた方もいるだろう。個人的な思い込みゆえ、数々の無礼もあったに違いない。気分を害された方にはこの場を借りて陳謝したい。

僕のブログは一応塾ブログであるが、塾の知名度よりも、このブログがひとり歩きしてしまった感がある。

「ブログ見てますよ」本当にいろんな場所で、声をかけられることが多くなった。

社会的な発言が多かったゆえの勘違いなのだろうが、「かねごんさんは立候補でも考えているんですか」などと言われることも少なくない。

200パーセントあり得ない。そんな器ではないし、22年乗ってきた軽トラックを買え替えることが出来ない僕が、そんな資金を持ち合わせているわけもない。

ジャズやブルースを愛し、卓球を愛するメタボの中年オヤジである。仕事は塾教師。専門は一応英語だけれど、小学生や中学生の教科は全教科を教えている。そんな日々が20年以上続いてきた。

放射能汚染問題で、我が女房はしきりに転居を主張してくるが、塾生を一関に残し、皆さんそれではごきげんよう、というわけにはいかない。

僕同様、金銭面や諸々の事情で、この地に住むことを余儀なくされている方は多い。住むからには、被曝を避ける事が何よりの重大事だ。健康診断も不可欠である。

僕は今日も市内のスーパーに買物に行ってきたが、献立に合わせて食材を買うのではなく、関西や九州の食材があれば、それに合わせて献立を決めるのが我が家の日課になっている。

申し訳ないが、山積みにされている地元の食材は買う気にはならない。

僕のブログにコメントをくれた方の中には、僕のブログがきっかけで、小さなお子さんを連れて関西や九州方面に引っ越された方がいる。

放射能の話題を書き始めた当初、暴力的なコメントを随分もらった。「不安を煽るな」というような内容が多かった気がする。正しいメールアドレスを添付して頂いたコメントは、すべて公開とし、僕なりの返信を書いてきたつもりだ。

僕の人生の旅日記は、もう少し続きそうである。もう少しだけお付き合い頂ければ幸いである。

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尖閣・竹島問題

日本政府が尖閣諸島の国有化を決めて以来、反日感情が高まっている中国で、現地に住む日本人が暴行されるなどの被害が相次いでいることが分かりました。

 上海の日本領事館によりますと今月10日の夜以降、主に上海の日本人が多く住むエリアで歩道を歩いていた人が中国人から「日本人か」と声をかけられて脚を蹴られたり、突然、ラーメンを顔にかけられ目を負傷するなどの被害が相次いでいるということです。被害はこれまで6件報告されていて、主に午後9時以降に起きているということです。

 領事館はホームページを通じて、夜間の外出や日本人同士で騒ぐなど目立った行動を控えるよう呼びかけています。上海では来週18日に大規模な反日デモが呼びかけられています。(13日23:35)

中国と日本の見解の違いは、70年前の日中戦争に端を発している。日本の過去の誤ちを許せない中国。そして忘却の彼方に追いやった日本。

政府の要人の世代は、ほぼ僕と同じ世代だ。僕らには戦争の記憶もないし、戦争の残虐さを実体験では知らない。両国とも施されてきた教育が影響力を与えてきた。

中国や韓国は本当は日本が嫌いなのだろうか。本当にあの島が欲しいのだろうか。まるで戦争にでもなりかねない隣国の激高のしかたに、戸惑っている日本人も多いはずだ。

客観的に歴史を振り返り検証することは大切だ。

沖縄はかつて琉球時代、日本よりはずっと中国よりのスタンスをとってきた国だった。江戸時代島津藩や薩摩藩などの支配をうけ日本国に帰属したが、元々は独立国。中国にとっての尖閣諸島は、琉球大王国のそばの島。日本の島ではなかった。途方もなく長い歴史を持つ中国にとって、わずか100年や200年前の歴史は、つい最近の出来事のような認識があるのかも知れない。

国際法に照らし合わせれば、尖閣諸島は間違いなく日本の国土の一部かも知れない。しかし中国の歴史の中では、中国の島なのだろうと思う。

中国は、法律を無視し、様々な模倣を繰り返してきた。IT産業に於いても、文化に於いても。しかし日本はどうだろう。戦後の経済成長の中で、欧米諸国の技術や文化を模倣して来なかっただろうか。

感情論や歴史観で、国際法を破っていいということはあってはならないが、じっさいに中国が抱えている大国ゆえのストレスや統率力の脆さを、日本という敵国を作ることで、操作しようとしている意図は十分伺える。

竹島問題で揺れる日韓の関係もそうだ。地理的な位置関係や、そして過去の歴史の事実を両国が主張すればするほど、歴史の立ち位置によって、お互いの溝は深まっていく。

朝鮮半島の南北の問題は、古代の百済や高句麗の時代にまで遡る。日本人のように過去の怨念を忘却の彼方に押しやる民族性とは、根本が違うということを認識しないと、僕らの舵取りは誤ってしまう。

今回の自民党党首選には、僕らの世代が多く出馬した。長老の意見を聞くのもいいが、未来の平和を見据えた、妥協や計画的敗北もあっていいのではないかと思う。

島の領土権よりは、両国間の平和を重視してもらいたい。

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2012年9月14日 (金)

すばる(プレアデス星団)

夜空を見あげればプレアデス星団(すばる)が見える季節になった。僕が愛する星だ。この星団を見ていると、心が癒される。

僕の住んでいる山里は、外灯もなければ、夜になると車も殆ど走らない。星空がきれいだ。誰に教わったわけではないけれど、もの心がついた頃から、この星が好きで、いつも見上げていた。

かつても記事で書いたが、僕の家のお風呂は外にある。俗に言う湯殿というお風呂だ。風呂からあがり、庭に涼んで見上げる空には、満天の星が輝いている。

土砂降りや大雪の時は、大変な外風呂だけれど、情緒あふれる我が家の風物詩だ。

すばると言えば、この曲も名曲だ。

すばる(プレアデス星団)が天空に見えるようになると、いよいよ塾屋家業も佳境に突入する。頑張るぞ!

すばるよ!今年も見守ってくれ!

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夏まつりに思う

暦の上ではもうとっくに秋なのだが、毎日30度を超す猛暑が続いている。夏が長い今年の岩手だ。

ところで全く個人的な嗜好なのだが、僕は夏まつりが好きじゃない。その中でも特に花火大会が苦手だ。

近年はオリンピックも花火がバンバン上がるが、爆弾を打ち上げる感覚がどうも好きになれない。だいたいにして夏まつりの花火は、ほとんどが川べりでの打ち上げだが、水鳥や魚たち、そして虫たちにはいい迷惑だ。

ご先祖の送り火として始まった花火だろうが、送り火にしてはド派手すぎると思うかねごんである。一発数万円から数十万円の花火を打ち上げるお金があったなら、もっと有効なお金の使い道があると思うのだが・・・・。

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祭りの日、色んな神輿が繰り出すが、あの夏の日だけ急に神社神輿を担ぎ出すあの雰囲気が好きじゃない。だいたい酒を飲んで酔っ払って、神輿を担ぐ若者を見ると、殴りたくなってくる(笑い)。だから見に行かない。

