哀しみのバラード
高校1年生の時に、一関体育館で初めてバンドを友人と組んで歌を歌った。当時もちろん持ち曲などなかった僕は、オープニングに根田成一の『哀しみのバラード』を歌った。その時頂いた拍手が病みつきになり、僕は音楽に没頭していく。
今でこそ一関には立派な市民文化ホールがあるが、僕が高校の時は、一関体育館がコンサートホールの代役をしていた。キャンディーズのさよならコンサートも、ベンチャーズもそして僕の大好きだった河島英五のコンサートも、この体育館だった。
高校入試に失敗し、彼女にも振られ、自暴自棄になっていた15歳の僕は、この歌の歌詞と自分の人生を重なり合わせていたのかもしれない。
実はこの歌をなかなか聞くことが出来ずにいた。青春のトラウマというわけではないが、いろんな哀しみを思い出したくなかったからだ。
35年ぶりに聞くこの歌。あの頃の日々の光景が蘇ってくる。
この曲を爪弾いたギターはとうの昔に壊れ、歌を歌った体育館も震災後使用不能になった。高校時代が懐かしいかと問われれば、正直言ってNOだ。
あの頃の哀しみのバラードを埋めるために、僕は高校教師をやっているのかも知れない。
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