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群馬大学の早川由紀夫先生が放射能汚染地図を群馬大学の支援により、全国に配布して頂くことになった(7月頃)。
早川先生いわく「ただし私の審査基準は厳しいですよ」という事で、先生の審査がパスした施設や学校への配布らしいのだが、一関市内では唯一僕の塾がパスしたらしい。
らしいというのは、僕が直接頼んだのではなく、子どもを放射能から守る会岩手のメンバーが打診したところ僕の塾への配布となった。
塾生や保護者を通じて配布しますので、放射能汚染マップを有効活用させて頂きたいと思います。
ところで、最近どうしてかねごんさんはそんなに放射能問題に噛み付くんですかという質問を頂く。僕の身辺を気遣ってくれる人も多い。
売名行為とか、ブログが権力を持ったとか、痛烈な批判も頂いてきたが、はっきり言って一銭にもならない。それどころかこの話題を取り上げれば取り上げるほど、個人的に敬遠される状況が生まれてもいる。
例えば震災前は、僕の塾の保護者の方は結構学校の先生が多かった。震災後僕は徹底して放射能問題に対する学校の対応を批判してきた。故に・・・・・・、現在親御さんが公立学校の先生というのは2名しかいない。そりゃそうだろうなと思う。
子どもたちを放射能から守りたい。僕の心情はこれ以上でもこれ以下でもない。
自分の生活と、放射能の危険を書き続け支援活動することのどちらが大切かと言えば、ためらうこと無く後者だろう。
宮城に女川原発が造られて以来、宮城沖地震がくれば僕の住んでいる地域は汚染地域になるだろうなという覚悟はずっとあった。まさか福島原発が3基も爆発し、一関が汚染地域になるだろうことは予想だにしていなかった。
この放射能汚染に対し、迅速な国や自治体の対応があったなら、僕もこんなブログを書き続けることもなかっただろうと思う。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ」
「関連性がない」
「甚大な影響がでる値じゃない」
もう聞き飽きた。チェルノブイリの悲劇を繰り返していけない。
放射性物質の「汚染状況重点調査地域」の市町村が策定した除染実施計画への国の承認が遅れている問題で、岩手県一関市は22日、独自の判断に基づき市内の学校施設で本格的な除染作業を開始した。子どもの安全を優先する観点から、国の手続き遅れに堪忍袋の緒を切らした格好だ。
作業をしたのは、一関市藤沢町の新沼保育園(園児33人)。市の委託業者が、約1400平方メートルの園庭に重機を搬入し、放射線量を測定しながら、土砂を表面から約5センチ除去して遮水シートで覆い、埋設・覆土する除染を始めた。
0~5歳の園児が通う同保育園では、4月に市が実施した測定で、園庭の空間放射線量が高い地点で毎時0.38マイクロシーベルトとなるなど基準値(0.23マイクロシーベルト)を超過し、子どもたちの園庭での活動を控えさせてきた。
作業は数日で終える見込みで、熊谷隆園長は「6月9日に予定している運動会を、園児たちに元気で迎えさせたい」と話した。
一関市は3月19日に実施計画案を国に提出。当初は3月中にも除染作業に着手する予定だった。市は放射線量が基準を上回っている市内33の学校施設について、国庫補助申請と並行する形で順次、除染を実施し、夏休み中に終わらせる方針。
新沼保育園で除染作業を見守った一関市藤沢地域自治区長の畠山博・元藤沢町長は「未来ある子どもたちの安全確保は行政が取り組むべき最優先課題だ」と強調した。(河北新報)
0.38マイクロシーベルトどころか、僕が住んでいる町のとある小学校の校庭は0.5マイクロシーベルトを超えている。今日も線量計で計ったがその値は全然下がっていない。
御父兄の方々やPTAの方に何度知らせても、平気でどろんこの運動をさせている(スポ小などで)。校庭の放射線量が高いことは学校側も知っているはずだ。僕は理解に苦しむ。
部外者の僕がうるさく言うのを、面倒だなと思う方がいるかも知れない。しかし小さな児童を守るのは我々大人の義務じゃないだろうか。
僕が学校長ならば0.5マイクロシーベルトを超える校庭で、小学生にスライディングの練習などさせない。
ヨウ素にも負けず
セシウムにも負けず
プルトニウムも負けず
東電にも怒らず
そんな人間に僕はなりたくない!