祭りとは本来どんちゃん騒ぎをして、酒を飲んで、女を口説くイベントではないはずだ。祭りとは厳かで厳粛で、神様に感謝を申し上げるものだ。祭りの日、境内に手を合わす姿もめっきり減った。花火を見て、金魚すくいをして、焼きそばを食べて帰ってくるのが、祭りではないだろうと思う。

瀬織津姫を祀る岩手早池峰神社の夏祭りは、花火もなければ、神輿もないけれど、境内の舞台で舞う神楽は素晴らしい。

山の神を崇拝する人々の清々しさと情熱をひしひしと感じる祭だ。

*早池峰神社の境内での神楽・夏まつりは毎年7月31日の夕方から夜中にかけて行われます。神社での禊祓は3時過ぎ頃から始まりますが、ぜひ瀬織津姫の神様のパワーを感動しに行ってみてはいかがでしょうか。

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2012年9月13日 (木)

子は親の鏡

自分の子どもが不甲斐ないなあ~と思ったら。赤ちゃんの時の写真や、幼児の頃の写真を眺めて見ればいい。

可愛くていとおしい子どもの姿に、心が洗われるはずだ。お母さんのお腹にいる時は、どうぞ五体満足に生まれてきますように。誰もが祈っただろう。そして七五三参りの時は、健康で丈夫でありますようにと神社に詣でたはずだ。

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やがて学校に入り、通信簿をもらうようになると成績が俄然気になりだす。受験学年にもなると、周りに負けじと子どもを塾に通わせる。

成績がすべてじゃないさと思いつつ、心のなかでは優秀な子どもであることを望む毎日だ。そしてそれが、僕を含めて親が普通に思う日常なのではないだろうか。

子どもが生まれた時、親となった感動を思い出すと、そのことだけでもうOKだった自分がいる。もうこれ以上、望むものは何もないとさえ思った自分がいた。

元気に毎日を生活していることに感謝をしなければいけないのに、いつの間にか慾望の渦に巻き込まれている。

出来が悪いのも、粗野なのも自分に似たと思えば諦めもつく。子は親の鏡。僕はジタバタするのはやめにした。

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農作物や漁業の補償をしたくないだけの妄言だ

いつもだと僕は田んぼに出てホンニョをたて、稲刈りをする季節だが、昨年の震災で状況は変わった。下の写真は3年前僕が田んぼで働いている様子を、ブログにアップするために女房に撮ってもらったものだ。

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栽培しているお米はササニシキ。苗箱の時点でいもち病の消毒はするが、田んぼの中には農薬をいっさい散布しない、無農薬にほぼ近いお米を作ってきた。そのうえ天日干しのお米は食感もよく、作付面積はそんなに多くはないものの自慢の米だった。

市場より高い値段でも、買ってくれる人がおり、家計にも助けになる米だったが、国の基準値を下回る放射能と言えども、今まで無農薬米として提供してきた僕のお米を頒布するわけにはいかず、重労働の天日干しの意味がなくなり、昨年から近くの方にコンバインでの稲刈りを委託した。

農協の通帳に振り込まれた米代が、そのまま委託料として消えていった。利益はゼロである。

農協のライスセンターに出荷ということになると、地域全体のお米が品種ごとにミックスされ市場に出荷されていく。農協からよこされる自宅用のお米も、純粋に自分の家のものとは限らない。基準値を下回っているものの、何度も言うようにセシウムは間違いなく含まれているお米だ。

毎日食するお米や、水だけは、限りなくゼロに近いものが良いに決まっている。福島では多くの子どもたちに、甲状腺異常が見つかった。安全だと言われ続けてきた状況は、安全ではないのだ。

ここ一関市の空間線量も、多くの福島県地域のそれと変わらない。僕は先月じっさいに福島県で線量を計ってきたが、郡山も須賀川も放射能値が高いと言われているが、ほぼ一関市と同じ放射能値だった。

まだまだ放射能に対する意識が低く、幼児に自宅で栽培した野菜、そして果物を食べさせている家庭が多い。政府や国が言っている安全と言うのは、なんの根拠もない妄言だと僕は思っている。

農作物や漁業の補償をしたくないだけの妄言だ。

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2012年9月12日 (水)

武装集団が米領事館を襲撃

 【カイロ=貞広貴志】リビア東部ベンガジで11日夕、武装集団が米領事館を襲撃し、クリストファー・スティーブンス駐リビア米大使(52)と職員3人が殺害された。

 リビア内務省が12日発表し、米政府も確認した。オバマ米大統領は武装集団の襲撃を「常軌を逸している」と非難する声明を発表した。

 武装集団は、米国で製作されたイスラム教の預言者ムハンマドを揶揄(やゆ)する内容の映画に抗議して領事館に押しかけた。この映画を巡っては、11日にはエジプトの首都カイロでも米大使館の国旗が燃やされる事件が起きた。

 リビアからの報道によると、ベンガジでは、武装集団がロケット弾や自動小銃を乱射しながら領事館に乱入して放火や略奪を行った。首都トリポリの大使館から領事館を訪ねていたスティーブンス大使は、職員らといったん館外に逃れたが、そこで襲撃されたという。領事館は、地元治安当局が警備に当たっていたが、襲撃を阻止できなかった。リビア政府は、旧カダフィ政権残党の関与を指摘している。読売新聞

僕はこの事件に非常に危機感を抱いている。第一次世界大戦は、オーストリアの皇太子を狙撃した一発の銃声が、まさに引き金になって始まった。今回の襲撃事件が、大きな戦争にならないことを祈りたい。

今のところアメリカは沈黙をしているが、プライド高きアメリカが、黙っているはずがない。何らかの報復を実行してくるだろう。

リビアアメリカ領事館襲撃事件は、今夜塾生に教えてもらって知ったのだが、非常に嫌な予感が全身に走った。今夜の感覚は、昨年の福島第一原発の爆発を知った以来の、嫌な感覚だ。

イスラム教を揶揄する映画を意図的に作ることもなかっただろうと思うのだが、宗教問題が絡むと、実に人間の複雑な感情が錯綜する。

アメリカが武力にものを言わせ、暴走しないことを心から願いたい。

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パソコンの星座占い

一昨日僕が家に帰ると、パソコンで星座占いを開いていた女房「あなたの今年の運勢最悪だって知ってた?」

僕、「知っているよ」 「ずっと前から」

人生に於いて、これでもかと言うくらい今年の僕の星座の位置は最悪らしいのだが、最悪でこんなものだから、僕の人生はまんざらじゃなさそうだ(・・笑い)。

今年の上半期を振り返るに、7月まで長引いた花粉症。頻繁に訪れる腰痛。百姓をやっているのに、野菜やお米を買って食べなければならないジレンマ。そして終わることのない放射能との戦い。

確かに最悪かも知れない。ただ全く心は萎えてない。空元気と言うわけでもない。逆境になればなるほど、なんだか知らないけれどパワーが漲ってくる。きっと一種の病気だろうと思う(爆笑)。

萎えていたら、こんな一銭にもならないブログを書き続けることもないだろうし、ブチ切れて断った卓球のコーチを、みんなに頼まれたからと言ってまた引き受けたりしない。

僕の身辺に頻繁に起こるシンクロニシティを見ても、決して天の運は僕を見捨ててはいないようだ。

そもそも僕は、占いのたぐいはいいことは信じるが、悪いことは信じない楽天家だ。『今年は八方塞がりなので、新事業や行動は慎む方がいいですよ』なんていう占いを見ると、全く真逆の行動をとるかねごんである。

