戦線離脱
戦線離脱。
若いころは不安に苛まれると読書に逃げた。いわゆる頭でっかちのでくのぼうである。
本から得た知識は、所詮いっときのカムフラージュにしか過ぎなのに、人生が分かったよのうなふりをして自分をごまかしていた。
僕だけではないようで、読書好きの人間には結構この手の戦線離脱者が多くいて、お互いに慰め合い、架空の似非哲学を構築して、現実逃避というやつをやっていた。
もちろん読書は大切だが、現実に向き合わず、知識だけの増幅を培養していると、人間は大成しない。だから僕も大成しなかったのだろうと思う。残念だ。
高校時代、同世代が読まないような本を古本屋から探してきては、得意げに読んでいた。そんな僕はかなり性格が歪んでいた。いや今も歪みっぱなしだ。
自慢にもなんにもならないが、ブログを書くようになって読書をしなくなった。年間20万円くらいを本につぎ込んでいた僕が、ここ数年は一ヶ月にブックオフで、100円の本を10冊も買えばいいほうで、1年間の書籍代は、1万円もかかっていない気がする。読書人生から、これまた戦線離脱だ。
本を読まなくなって、ふと思うことは、健康になったと思う。誤解を招くので付け加えるが、精神的な意味じゃなくて肉体的にである。卓球のコーチやら、なにやら身体を動こすことが多くなって、本を読む時間が少なくなったということもあるだろうが、本を読むのが面倒くさくなった。
ジャズを聞きながら、雑然とした風景を眺める時間が増え、空なる時間を堪能する日々が増えた気がする。
震災以後は、放射能関連の本をだいぶ買い込んできて読んだが、書き手の想念が猛烈な格差を生み出し、頭が朦朧とし始めてからは、インターネットで、気になる記事を拾って読むだけだにしている。精神的にはだいぶ楽になった。
僕よりも家内の方が、何かと行動的で、次から次へと様々な支援活動を展開している。その活動に、僕の日常がだいぶ奪われているのだが、僕の辛辣な精神が浄化されているのも正直なところである。
今日も半日農作業で汗を流した。日曜日の夕暮れは疲れ気味なのがいい。清らかな睡魔が襲ってくる。
今日はこのへんで戦線離脱だ。
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