思考を言葉が遮るのは、我々の欠点だ
時に図書館であったり、時に本屋さんであったり、本棚にぎっしりと並べられている書籍を見ると、僕はめまいを感じる時がある。
いくら本を読んでも読んでも、世の中に本は増殖し続ける。小説や随筆、そして様々なロジックを繰り広げる本というものの総体を眺めていると、雑然とした想念があちこちでぶつかりあい、エネルギーが拡散し、時に中和し、まるで宇宙の膨張を眺めているような錯覚に陥ってしまう。
人は何故に本を書くのか、何故に本を読み続けるのか、まるで文字が人間を縛り付け、呪文の如く僕らをフリーズさせる、文字に耽溺し、そして文字に動かされて行く。
怒りや悲しみ、喜びや感動を文字にすることで、僕らの感情は共有される。目に見えない鎖の繋がりの中を、囁きが、罵声が、祈りが波紋を起こし伝わって行く。
僕らが介入し、介在する社会は、本当に現実の世界だろうか。ひょっとしたら僕らの想念が作り出したバーチャルの世界ではないだろうか。疑念がふついふつと頭をよぎっていく。
原子のレベルで物体を見ていくと、僕らが実態だと思っている世界は消滅する。すべての生物、すべての人工物が、存在物であることをやめる瞬間、それから先の視線は神の領域だ。
僕らは宇宙の外側を見ることが出来ないのと同様に、原子の中を見ることも出来ない。原子という言葉が思考をブロックしてしまい、その先に進まない。
思考を言葉が遮るのは、我々の欠点だ。言葉なき思考、文字無き思考を共有出来た時、我々人類は、新たなステージに立てるのではないだろうか。
縄文人は、原始的だから文字を持たなかったのではなく、文字を超越した思考を共有できたから文字が必要なかったのではないかと、夏の夜空に輝く星を見ながら、そんなことを考えていた。
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金田さん、また思考中のようですね。
この記事は、私も好きな世界観です。
東京の夜空は星が数えられる程しか見えませんので空想も難しい・・・。
話は変わりますが、
現在、ふくしま集団疎開裁判の会の抗議行動を応援していますが。2週間前の金曜日にその会が文科省前抗議から国会議事堂近くに場を移し、抗議スピーチしている際に、一関市からわざわざ参加した親子(母親と娘さん)が私に声をかけてくださいました。
「福島以外にも私たちのようにホットスポットで暮らす子供が多くいます。一関もそうです。どうか、その地域に住んでいる子供たちのボディーカウンター検査や定期検診を国の負担でやって欲しい!その事も訴えてください。」と、真剣に話してくださいました。側にいた娘さん(中1ぐらい)も真剣な目で、お母さんと一緒に頭を下げられて帰られました。
一応、ご報告しておきますね。
子供たちの健全な未来、その『入口』だけでも温かい光で照らして上げられたらと思う毎日です。
(かねごん)
コージークレマ様コメントを頂きありがとうございます。そうですか一関市から参加された方がいましたか。
今月の初め福島県に行きましたが、線量を計って一関市の線量の高さを再認識しました。
まずいですよ。
抜本的な緊急支援が必要だと思います。
投稿: コージークレマ | 2012年8月23日 (木) 17時51分