50も過ぎると本当に1年は早い。残り少ない人生を、占いのごときで無駄になどできない。1日1日が貴重な人生だ。

何度か書いてきたが、僕は毎年神様に願掛けをしている。

『世の中のためにまだ役立つ人間なら、今年も生かさせて下さい。そうじゃなければ即刻あっちの世界に行かせて下さい』と。

今年は新たに瀬織津姫の女神様と縁を持つことができた。生かされるうちは頑張りたい。

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2012年9月11日 (火)

甲状腺がんの因果関係を否定

福島県の子どもの甲状腺検査で初めて1人が甲状腺がんと診断されたことが11日、県民健康管理調査の検討委員会(座長=山下俊一・福島県立医大副学長)で報告された。同大で担当の鈴木真一教授は「チェルノブイリ事故後の発症増加は最短で4年」などとして、福島第1原発事故との因果関係を否定した。毎日新聞

この山下俊一という男、いろんなところで物議を醸し出すというのか、ずっと胡散臭いと思っていたが、因果関係をまたもや否定してきた。許せない!

福島県立医大は、福島県民がどんなに健康被害が出ても、放射能との因果関係をすべて否定する強硬手段をとるようだ。

医療機関までが東電や政府の手先になってしまったようだ。まあ予想はしていたが、これで事実は明らかになった。

福島だけではなく、東北のすべての医療機関が口裏を合わせてくるような気さえする。放射能の影響であることが肯定されるリスクと、そうじゃないリスクの天秤ばかりは、あくまでも東電や補償を避けたい政府寄りに傾くわけで、僕ら国民の今後の健康など全く考えてはいない。

これから増加するであろう放射能健康被害に対して、医者の話をどこまで信じ、どこから疑うのか、僕らが判断し、暮らしを決断して行かなければならないだろう。

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スポーツにはお金がかかる

きっと世間の人たちは知らないと思いますが、スポーツの道具代が一番かかるの卓球です。

野球や剣道が一番お金がかかるとお考えかも知れませんが、道具でお金がかかるのは間違いなく卓球です。

卓球は15年ほど前に、公式のボールが少しだけ大きくなりました。ラーリーが続いて、やる方も見る方も楽しめるスポーツにしようという趣旨だったように思います。

ところが現在、ボールのスピードも回転力も、小さいボールだった頃とほとんど変わらなくなりました。ラバーが進化したからです。

現在の卓球の主流は、ほとんどがシェークハンドというラケットになりました。

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両面にラバーを貼りますが、このラバー、値段がピンからキリまであるのですが、中学生や高校生の自称一流プレーヤー(笑い)は、一枚5000円以上もするラバーを使っています。

両面ですので、同時に替えれば1万円。毎日2,3時間、この猛暑の体育館で練習すると、1ヶ月で劣化します。特に大きな大会だったりしますと、数ミリラバーが欠けただけでも使用不可です。

一年間にラバー代だけで、10万円を越します。それにラケットも台に強打すればひびが入ります。年に2,3度買え替える生徒もいます。

うちの息子も高校で卓球をやっていますが、昨日ラケットが壊れたと言って僕にお金を請求してきました。ラバー代とラケット代しめて22000円。イタタタタ・・・・・・。

ちなみに僕は2年に1度しかラバーを替えません。それも使っているのは2000円のラバーです。これで十分戦えます。 僕の場合は、道具の短所を精神力でカバーしてますので・・・・。

スポーツはお金がかかります。生徒たちは親に感謝をして、部活やクラブをやってほしいものだと思います。

【お知らせ】

今度の土曜日9月15日より、中総体の新人戦が始まります。15日は、卓球のコーチで出かけますので、塾はお休みさせて頂きます。来週の22日の土曜日は通常のゼミとなります。今月は土曜日が5回ありますので、基本的には振替はありません。よろしくお願いします。

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道化師

うたかたのピエロを演じているのは誰だろう。

不満や楽しくないことが多すぎて、黙りこんでしまっている群衆の中で、耳を傾ければ聞こえてくるのはため息ばかり。

飛翔できない若鳥たちのいらだちが聞こえる。そして諦観を装って、いつの間にかそれが本質になってしまった大人たちのざわめきが聞こえる。

南から吹いてくる風はいつも温かで、気持ち悪いほどの湿気を含んでいる。

北から吹きつける風は、憎らしいほど凍てついて、寒すぎる。

自然なことだから我慢することが当たり前かも知れないが、そんなことにふざけんなよって叫ぶことだって必要だ。

ふざけんなよ、糞暑いよ。

ふざけんなよ、糞寒いぜ。

やり過ごしてしまえば、過去のこと。

でも繰り返すんだよ、季節ってやつは。どっかの馬鹿政治家どもと同じで。

何回も何回も繰り返すんだよ。

本当は慣れてないのに、慣れたようなふりをする。そうしないと生きていけないからね。

本当は怒りたいのに、本当は叫びたいのに、

にやけた顔をして誤魔化していく。

恨むなら恨もうよ思いっきり。

泣きたいなら泣こうよ思いっきり。

中途半端な偽善者を装って、

いい子ぶってりゃいいてわけじゃなだろう。

言ってみようよ。

金が欲しいんだよって。

仕事が欲しいんだよって。

愛したいんだって!

自分の慾望は、他人のふりをしてやり過ごそうっては無理だよな。

道化師を演じることにもう飽きただろう。

本当の俺、本当のおまえ。

落とし前つけて行きていこうぜ。

格好よくさ、行きていこうぜ。

世間はどうの、常識がどうのって気にするけど、

動かねぇでどうすんだよ!若者よ!そして俺たち大人が!

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2012年9月10日 (月)

喪失

今の時代のように、映像やディスプレーがリアルになればなるほど、僕らの現実は希薄になって行く。

バーチャルな世界に逃げ込んでいく若者が増えていく中、彼らにとっての現実社会は、逆に架空の世界に見えているのかも知れない。

想像力は遮断され、想いのベクトルは常に同一方向を向く若者たち。彼らの夢や想いは、僕らが思うほどに多様ではない。そこに挫折感の均一化が生まれてしまう。個性が消滅する土壌が出来ていく。

同じジャージを身にまとい、同じ音楽を聞き、同じマンガを読み、同じようなジョークを連発する。情報によって多様化しているつもりが、感性の扉が閉じられていく。

熱いお湯にカエルが飛び込むと、即座に逃げ出すが、水から温められていくお湯の中では、カエルは逃げるタイミングを失いやがて死んでいく。

目に見えない微弱な電波と磁力に、僕らの脳みそは少しずつ乖離していく。現実という世界から。

毎日印字される紙切れの文字や、テレビから垂れ流しにされる映像を鵜呑みにしてはいけない。

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受験勉強や仕事に追われ、生きるための本質を喪失してはいけない。声を持つ人格者に耳を傾けなければならない。今こそ古人(いにしえびと)の書に、心を傾けるべきではないだろうか。

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2012年9月 9日 (日)

ぼやきブログ

ついに一昨年のお米がなくなった。

百姓をやっているのに、スーパーでお米を買ってきた。

北海道米の『きらら』。

レジにお米をぶら下げて並んでいたら、なんか泣きたくなってきた。

「俺、百姓だよな」

「なんで九州の野菜を買ったり、北海道のお米を買ったりしなきゃいけないんだろう」

安全ですだと。

ばかやろう!

