頑固のままでいい
僕もそうだけれど、個人経営者というものは頑固で、時代が変わっても自分のやり方は正しいと思っていて、客が来ないのは、自分の店の良さを世の中が分からないからだなんて思っている。そして、その延長線上に、悲しいかな終焉がやってくる。
何代も続いてきた老舗は、それぞれの時代にあった営業戦略を練り、世の中のニーズに迎合し、ハード面でもソフト面でも研鑽を重ね、繁栄してきたお店だろうと思う。
僕は自分一代で店を閉じるつもりなら、頑固のままでいいのではないかと思う。
僕は、吹けば飛ぶような個人零細塾のオヤジだ。倅に継がせるつもりはないし、肉体的にこの仕事がしんどくなった時、もしくは生徒が来なくなった時に教室を閉じるつもりだ。それまでは、自分がやりたいように、自分が正しいと思った方向性を突き進んで行くだけだと思っている。
きっと今後ともパソコンを指導のメインに組み入れることはないし、衛星放送のようなメディアを利用することもないだろうと思う。
赤ペンを握り、メモ用紙を片手に、数学の公式を紐解き、英文の解説をし、電気回路の流れを説明し、そして歴史に於ける人間模様を話して行くのだろうと思う。
20数年間ずっとそういう指導をやってきた。個人塾なものだから、僕との相性というのがあるのかも知れない。生徒が集まる時は集まるし、集まらない時は集まらない(・・苦笑い)。
かつては塾生を合格させることが、塾が生き残って行く最大の武器だと思ったりもしたが、近年は合格実績と生徒の集客は、あまり関係がないようだ。
運というのかそんなもんがあって、部活などのリーダー格の生徒が入ってくると一気に塾生が増えたりするし、逆にあの子がいるから塾に入りたくないなんていう声も聞こえてきたりする。
経営者が運に頼ってはいけないのかも知れないが、何十年もやってくると、仕事の中身云々とは違うところで、業績が左右されることがあって、塾屋家業は本当に難しいと実感するかねごんである。
ところで僕の塾は岩手県一関市にあるのだが、放射能のホッ卜スポットとして有名になってしまった。塾屋家業ではさっぱりの僕の塾だが、このブログが、放射能関連のブログとして注目を浴びてしまい、連日多くのアクセスを頂いている。
アクセス分析を見ると、教育の話や音楽の記事を書いた時は、数秒でブログを立ち去る方が多いのだが、原子力や放射能関連の記事の時は、アクセス数もさることながら滞在時間も大幅に増える。
かねごんよ、放射能のことを書いてくれという読者の方々の暗黙の要求だろうと思う。一関では、牧草地の草を牛に食べさせちゃいけなと言われているのに、野菜は大丈夫というのはおかしいだろうと、僕は昨年から言い続けてきた。
数日前の記事にも書いたが、今月一関市で収穫されたじゃがいもは60ベクレルを超えている。玉葱も40ベクレル超だ。そんなもの幼児や児童には食べさせられないだろう。
僕の家では作った母には申し訳ないが、じゃがいもも玉葱も破棄した。野菜は九州のものを食べている。畑があるのに、野菜を食べれないジレンマ。想像してみて頂きたい。この状況が、きっと僕が生きている間続くのである。
僕は頑固だから妥協しない。しかしその頑固さも時に萎えてしまう時がある。そんな時は、思いっきりギターを片手に歌を歌う。ストレス解消に、『原子力ふざけんなよこのやろう・ブルース』なんていう曲でも作ろうかと思っている。
本当にふざけんなだ・・・。
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