未来は変えられる
僕のことをブローガーと呼んで頂く方が多いが、毎日書きたいことを適当に綴っている、さえない50歳を過ぎた中年の塾オヤジだ。
僕の記事など全くたいしたことなどないのだけれど、僕の記事に寄せられるコメントには、いつもうならせられる。まさに人の恩義を感じる日々だ。
塾の仕事が終わり自宅に帰ってPCを開くと、ほぼ毎日ブログに対するコメントやメールが入っている。一時期、エロサイトの誘導メールや脅迫メールが頻繁に送られて来ていたが、このところ諦めたのか、飽きたのか、来なくなった。ありがたい。
僕が住んでいるのは岩手県一関市花泉町。北上山系の山懐に僕の住まいはある。毎晩帰宅途中に、狸やきつねが現れる自然豊かな丘陵地帯である。
こんなところに住んでいると、世の中が騒いでいる雑多な日々が、まるで夢か幻のように感じられるのだけれど、降り注いだセシウムや放射線の影響ははかり知れず、食べれない山菜やキノコ類を前にして、現実に引き戻される瞬間はやるせない。
ジャズをこよなく愛し、年老いた母と、正義感だけで生きている25年連れ添ってきた女房と、二人の息子、そして一匹のメス猫と暮らしている。
昨年の震災以後、正直言って塾の経営は厳しい。農作物も放射能の影響でさっぱりだ。22年塾を営んできた。崖っぷちに立たされたことが何度かあった。この放射能の問題や福島原発の問題は、先行きの見えない不安となって真綿のように首をしめてくる。
この地で塾をやっていていいのだろうか。何度か自問自答した偽らない自分の気持ちだった。しかし多くの人達が何もなかったかのように山に行って山菜をとり、線量の高い校庭で子どもたちを普通に遊ばさせている。昨年の春のことだった。
みんなが知らない。今のところ安全ですという、政府の悪魔の囁きに洗脳されてしまった人たちに声を出さなければならない。
僕がブログを毎日書き続けてきたのは、このためだったのではないかと実感した。僕のブログに、一関市の放射線量や放射能の危険性に関する話を書き始めた途端に,僕のブログのアクセス数の桁が変わった。
多くの繋がりが生まれた。食べ物による内部被曝を防ぐことが、数年後の悲劇を防げる。多くのお母さん方が立ち上がってくれた。嬉しかった。
まだまだ道は険しいけれど、未来は変えられる!
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