そう呟いて僕は財布からお金を取り出した。

百姓仕事でなんとか20年間賄ってきた家計は、火の車だ。

22年間乗り続けてきた軽トラックは、11月に10回めの車検がやってくる。

新しい車を買いたいのはやまやまだ。

でもお金がない。

毎日寝る暇も惜しんで働いてるのにお金がない。

塾は儲かるだろうだって。

被災地の田舎の塾はどこも青息吐息だ。

塾長先生方はみんなバイトにいそしんでいるよ。

でもね。

塾で学んでいる生徒には関係ないことだよ。

一生懸命勉強してもらって、合格に導くのが僕らプロの仕事だ。

たまたまでっかい地震がやって来て、津波が襲って、そして放射能がばらまかれちまったけど、悔しいくらい穏やかな日常が過ぎていく。

なんだろうこの感覚は。

福島も宮城も岩手も、街を歩くと、海岸線以外は数年前と何ら変わらない風景だ。

でもやっぱり何かが違う。

うまく言えないけど、違う。

空気が重いんだよ。

魂のため息が聞こえてきそうな空気って言ったらいいのかな。

どんよりしている。

この空気感のなかで、子どもたちを鼓舞するのは正直しんどい。

でも行動を起こさない限り次のステップは生まれては来ない。

今夜、家族ときららを食べながら、僕はそんなことを考えていた。

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本当におっちゃんだった

今年は9月になっても教室のエアコンがマックスである。暑い!

今日は市内いくつかの神社で秋祭りが行われたようだが、秋とは言えない猛暑だった。正装した神主さんもきっと暑かっただろうと思う。

今度の土曜・日曜日は早くも中総体の新人戦が始まる。暦は本当にあっと言う間だ。

一関市内では一高と二高が早くも文化祭が終わり、明日から定期テストに突入する。中学3年生は、今度の15日には実力テストがある。受験指導もいよいよ佳境に突入する。

今年度の僕の塾は、受験生が少ないと言いつつも、中3生・高3生そして一関一高附属中学を受験する小学6年生を含めると、20名を超える。もうすでにAO入試を終えた生徒もいるが、これから来年の3月まで、怒涛の受験指導が続く。

僕が高校生の頃、50歳を過ぎたおっちゃんは、本当におっちゃんだった。

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こんな感じ・・・・・

『このおっちゃんだいじょうぶかな』なんて心配したもんだった。

自分が50歳を過ぎ、休日には高校生や中学生の現役を相手に卓球をやり、毎日12時間近くの仕事をこなす自分の日常を考えると、50歳を過ぎたおっちゃんは、まだまだやれるなという感じがする(自分が思っているだけかも知れないが・・)。

先週の日曜日、風と虹の教室でアントロポゾフィー医療講座を九州の安達先生に行なって頂いたのだが、僕もちゃっかり診療をして頂いた。先生に薬を処方していただいたのだが、その薬のおかげもあってすこぶる調子がいい。

その薬さすがアントロポゾフィー、隕石から取り出した鉄分が配合されているとのこと。宇宙パワーが体内に宿った気がする。さあ頑張るか!

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全く収束はしていない

もう黙ってられない! 原発なくせ! ちばアクション

 福島第一原発の事故は未だ全く収束していません。柏の平均空間線量はチェルノブイリでの今現在立ち入り禁止区域と同じ、もしくはそれ以上です。

 これは全国民が真剣に考えなければいけない問題です。今地震がまたどこかで起きたら、日本に住める所はなくなります。テレビでこんな衝撃的な事は放送されません。嘘ではないので。

 どうか皆さんご自身で情報を収集してみて下さい。そして声をあげて下さい。一部の人間が必死に声をあげても行政は動きません。

 子供を持つ親御さん、可愛いお孫さんを持つおじいちゃんおばあちゃん、その子達の未来が今本当に危ないんです。野菜や肉魚、海外に比べて今の日本の基準値がどれだけ高いかご存知ですか?

 普通に出回っている野菜などは90%検査されていません。柏市が給食に使っていた「かしわで」のお野菜は空間線量計で計られていたもので、ヨウ素セシウムが計れる機械ではありません。そんな汚染された給食を毎日子供達に食べさせていて、その中から何人の子供達が病気になるでしょうか? 自分の子供は病気にならないと言い切れるでしょうか?

 今こそみんなが声をあげる時です。人任せじゃ誰も動きません。国も賠償金を払いたくないから隠しまくっています。お願いします。子供達を助けて下さい。このままではモルモットです。そしてそんな危ない原発をみんなで止めましょう!こんな地震大国で原発は必要ありません。広島原爆の30個分以上が全国にばらまかれている現実、受け止め、動きましょう。

昨年の5月に、ちばアクションさんの上の記事を読んでから、1年と4ヶ月が経った。上の記事が書かれた時から、何かが改善しただろうか。

多くの方がブログやツイッターでSOSを発信し続けてきた。普通に毎日を暮らしてきた多くの東北や北関東の人たちの日常を、福島の原発が一変させた。

世の中はロンドンオリンピックで盛り上がり、今度は首相選びで盛り上がっている。福島第一原発は今も危険な状況であることは変わりなく、放射能は出続けている。

今年は奇跡的に東北福島を強烈な台風がまだ襲ってこない。放射能の拡散がどうにか現状のまま留まっている。

福島第一原発では、多くの方々が収束に向けて働いている。その中には、10代の作業員も多くいると聞く。作業する方々の健康を、第一に考えた復興計画であって欲しい。

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2012年9月 8日 (土)

時計のうんちく

ケイタイを持たない僕は、その代わりと言ってはなんだが、少しだけ時計にこだわりを持っている。

安物買いのなんとかで、デザインやかっこ良さに騙されて、ついつい時計を買う癖があって、この年になるまで、いろんな時計を身に着けてきた。

デジタル時計・自動巻き・電波時計・懐中時計などなど。百姓仕事をやる僕にとっては、時計が気の毒と言えばそうなのだが、ことごとく壊れて行く。ひどいのになると1ヶ月も持たなかった。

あと悲しいのは、電池を交換したら、時計本体よりお金がかかった時だろうか。そんな時計は、時計だけにほっとけい・・・・・失礼しました

実は壊れ去って行った時計の中で、唯一勝ち残った時計がある。22年前に今の塾を始めた時に、記念に買ったセイコウの腕時計だ。今見ると30の男が買ったにしては爺臭い時計だが、セイコウと成功を語呂合わせにして、自分なりに塾をやって行く勇気を鼓舞したつもりの時計だった。残念ながら今は使っていない。

そんなプチ時計マニアの僕が、ようやくたどり着いた時計がある。これだ。

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セイコウのAGSという時計なのだが、この時計は電池式でも無ければ、自動巻きでもなく、ソーラー時計でもない。自動発電式時計だ。

電池の交換が不要なので、時計を開放することがないので防水力は抜群で、ソーラー時計のような繊細さはないが、一応電気式時計なので、自動巻きのような時間の狂いもない。そしてなんといってもタフだ。

