文科省がまたまた分けのわからない答申を打ち出してきた
複雑化する学校の課題に対応できる教員を育成するため、文科省の中央教育審議会は28日、教員の養成課程について大学院の修士課程まで履修すべきなどとする答申をまとめた。
中央教育審議会がまとめた答申では、いじめや不登校など複雑化する学校の課題に対応するには、現在のように大学の4年間で基礎的な知識や技能を学ぶだけでは不十分だとしている。この上で、大学院での修士課程まで履修し、その間、実際に学校の現場で長期間の実習を行うべきとしている。NHK
文科省がまたまた分けのわからない答申を打ち出してきた。教員過程に大学院の修士過程を義務づければどうなるか。
裕福な家庭の子息しか教員になれない状況が間違いなく増える。教員の質は人間性の問題であって、大学教育の質の問題ではない。
今の学校制度では、中学生や小学生はクラスも担任の先生も選ぶことが出来ない。世の中では当たり外れが囁かれている。
教科の先生も、担任の先生も選択制にしたら、さぞかし教員の質が変わるのではないだろうか。閉鎖的な学級制を廃止したら、いじめや不登校の問題が僕は少なくなると思っている。
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こんばんは、学び舎です。
文科省が何を考えているのか、まったく理解できません。大学院修士課程に行かせるより、教員採用試験に合格した新採用の先生方に、その二年くらいの期間を使って社会研修させた方がはるかに有益なのではないでしょうか。
学校の先生が学校しか知らないというのが一番の問題です。民間の企業、それも大手ではなく中小企業に派遣して研修させた方がよほど世の中のためになりますよ。ものを買いに来たお客様に「いらっしゃいませ」と頭を下げる経験をするだけでも何かしら得るところはあるでしょう。大学院修士課程など笑止千万です。
金田先生の指摘されるように、学級制度を廃止し教科担当も担任も選択制にした方が、いじめを減らすためには有効ではないかと思います。閉鎖的な空間で閉鎖的な人間関係の中でしか呼吸できないと感じるから、いじめる側もいじめられる側も救われないという気がします。
大学院修士課程まで強要するより、もっと文科省がすべきことがあるように思いますが。
(かねごん)
小林先生、賛同のコメントを頂き恐縮です。
文科省のお役人は、夏バテを通り越して、オツムがどうにかなってしまったのではないでしょうか。
何でもかんでも大学院の修士過程にもっていけば、優秀になるという幻想がそもそもおかしいですよ。
よっぽど大学教育に自信があるのでしょうか・・・・・
投稿: 学び舎主人 | 2012年8月29日 (水) 23時49分
かねごん先生
お久し振りです。向上館の熊谷です!
仰る通りだと思います。人間力とは、なかなか難しいものではありますが、この方針で何かがプラスに働くようには私も思えません。…私も過去、イジメ問題等に介入?してガツンと向き合ってきましたが、子ども以上に親御様の対応で大変な思いをしてきました。
時代の流れに合わせがちな自分もいるのが恥ずかしいですが。。大事な核の部分をもっと見つめていかないといけないですね。
頑張ります!
