英語ができない生徒はダメ生徒なんかじゃない
英語が苦手という生徒が増えている。様々な要因があるだろうが、スタートラインの格差が、教える現場の先生方を戸惑わせ、そしてある種の見切り発車をさせてしまっている。
今回教科書の難度が上がったということも、苦手を生じさせている原因かも知れないが、基礎力の定着を徹底しないまま、多くの落ちこぼれを放棄してしまっている。
ゆえに英語の塾通いが増加している。塾側にしてみれば嬉しいことかも知れないが、教育現場の状況を考えれば、本末転倒だろう。
小学生が様々な英会話スクールや英語教室に通いだした。小学校に英語導入という文科省の決定が、保護者の焦燥感を煽ったかたちだ。中学校の英語の授業はやりやすくなった。なぜなら反応の良い生徒たちが必ずいるからだ。
その反応の良さに勘違いして、授業がどんどん進む。塾に来ている子どもたちの進み具合は僕に言わせれば異常だ。きっと英語が全くわからない生徒が水面下で苦悩して蠢いている。
高校にやってくる生徒を見ていると、英語が全くわからない生徒が増加している。彼ら彼女らにとって、英語は苦痛以外の何ものでもない。そこに英語オンリーの授業などやられたものなら完全に蚊帳の外だ。
戦後、日本は英語教育に異常と言えるまでの情熱を傾けてきた。僕はGHQの某策だと思っている。受験英語の勉強に多くのエネルギーを奪われた若者たちは、アメリカンドリームの片棒を担がされ、日本国の国力の低下というアメリカの陰謀にまんまとハマリ、やらなければならない学問を放棄し、英語というどうでもいいような学問に精を出すあまり、国のパワーが弱体した。
嘘だと思ったら、中学や高校のカリキュラムを眺めて欲しい。莫大な時間が英語に注ぎ込まれ、生徒は欠伸をして眠りこけている。
英語が読め話せることが、まるで教養人の模範のような幻想を日本人は持ってしまった。笑ってしまう。僕は一応英語ができるが、自分の能力の無さは自分がいちばん知っている。
水道管もちょっとした電灯の配線さえも直せない。英語ができてもお金にもならない。故に貧乏暮らしだ。
公立の学校の英語教師以外、田舎で英語がお金に化ける仕事などない。莫大な時間とお金を英語に費やしてきた結果がこの有様だ。
英語に変な幻想や、明るい未来を持つのはやめたほうがいい。英語は話せて当たり前の時代だ。特殊能力でも何でもない。プラスアルファの強力な能力を培わないと日本は危ない。
もう一度言う。英語に意識が行き過ぎる。出来なければできないで、違うことにエネルギーを注ぐべきだ。英語ができない生徒はダメ生徒なんかじゃない。そうだろう。
私の気持ちを代弁していただいたような心持ちです。
かねごんさんや、美川さんのような教育者がおられることに希望を持ちました。
また、勉強に限らず、仕事や作業や部活など、あらゆる場面にこれは当てはまると思います。
どんな個性をもってどんな気持ちを持っているかが大切だと思うのです。「勘違いしていませんか?」と言いたい時があります。
(かねごん)
たんた様コメントを頂きありがとうございます。
僕が日頃教育の現場に対して感じることに、率直な意見を書かせて頂きました。
賛同頂きありがとうございます。
僕は知の本質は、競争原理には存在しないと思っています。個々人の輝きがすべて知恵であり、知識です。
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