もう2年半使用しているが、僕のハードな日常の中で、完璧なまでの完成度を見せつけている。

この時計はリサイクルショップで買った。市場価格の6分の1だった。自分では電池式の時計のつもりで買ったのだが、電池を交換しようと思い、時計屋さんに持って行ったら、自動発電式時計であることが発覚した。

きっと失くさいない限り、この時計が僕にとって最後の時計になるかも知れない。それほど気に入っている。

時計に興味がない方には、全くつまらないブログだったろうと思う。失礼しました。

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最大の敵は疲労感

最大の敵は疲労感。

最近テンションを上げ過ぎで、ついついオバーワーク。今日も朝9時から指導がスタートし、ノンストップで夜の8時まで。

塾が終わった後、いつものジャズ喫茶・モリソンに行ってジャズを浴び、コーヒーを飲んで帰ってきた。

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実はマスターも田んぼを持っているのだが、今年は休耕田にしたそうで、人生初めて草刈機で草刈りをしたそうだ。ジャズ喫茶のマスターが草刈りをする姿を想像したが、まさにジャズである。

ところで世の中は、総理大臣に誰が立候補するかで大騒ぎだが、誰がなっても原子力を全廃する人はいなそうで、一気に興味が薄れてしまった。

また疲労感が漂ってきた。今夜はプリン体99パーセントカットの淡麗Wを飲んで寝ることにしよう。おやすみ。

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心がすべてを決める

何かの見返りを求めて行動をすることは多いものだ。労働に対する見返りは賃金であるだろうし、勉強に対する見返りは、受験合格であったり、就職であったり、人は代償を求めて努力をし、精進をする。

幸福や成功を求めて、僕らは日々生きている。幸福を求めない人はいない。良い仕事に就きたい。良き伴侶を得たい。子どもに恵まれたい。次から次へと幸福への願望は生まれ、募っていく。

しかし世の中には努力だけではクリアーできない問題が多くある。それを裏付けるように、願望達成のノウハウ本が数多く出版されている。宗教関係の書籍も多い。手にとって読まれた方も多いだろうと思う。

必ず感謝や、イメージなどという単語が登場する。あれだけ多くの幸福になるための啓発書が世に出ているのだから、多くの人達が幸せだろうと思いきや、現実は違う。なぜだろう。

僕は幸福というものの尺度をどう捉えるかの違いであって、実はすべての人が幸福なのではないかと思っている。つまり不幸である人は、幸福を感知できないだけで、本当は不幸なんかじゃないんじゃないかと思う。

自分じゃない誰かと比較することで、自分の価値観を自分でおとしめてしまっているのではないだろうか。

他所様の家で、自宅を新築した。外車を買った。子どもが大学に入った。所有物や表面的な状況で判断を下す習慣が、僕らは身についてしまっている。

一番分かりやすいのは、中学校や高校での成績順位だ。努力したかしないかじゃなく、順位ですべてを判断してしまう。

漢方薬と同じで、徐々に効き目が現れる努力タイプと、抗生物質のように、いきなり効くタイプがある。僕らのような塾屋家業は、後者の抗生物質的結果を求められるわけだけれど、本当は漢方的処方箋が、後々確実な結果を残していく。

世の中の時間がとても早くなった。そして快楽を求める願望が増加した。幸福と快楽を混同する方々が増えている。

僕は宗教家でもなんでもないが、真の幸福とは、魂(精神)の浄化なくしては手に入れる事はできない気がする。他者のために生きる愛や、見返りを求めない援助、常に善良なる思いを持ち続ける日常の心が、平和や安らぎを与えてくるものだろうと思う。

心がすべてを決める。所有物ではない。

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2012年9月 7日 (金)

思う自分になる!

先日運についてのうんちく話を書いたら、中学2年生の男子生徒から「かねごん先生は運があるんですか」と尋ねられた。

確かに運が無い男が、運のうんちくを書いたらおかしいよなと思いつつ、自分の運を振り返ってみた。

まだ人生の途中なので(・・笑い)、最終決定は下せないが、運はあると信じたい。僕は勉強が苦手で、県立高校を落ち、私立高校に入った。僕が卒業をした年、学年全体で大学進学を決めたのはわずか2人しかいなかったが、その内の1人に入れたのだから、運はあったと思う。

ちなみに僕は高校在学中に2度退学届けを提出した。見事に2度も却下され復学を説得された。今思えばあの時も、なにか見えない運に人生を導かれたような気がする。

大学卒業後ずっと塾教師をやってきた。30年以上も同じ仕事をやってこれたのも、運が味方してきたように思う。個人塾を一関で開講して22年目を迎えるが、撤退して行った多くの塾があるなか、どうにか生き残ってきたのも運のおかげのような気がする。

好きな音楽にしてもそうだ。下手くそな僕が、テレビやラジオで紹介され、いろんな場所で歌わせてもらっていることも、運のおかげじゃないかと思っている。

僕には『人は思う人になる』という座右の銘がある。どん底と思うときにも、不幸を背負っていると思うときにも、必ず同じ量の幸福が傍に寄り添っているものだ。

思考はエネルギーだ。失敗や挫折の時こそ、人は自分と真剣に向き合うことができる。自分の可能性を信じる力が、運を引き寄せる最大のパワーだと僕は思っている。

先日同業者で友人の上野先生と美川先生が、酔っ払って真夜中にコメントをくれた(爆笑)。そのメールに対して僕は、「ようやく出口が見えてきました」というスレをしたためた。

僕は震災後不安だらけで『思う自分になる』という言葉を完全に忘却していた。ようやく僕は復活しつつある。僕は思う自分になる!

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民主主義教育の崩壊

学校教育とは何かという問いかけが、何度も何度も繰り返えされてきた。楽しい学びのはずが、苦痛以外のなにものでもないと感じる子どもたちがたくさんいる。

いじめの問題も、不登校の問題も、激増する保健室登校の現状も、その根っこには同質の人間の弱さや闇が横たわっている。社会の溝と言ってもいいかもしれない。

親も子どもたちも、そして教師も努力が全てだと思っている。努力をしない人間は成功しないという規則を勝手に作ってしまっている。

そのことが努力を放棄した人間に、不安を与え続ける。いや恐怖と言ってもいいかもしれない。脅かされ諭され続け、子どもたちは、自分たちの能力を力を否定されていく。残念だ。

学歴がないからと言って諦め、お金が無いからと言って諦め、自分の現状が自分の人生だと勘違いして人生を終わっていく。

大きな成功や小さな成功の差は、努力や能力の差だろうか。僕は決してそうは思わない。やりたいことをやらず、やらなければならないことに全力投球しているからだ。

僕らは完全に洗脳されてきた。仕事は忍耐だ。勉強は忍耐だ。楽をしてお金など儲からない。人生は甘くないんだ。そしてその通りの社会を作り、僕らはインチキの民主主義のなかで育ってきた。

一部の特権階級のために、働くことを強制されてた労働者であり続けることを放棄しない限り、僕らに真の自由は幸福はあり得ない。

学校の指導要綱を考えつく文科省の官僚などは、子どもたちの真の学力向上など考えていない。いかに予算をうまく巡回させるか、いかに教員数を維持する時間数と、教科指導をリンクさせるか、そんな辻褄合せばかりやっている。

