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2012年7月 6日 (金)

誤った洗脳

塾や学校で子どもたちを教えていて、一番大切なことだと思うことは、いかなる能力でも、個性として尊重してあげなければならないということだ。

例えば乗法公式が出来ない高校生に、『こんな公式も出来ないのかよ、中1の文字式の展開でもやってやるか』と教えるのと、『乗法公式が出来ないなら中1の文字式をやらなきゃ』と教えるのとでは、事象として教えることは同じでも、次元は全く違う。

教える側の波動は、受け手の側にストレートに伝わっていく。

出来ない子どもは勉強が出来ないのであって、人間性やその子の精神性(魂)が劣っているわけでは決してない。勉強の出来ない生徒を馬鹿にしたり、軽蔑する側の人間性の方が、逆に疑われてしかるべきだろう。

勉強が出来ない、やれないという理由は、本当に様々だ。一言で家庭環境が云々という包括的な言い方で、論じられることではない。

学校での能力による差別は、やがて社会に行って、学歴格差、経済格差となって拡散し、新たな差別を生み出して行く。

「学校の宿題もまともにやれない奴が、社会に出て成功するはずがないだろう」 よく聞くフレーズだ。学校の宿題がしっかりやれる人間=社会の成功者という図式を平気で言える組織の方が、僕は大きな問題を抱えていると思っている。

学校の勉強さえ出来れば成功するんだという誤った洗脳が、多くの悲劇を生んでいると言っても過言ではない。

例えば、英語ひとつとってもそうだろう。中学、高校の6年間、毎週4時間も5時間も授業を受けてきて、いったいどれだけの日本人が、アメリカ人と日常会話を出来るだろうか。

学問することの楽しさ、継続性を伝授すること無く、通知表の成績や単位の習得を、イエローカードやレッドカードとして見せびらかせ、勉強を強制する教育が、僕は根本的に間違っていると思っている。

そもそも赤点を取らせないために授業をするのでもないし、単位の習得が勉強の最終目的などではない。

高度経済成長期、日本人は勤勉で努力をする国民だと世界から賞賛された。戦後の焼け野原から、わずか20年足らずで、オリンピックを自国で開催した日本は、奇跡の復興を成し遂げた。

高校進学がほぼ100パーセントとなり、大学進学が当たり前になってきた今、かつて世界から賞賛された勤勉さが、暗記やルーティンをこなす作業にシフトされ、日本人のパワーが封じ込められてしまった気がするのは、僕だけだろうか。

アメリカに回れ右をしてしまった日本という国の民は、個性的であることの本質を忘れてしまったかのようだ。

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コメント

かねごん先生こんばんは。

僕は、
特に今年の教科書改訂後、
保護者さんに話す内容に、
「テストで思うように点数が取れないことと、
 お子さんの性格や人間性は別物だと捉えて
 ください。テストで結果が残せない=
 ダメ人間だと考えるのは止めてください。」
と言うことが多いです。

例えば、
点数を取れなくても、
今の日本には希有なくらい
親を思いやる優しい気持ちを
持っている子はいるわけです。

妙な大人の尺度でその子たちを
潰してしまっては
絶対にならんと思います。
点数が取れない根本原因は、
その子自身には無く、
そのように仕向けた社会、
さらに深く掘り下げれば、
その社会に踊らされている親自身に
あるからだと考えているからです。

勉強が出来る出来ないの問題は、
その子自身の責任がゼロだとは言えませんが、
おぎゃーと生まれた時、
真っ白なキャンパスのように無垢な幼子に
今も昔も変わりはありません。
成長途中で大人が仕向けるキャンパスの染め方が
間違っているだけです。

(かねごん)
美川先生スレが遅くなってしまいました。申し訳ないです。
今日は従兄弟の結婚式で仙台に行って来ました。久しぶりの休塾でした。
盛岡もそうですが一関も学校の名称が、一高、二高とういうレベル分けのような呼び名になっています。僕は気に入りません。
点数で判断して、底辺校の学校を露骨に馬鹿にする市民の感覚も大嫌いです。
美川先生がご指摘のように、妙な大人の尺度で子たちを
潰してしまっては絶対に行けません。
言っちゃ悪いですが、たかが点数がちょっといいくらいで、進学校気分でいては困ります。
優秀なものはもっと大きな目標を持ってもらいたいですね。

私の気持ちを代弁していただいたような心持ちです。
かねごんさんや、美川さんのような教育者がおられることに希望を持ちました。
また、勉強に限らず、仕事や作業や部活など、あらゆる場面にこれは当てはまると思います。
どんな個性をもってどんな気持ちを持っているかが大切だと思うのです。「勘違いしていませんか?」と言いたい時があります。

(かねごん)
たんた様コメントを頂きありがとうございます。
僕が日頃教育の現場に対して感じることに、率直な意見を書かせて頂きました。
賛同頂きありがとうございます。
僕は知の本質は、競争原理には存在しないと思っています。個々人の輝きがすべて知恵であり、知識です。

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