向上館 熊谷
(かねごん)
熊谷先生こんにちは。
熊ごんの活躍を岩手の地から応援しております。というか、グチだけ言っている自分が情けなく、しっかりせねばならないと、熊ごん先生を見ていて感じております。
今回の文科省の答申は、教員の世界をますます狭くするものだと思います。優秀な人材を育成するどころか、優秀な人間が、ますます敬遠してくのではないでしょうか。
投稿: 熊谷 | 2012年8月30日 (木) 00時46分
学び舎主人さんの言っていることに大半は賛成です。
現在の大学教育は指導科目を理解するより心の問題に取り組むため、科目理解が少ないまま学校の先生になっていると聞きます。なので学び舎主人の内容に+してもっと担当科目について詳しくなるように学ぶ必要があると思います(ただでさえ学力の足りない先生が多いので)。
会社に入ったときに自分を指導する上司は選べないように、学校でも指導する先生は選べないのはいたしかないと思います。学級制度をなくすと、わからないことの多い小さい低学年の子供たちにいろいろな先生からの指導を受けることになるので、混乱して悪いほうに進みやすくなるので、安易になくせないのではないでしょうか(分別がつく年頃は賛成です)。
なによりも文部省は現場の現状、現場の先生は世の中をもっと知ることなどするべきことがあることはあると思います。
(かねごん)
岐阜の青影先生おはようございます。
学級のなかで、空気感を読んで、集団生活を耐え忍ぶ学びは、かつての終身雇用制の社会に於いては、とても大きな役割を担ってきたような気がします。
つまり無理難題を要求される社会への適応能力を鍛えるという意味に於いてですが。
しかし個個の個性を尊重する教育が主流になり、幼児期から家族に一杯愛されて育つ子どもたちにとって、この学級システムは限界に来ている気がしますね。
ソフト面だけが先行し、ハードが戦後社会のままの歪が、いじめや不登校の原因になっていると、僕は感じています。
投稿: 岐阜の青影 | 2012年8月30日 (木) 08時20分
Aの母です。娘が教室に入れない日が8カ月なりました。たくさんの教員(先生)の方々と接してきましたが、娘の心理、心を知ろうとしていません。この前、カウンセラーの方との面談がありました。「お母さん、義務教育ってわかりますか?」と質問されたのですが、私こそ疑問だったので反対に聞きました。「社会に出て困らない 最低限の学力と知識等 の教育」とおっしゃいました。でも、私から、言わせて貰えば肝心の先生方の方が一般社会を知ってない 常識はづれな行動 言葉を投げつけています。
自分たちの収入元は、税金で成り立っている事忘れていませんか?
大学院で何を学ぶのですか?今まで娘が出会えた学校の先生なかで良かった先生は、講師の先生です。可笑しくないですか…?
(かねごん)
Aの母様コメントを頂きありがとうございます。
教員が権威を持ってしまうと、弱者を心眼で見ることができなくなりますね。政治家と同じです。
勘違いと言えばそれまでですが、その土壌を作ってしまったのは高等教育にも原因があります。
つまりテストの点数による能力採点ですね。残念です。
投稿: Aの母 | 2012年8月30日 (木) 12時32分
こんばんは。私は教育とは無縁の仕事に就いておりますが最近仕事中に教育というものを考えさせられた出来事があり、少し書いてみたくなりました。と言いますのもこの半年、原発の事とりわけ4号機のプールについて非常に心配している私は、原子力ムラと言われるあらゆる情報を確認する日々が続いているのですが、先日エネルギー原子力政策懇談会なる団体を知りました。かつての文部大臣有馬朗人氏が会長を努めておりますがこの映像を見て、いかに日本のトップを排出したT-大がこの国を牛耳ってそして酷いものにしてきたのかを再認識しました。そこで仕事中に教育というものを考えさせられた出来事ですが、先日建築着工前の解体工事開始挨拶にに伺ったお隣は某大学の名誉教授というご立派な方でした。T-大卒というその名誉教授はいきなりY弁護士を君は知っているか?と自分はT-大卒なのでいっぱい優秀な弁護士を知っているので何かあったらすぐその弁護士に掛合うつもりだというのです。こちらはご迷惑をおかけしますと挨拶に伺っただけなのに、いきなり弁護士ですからこの常識の無さには本当に呆れてしまいました。もう70も過ぎていらっしゃるのにどんな社会勉強をして来たのかと。有馬先生といい、この老教授といい日本の最高学府はどんな人材を生み出して来たのでしょう。全部がそうとはもちろん言いませんけれど、国会事故調の登場する優秀なT-大卒の参考人を見るにつけ、これは本当のところ教育の問題ではないかと思ったりする訳です。
(かねごん)
shinkunopapa様コメントをありがとうございます。
学校教育の現場にはほとんどT大学を出た人間はいません。塾業界でも稀ですね。
官僚の中で、一度も教壇に立ったことのない人間が、教育の世界を牛耳っています。彼らはいじめの問題も、授業料が払えず困っている親の気持ちも分かりません。
今の日本の教育がおかしいのはそこです。
投稿: shinkunnopapa | 2012年9月 1日 (土) 00時46分