1ヶ月一生懸命汗水流して働いているのに、20万円の給料に満足してはいけない。自分より仕事をしない人間が、50万円の給料をもらっているのを黙っていてはいけない。忍耐力は人生の理想と目標を見失ってしまう。僕らは奴隷じゃない。

僕らは明確な目標とその目標の達成のためな具体的な計画さえ立てられれば、必ず成功する。それができないのは、教育の現場や会社で洗脳されてきたからだ。

歴史を見てみれば簡単だ。江戸時代キリスト教を禁じた理由は何だったろうか。平等や愛に国民を気づかせたくなかったからだ。

当たり前になっている学校の学級制度。学校側が決めたクラスに素直に収まり、決められた先生に黙って教わっていく。授業が分かりません。先生の態度が気に入りませんとで言うものなら、暗黙のブラックリスト。

終身雇用制が確立していた時代ならば、少々能力が無くても融通が利かなくても、まじめに働きさえすれば、労働者の家族の生活は保証され、年金という安全弁が老後を支えてくれた。そういった時代には、学級の中で人間関係の空気感を読み、忍耐やバランスをとる訓練は必要だったかも知れない。

しかし今の社会はどうだろう。個性の尊重などという言葉が虚しく響く学校教育だ。クラス担任も選べない。教科担当の先生も選べない。部活を変えようにも、何個もはんこを貰わなければならず、それだけであきらめてしまう。

小さい頃から花よ蝶よと育てられたお王子様やお姫様が不登校になるのは当たり前だろう。生徒個人の資質や家族環境の問題点を考える前に、学校制度のシステムを抜本的に替える時期に来ている。

これ以上どれだけの数の、不登校生や中退者を学校は生み出すつもりだろう。教科の自由選択、受験科目の自由選択。、そして教師を選択する自由を与えない限り、新世代の子どもたちの教育はますます大変になっていく。

お金持ちにはお金持ちの教育。貧乏人には貧乏人の教育。そんな日本の教育を見ていると、民主主義教育の崩壊を感じる。トップダウンシステムの教育はいらない。

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ジャズが心にしみる

2,3日前から急に暑さが遠のいた。夕暮れの空が秋色になった。

昨日からキッチンのスピーカーから流れているのは、ビル・エバンスのワルツ・フォー・デビィ。この季節になると無性に聞きたくなるアルバムだ。

僕が生まれた頃の録音だけれど、ピアノの醸し出すメロディーラインが、全く古さを感じない。ビル・エバンスの素晴らしさは、時代を超えた情感の静謐さを聞き手に与えてくれることだ。

ビル・エバンスの名演と言えば、Never Let Me Goもそうだが、哲学的な愛惜とでも言ったらいいだろうか、人生で失って行く大切なものへの静寂な哀悼を僕は感じる。

移ろい行く人生の季節に、ビル・エバンスの醸し出す物語はとても繊細だ。きっと彼を超えるピアノ弾きは2度現れないだろう。

どこにいても、何をしていても、彼のピアノが流れれば、一発でビル・エバンスだと分かる。そんなアーチストはそんなにいるもんじゃない。サックスで言えばジョン・コルトレーンがそうだろうか。

秋になるとジャズがいい。稲穂が頭を垂れた田園風景には、ジャズがよく似合う。僕の23年ものの軽トラックには、ボロ車とは不似合いなCDデッキが搭載されている。これからの通勤時間は思いっきりジャズを堪能したい。

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2012年9月 6日 (木)

ウランの半減期は48億年

原子力発電は、火力発電に比較するととても熱効率が悪く、100万キロワットの原子力発電所では、300万キロワットの熱エネルギーを放出しており、なんとも処理しきれない200万キロワット分の熱湯は海に排出されていきた。

これは70トンの海水を1秒間に7度上昇させるほどの熱量で、昼となく夜となく排出され続けてきたエネルギーは、海流の熱変動を生じさせてきたことは間違いない。

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火力発電所から放出される二酸化炭素の排出量が、地球の温暖化に影響すると言われ続けてきたが、原子力はその影響をはるかに凌ぐ温暖化の種を蒔き続けてきた。

電力会社も政府も、利権の膨大さに目が眩み、クリーンだ、安全だと、教科書まで使って国民を洗脳してきたわけだけれども、放射能の拡散という人間存続の危機に直面してさえも、原子力の再稼動を強行するこの国は、極楽とんぼにもほどがある。

廃炉にしたところで、気の遠くなるような年月と費用がかる原子力がどこが安全で、安価のだろう。

掘り出したウランの半減期は48億年。この年月に人類は責任など持てないだろう。

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わが家に瀬織津姫がやって来た

僕は早池峰山に何度も登っているのに、この山の神さまの事が分からなかった。神様が瀬織津姫(せおりつひめ)であることを知ってからのここ数週間、ものすご勢いで僕の身辺が瀬織津姫だらけになってきた。

僕が講師で行っている修紅高校には、菅江真澄研究の著作で有名な村上先生がいらっしゃる。川崎の図書館で先生の著作と出会ったのが7年前、その本がきっかけで、僕は宮城県金成町にある金田八幡神社を知り、祀られている龍神と出会った。

5年前国語の非常勤を頼まれ、初めて修紅高校に行った時の驚きは忘れない。職員室に用意された僕の机の前にいらっしゃたのは、村上先生だった。

先生とはいつも濃厚な時間を過ごさせて頂いている。膨大な民俗学の考察と神社仏閣の知識が、村上先生の口からほとばしるたびに、僕はその博識と感性に脱帽しっぱなしだ。

その村上先生から先日僕は、円空に関する著作を2冊貸して頂いた。円空作の十一面観音が紹介されていた。早池峰の頂上にも十一面観音が二体祀られている。その十一面観音が、実は瀬織津姫と同じ神様であることを知った僕の驚きは、宇宙の創造を知ったような驚きだった。

僕の中に眠っていた山神信仰の薄っぺらな知識に、突然何かが舞い降りた。

十一面観音が、なぜあれほどの様々な顔を頭部に持っているのか。なぜ手に水瓶を持っているのか、僕の長年の疑問が瓦解した。

古事記にも日本書紀にも瀬織津姫の名前は登場しない。しかし神道に於いては、昔から祓戸の神として、その存在価値は大きいものがあった。

瀬織津姫は古代、中世の時代を変遷する中で、様々な変容を遂げた神である。ときに弁財天の姿となり、時に木花開耶姫命(このはなさくやひめ)の山神となり、そして仏教界では十一面観音として崇拝されてきた。

水の神である瀬織津姫は、龍神としての姿で描かれることがあるが、まさしく多面的な神力と姿を有する神である。僕は地球創造に関わった神ではないかと最近考えている。

先日日曜日に、九州からお越しいただいた内科医の安達先生、そして東京からお越しいただいた看護師の鶴田さんによるアントロポゾフィーの講演と身体ケアーの実践を、僕の自宅を会場にして開催して頂いた。震災後、放射能により健康被害を心配している方々のために、何度も無償で来たくださる先生方には、本当に、頭が下がりっぱなしである。

当日の朝に、僕が早池峰神社に行く事を告げると、鶴田さんが何やら封筒を僕に渡してくれた。中に入っていたのは瀬織津姫の絵葉書だった。

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このタイミングでこの絵葉書が僕の前に現れたことに、僕は言葉を失った。失礼だがシュタイナー教育を実践する方は決して興味を持たないだろう瀬織津姫と龍神のコラボ。

この絵葉書を握りしめ、僕は軽トラックで早池峰に向かった。早池峰神社の山懐で、僕はこの絵葉書の瀬織津姫に山神のパワーを注入し帰ってきた。

そしてそのエネルギーを地元の山神神社である、真滝に鎮座する熊野白山滝神社に勧請してきた。それ以来僕の身辺では、物凄い勢いでシンクロが起き始めている。詳細はまたこのブログで報告しようと思っている。

ちなみに鶴田さんから頂いた絵葉書は、塾の教室の神棚に祀らせて頂いた。物凄いパワーを放出している。塾生の皆さん、ぜひこのパワーにあやかってください。

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2012年9月 5日 (水)

きっと出口は見つかる

年を取っても、変わらないものがある。それは情熱だ。

僕は家族が好きだ。教え子達がいとおしい。肉体は20代や30代のように無理が効かなくなったけれど、情熱は衰えていない。いや若い頃より燃えている。そんな気がする。

柔道をやっている高2の男子が、僕にトータス松本の『サムライソウル』を聞かせてくれた。久しぶりに聞いたが、いい歌だ。なんだか学生の頃の眩しい光を久しぶりで浴びた感じがした。

前向きに生きていくしかないんだな、人生ってやつは。泣きたい時は泣いて、叫びたい時は叫べばいい。

きっと出口は見つかる。

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エアー塾生

地元で22年塾を営んできた。たいていの知人は僕の仕事を知っている。そんな僕の身辺でちょっと戸惑う事がある。

それは、町のスーパーやちょっとした会合などで「かねごんさ~ん、今度うちの息子をかねごんさんの塾にお世話になろうと思っています」なんていう声をかけられる。

僕も根が単純なものだから、塾に来てくれるのかうれしいな~。これでちょっとは家計がたすかるな~などと思ってしまうわけだが、しかしである、半年たっても1年たっても梨の礫。そのうち季節は春を迎え、卒業の季節。残念。

そんなケースが多い。挨拶のつもりで声をかけてくれるのだろうが、震災後厳しい経営を強いられている僕としては、正直ぬか喜びの道化師を演じてしまう。

僕に声をかけてくれた親御さんの子どもが、全部塾に入ってくれたら、今頃は延べ人数100人を優に超えているだろうと思う。エアーギターならず、エアー塾生である(・・笑い)。

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(ちょっとお知らせ)

いつもなら9月になると、受験学年の募集を停止する僕の塾ですが、昨年同様今年もまだ空きがあるので入れます。定員になっているのは月曜日・水曜日コースのみで、火曜日・金曜日は全然大丈夫です。

塾をお考えの皆様、どうぞよろしくお願いします

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2012年9月 4日 (火)

愛する者のために

車を運転していて、突然強烈な悲しみや、慟哭に襲われることがある。

日常が過ぎていく、その平凡さがなぜか虚しくなる時がある。その虚しさは、生きていく者の必然であるかのように、胸を苦しくさせる。

政治家の欺瞞や、科学者の驕り、そして権力の蹂躙の中で、僕らは何を信じればいいのだろうか。答えはなかなか出てきそうにもない。

運命を越えて、宿命を越えて、きっときっと人間は幸せになれる。僕はそんなことを若い頃考えていた。幸福になる人間と不幸になる人間がいることに、反抗し続けていたと言ってもいいだろう。

例えば、勉強を出来ない子どもを馬鹿にする教師。ホームレスをあざ笑う黒塗りの車に乗った政治家。子どもを虐待する親。

目をつむるか。ドアを開けて出ていくか。選択肢は僕らにある。

友達作戦と言って軍隊を支援してきたアメリカは、後日数億円の経費を日本政府に要求してきた。

被災し放射能汚染に動揺する日本国民をあざ笑うかのように、韓国や中国は沈黙していた領土権を主張してきた。

愛のある人間と、愛の無い人間の微笑みの違いなど読み取るすべもない。しかし行動は読み取れる。ドアを開けて出て行こう。愛するものを守るために。

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運を良くするうんちく

何度もいろんな所で述べてきたが、僕が生徒たちと接していて一番気にかけていること、心がけていることは、運のいいこどもを育てることだ。

やはり人は、運が良くなければ大成しない。運を良くするにはもちろん努力することは大切だけれど、僕は運を作ることは意外と簡単なことだと思っている。今日はそのうんちくを書き留めてみたい。

その1

運を良くすることに於いて一番大切なことは、挨拶をしっかりできることだ。これが出来て初めて運を育てる第一歩となる。

その2

運を良くするには、不用意に敵を作らないことだ。人の悪意や怒りは、凄まじいエネルギーだ。いとも簡単に体調を崩させ、人間関係を蹂躙していく。自分の健康や命、財産を略奪してくる者には、もちろん立ち向かって行かなければならないだろうけれど、プライドの1つや2つを傷つけられてもカッカすることはない。陰口の1つや2つは、やり過ごしてしまえばいい。弱腰になることも時には必要だ。

その3

運を良くするには、不純な性的関係を持たないことだ。これは自分の事だけではない。自分の息子・娘の運のためにも確実に言えることだ。家全体のエネルギーが低下する。相手と関係を持つということは、相手の持っている様々なバックボーンまでももらってしまうことになる。気をつけて欲しい。

その4

運を良くするには、本を読むことだ。読書は精神(魂)を強化する。本は実に多くの気づきを与えてくれる。ケータイやPCのような電磁波も無いし、読まなくなれば資源として再利用できる。読書を始めた子どもはすぐ分かる。いい顔になる。

その5

最後のうんちくだ。運を良くするには、言葉が大切だ。ネガティブな言葉は、ネガティブな現実を作り出す。言葉が元気な人には力強い運が湧き上がる。

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2012年9月 3日 (月)

本物は凄いぜ!

ブログの打ち込みやメールの打ち込みに、音声入力が出来る機種があるらしい。世の中も進化したものだ。僕のように、毎晩パチパチ打たなくても文字が打ち込めるなんて、なんて素晴らしいんだろう。

でも、僕には無理だろう。いや無理に違いない。

5年前このブログを始めた時は、文章の直接入力が全く出来なかった。それまで20年近くワープロを使っていたので、キーボードには慣れていたのだが、タイピングのスピードで作文が書けない自分がいた。

文章をボールペンで、原稿用紙やコピー用紙に書いてきた習慣が、僕の前に立ちはだかった。3年半間ほど、下書きをしてからのブログ打ちが続いた。昨年からようやく作文思考と打ち込みのスピードが連結し始め、5回に4回ほどは、下書き原稿無しでの記事になっている。

更にこれが音声入力ともなれば、またまた僕は文章が作れなくなるだろう。

ところで、僕は趣味として時に歌を作ったりしているのだが、歌詞と曲が同時進行じゃないと歌詞が書けないし、メロディーが生まれない。

この曲に歌詞を付けて下さいなんて頼まれることがあるのだが、無理である。歌詞に曲を付けてくださいというのも不可能に近い。このブログで何度か書いてきたが、僕は譜面が書けないし読めない。

僕はギターを片手に、歌詞とメロディーを同時進行で生み出していくのだが、それ以外の方法で曲を作ったことがない。

今まで80曲ぐらいは作った記憶があるのだが、度重なる引越しで、録音テープや歌詞ノートを紛失し、今ではせいぜい20曲ほどしか自分の曲が歌えない。残念である。

50も過ぎて、若い頃に作った歌が、当時のキーで歌えなくなった。ギターの弦をこっそり2フレットダウンにしている。実は先月おじゃましたFMasumoのスタジオ収録の時も、2フレットダウンの調弦ギターを使用した。普通のキーで演奏する時はカポタストを2フレットに装着することになる。実に面倒くさい。

だから矢沢のエーチャンが還暦を過ぎて、昔と変わらないキーで歌っている姿は感動モノだ。本物は凄いぜベイベー!

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見えないものに対する畏敬

震災以降『教訓』という言葉がよく新聞に登場する。自然の猛威から、自分たちの命や財産を守るすべを確認する作業が続いている。

地球上で起きている地震の10パーセントが、日本で起きている。過去の歴史を遡れば、そこには数え切れないほどの自然の災害があった。津波もそうであろうし、山の噴火もそうだ。台風による甚大な被害も数多くあった。

そういった自然の猛威は、人間にとっては災いであっても、この星の生物環境からみれば、自然の循環の一部であるとも言える。

大地を崩し道を作り、そして家を作ってきた。人間の住環境を快適にするには、豊かな自然はときにやっかいなものとなる。かつて豊かだった自然は、華やかな街に変貌していく。それが文明だ。

沖縄では、人が立ち入ってはいけない神域が多く点在する。沖縄に限ったことではない。東北の山々もそうだ。かつては神様の鎮座する岩倉や頂きは、神聖な場所として人が登ってはいけない場所だった。それ故に、山の8合目付近に社を作り、そこから頂上を拝む習慣があった山も多い。

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それが立ち入らないどころか、重機を持ち込み鉄塔を建て、網の目のように電線を張り巡らし、ニュータウンを造成するために、社どころか山そのものが消えた所もある。

僕らは見えないものに対する感覚があまりにも鈍化した。

一番の教訓は僕はそこにあるような気がする。生かされていることへの感謝。この星を使わせてもらっていることへの謙虚さを忘れてはいけない。

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2012年9月 2日 (日)

さざ波

小さなことから大きなことまで、日常は本当に様々なことが生じて波紋が起こり、そのさざ波は人生を彩って行く。

僕は普通のことも、ヘビーなこともなるべくフラットに考えることにしている。すべてが必然。偶然を装っていろんな学びがやってくる。

経済のこと、教育のこと、そして会社や学校の人間関係、親子関係、日々さざ波は押し寄せる。時にそれが大波になることもあり、本当にドキドキだ。

夏になるとスイカ割りをやる。今年は大きなスイカが自宅の畑にできたが、そんな余興をやる気分にはなれず、今年はスイカ割りなしの夏が過ぎて行った。

手ぬぐいを目隠しにして、周りの声を頼りにスイカに直進するあのドキドキ感は、なんとも言えない。周りの声を頼りにするのだが、どこかに自分の感覚を信じたい自分がいる。

実は日常の様々な出来事も同じで、物事を掌握している人間の意見に従えばよさそなものだが、どこかで自分の意志で突き進みたい自分がいる。

こうすれば物事が上手く行く的な、そんな方法論に反骨したくなるのが、人間の性だ。ひょっとしたら自分だけが例外じゃないだろうか。何をやっても自分の運は人とは違うんじゃないだろうか。そんなことを考えることはないだろうか。

一方、スイカ割をしている当事者にアドバイスする人間の感情も見てみよう。

スイカを割らせたいと思う反面、早く割られては余興がつまらない、ちょっとだけルーズ感のあるアドバイスをと思ったことはないだろうか。

実はこの感情のゆらぎが、様々な波紋をもたらす。

実は世の中に生じるゆらぎは、スイカ割りのアドバイスや、自分に対する意志のゆらぎほどでしかないように僕には思う。

だから深刻になることはないし、自分の意思決定に強烈な自己責任を感じることもない。僕はそう思う。

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2012年9月 1日 (土)

神様のうんちく話

こんばんはかねごんです。

実は僕の身辺に現れていた777の謎が分かって来ました。このブログを読んで頂いている方々にはご存知の777神話なのですが、初めての方のために少しご説明をしましょう。

岩手県奥州市水沢区に、駒形神社があります。全国駒形神社の総本山である駒形山の神様です。

この神社の手前に、水沢高校に曲がる交差点があるのですが、駒形神社に向かうさい、僕の軽トラックがその交差点で信号待ちをすると、必ず対向車か隣に並ぶ車のプレートナンバーが77の車なのです。

これは例外なく起こる奇跡です。その現象に気づいたのは10年前です。それから30回以上は駒形に行っていますが、77が起こらなかったのは、昨年の震災後に行った時だけで、確率はほぼ100パーセントです。

実は僕の知人で、超感覚が研ぎ澄まされている方が申しておりましたが、震災後東北の山の神々が、これ以上のカタストロフィーを起こさぬよう、海や海底の近くに総集合し、猛烈な神力を発揮したそうです。だから僕が震災後に駒形に行った時は、神様方が不在で、77の奇跡が起こらなかったのでしょう。

最近駒形神社の境内に祀られている木花開耶姫命(このはのさくやひめ)がプレアデス星(スバル星団)の神様であることがわかりました。木花開耶姫命はご存知富士神界の神様です。プレアデスは7つ星、そうですここに77の秘密が隠されていたのです。ちなみに僕の軽トラックはスバルのサンバーです(関係ないか・・・)。

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(プレアデス星団)

もう一つ、僕が信仰する早池峰山の神さまは瀬織津姫(せおりつひめ)です。彼女はシリウス系の神様で、いわゆる日本の縄文人が信仰してしていた神様なのですが、水の神様です。仏教では11面観音として信仰されていますが、仮の姿は龍神です。僕が龍神にハマりだしたのは、早池峰に頻繁に登るようになってからです。いろんな繋がりが見えてきました。

瀬織津姫が祀られている神社は、すべて地層年代がとても古い土地が多いですね。縄文時代は海水位面が日本の内陸部まできていましたので、北上高地のような古生代や中生代の堆積岩(砂岩・粘板岩・石灰岩等)および花崗岩から構成され,ている古い土地は、縄文人の活動場所であったと思います。

僕が77と遭遇するようになった時期に、時代は水瓶の時代に入りました。水の神である瀬織津姫の復活です。

ということで木花開耶姫命のパワーと瀬織津姫の女神のパワーを借りて、僕は願掛けを始めたわけです。

神社の神様もいろいろいらっしゃいます。自分が氏子になっている神社の神様や、言い伝えや神話を探ると色んな景色が見えてくるかも知れません。楽しいですよ!

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あなたがここにいる

あなたがここにいるということは、

あなたを育てた大きな愛があったという証だ。

その事実だけでも

あなたの存在はとてつもなく大きい。

だからだいじょうぶ。

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あなたはあなたの道を歩んでいける。

誰かが左の道がいいよと言っても、

あなたが右の道がいいと思ったなら

それでいいと思う。

もし誰かが道の途中で休んでいたら、

一緒に休んでもいいし

そっと手を差し伸べてもいい。

あなたがここにいるということは

そういうことだから。

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