というTwitterを見ました。
勝ち負けのも問題じゃないですよ。本当に。
私たちは人間の尊厳とプライドにかけて、この時代に生きる子どもたちを守らなければなりません。
あの日から1年と2ヶ月が過ぎ、テレビや新聞は過去の物語のような論調ですが、これからが正念場です。
シュタイナー教育に携わる多くの方々より、医療・芸術・物資両面にわたり多大なご支援をいただいております。本当に心より感謝申し上げます。
この御恩は、地域の子どもたちに還元することで恩返しをしていきたいと思っております。
自宅教室である風と虹では、震災後から「教育・芸術・医療でつなぐ会」のご協力で、オイリュトミー療法、アインライブング、水彩ワークショップなど行なってまいりました。
始まりは3.11の大震災のニュースを受けて、ドイツの「教育芸術友の会」が、メンバーを募り「災害にあった子どもたちのトラウマをケアする」ために2011年4月に来日したことが始まりでした。
ドイツのチームは、仙台を拠点に2週間に渡り滞在し、強いショックで緊張をかかえた子どもや大人たちへ心や身体を解きほぐすため、いわき、女川、石巻、気仙沼などの被災地の幼稚園、小学校、学童、障害のある子どものホームなどを訪問し精力的に活動されました。
ドイツチームの活動の傍らで10数名の日本のメンバーもサポートしていました。
ドイツのチームが去った後も、日本の有志が集まりサポートを続けて下さっています。
ドイツの「教育芸術友の会」は、シュタイナーの精神科学、アントロポゾフィー(人智学)を基盤としていますが、日本のメンバーもオイリュトミー療法士、看護師、医師、治療教育家、芸術療法士、シュタイナー学校教師などシュタイナーの教育学や芸術、医療を学んだことで結びつきを持っています。
シュタイナー教育を実践している日本のトップクラスの方々が、僕の花泉の自宅に足を運んで頂き、子どもたちや親御さんに愛を与えてもらっている姿に、感動するとともに、本当に感謝で一杯です。
家庭向け電気料金の平均10%超の値上げを枝野幸男経済産業相に申請している東京電力が、社員の今冬の賞与(ボーナス)147億円分を料金値上げの原価となる人件費に計上していることが28日分かった。福島第1原発事故の処理と賠償で財務内容が悪化し、国から1兆円規模の公的資金投入を受ける東電は今夏のボーナス支給は見送ったが、冬のボーナスに関しては「未定」としていた。
【東電が申請した電気料金の原価詳細も】クローズアップ2012:東電、家庭向け値上げ申請 「7月」「10%」高い壁 上げ幅圧縮、要求必至
電気料金値上げの妥当性を審査している経産省の有識者会議「電気料金審査専門委員会」(委員長・安念潤司中央大法科大学院教授)は、東電に対し、人件費の一段の削減を通じた値上げ幅圧縮を促したい考え。同専門委は29日に会合を開き、人件費や修繕費などの計上が適正か審査するが、委員からは「公的資金を投入される立場を考慮し人件費を決めるべきだ」との厳しい声も出ており、冬のボーナスの大幅削減を迫られる可能性がある。
東電が経産省に示した資料によると、12年度はボーナスを147億円計上。13~14年度も各290億円強のボーナス(夏・冬含み)を見込んでいる。東電は福島第1原発事故以降、社員の年収を20%(管理職は25%)削減したが、専門委では「実質破綻企業の合理化策としては甘過ぎる」との指摘が出ている。東電は燃料費や人件費などに一定の利益を上乗せした総額を基に、7月から家庭向け電気料金の平均10.28%値上げの認可を枝野経産相に申請している。【小倉祥徳】
この経済危機のなかで、多くの下請け企業では、ボーナスどころかサービス残業を強いられている労働者も多い。原発事故による経営危機の中で、東電は例年のようにボーナスを支払おうとしている。あり得ない。
東電は何様のつもりでいるのだろうか。きっと、我我が電気を供給しなければ、国はOUTだろうぐらいに考えているのだろうと思う。政府は東電の言いなり。弱みを握られている政治家はわんさかいるはずだ。
いつかの銀行の時もそうだったが、経営が破綻しかかっているのに、血税を利用して賞与を出すという発想は、僕らのような自営業者からみたら、ローマ皇帝時代の暴君と変わらない政治状況だ。
上の記事を見て、今日は血圧が上がりそうだ。いやすでに上がっている。
僕は22歳の冬に、勤めていた塾から27万円の賞与をもらったのが、人生に於いて最初で最後のボーナスだった。その後は風天の渡り鳥。風に吹くまま気の向くまま、サラリーマ家業とは決別した人生を送ってきた。
ところで賞与って何だろう?不思議な習慣だ。
高機能自閉症を抱える関東地方の当時小学6年の男児(12)が3月、ほぼ全教科の成績を斜線(評価なし)とする3学期の通知表を渡されていたことが分かった。男児はクラスの授業に出られなくなっていたが、ほぼ毎日登校。発達障害児らを支援する「通級指導教室」(通級)は週3時間しかなく、保健室や図書室で過ごしていた。専門家は「学習支援が不十分で、通知表の評価が全くできないほど放置していたのは問題」と批判している。
母親(41)によると、男児は集団行動や字を書くのが苦手な一方、知能指数は高く、年500冊以上の本を読む。通級では算数や図工、集団行動などを学んだ。通知表は所見欄に「毎日少しでも教室で過ごそうと取り組んだ3学期でした」などと記されたが、国語以外の学科評価は斜線だった。母親は「存在を否定されたようでショックだった」と話す。(毎日新聞)
あってはいけないことだ。通信簿にどういう意図で斜線を引いたのかは別として、結果としてそれを評価として渡したことは、軽率な行為であり、教育者として反省すべきである。
僕は本来この自閉症という言葉も大嫌いだ。この言葉そのものが子ども達を迫害している。
そもそもほとんどの人間が何がしかの異常を抱えている。習癖や病気や障害をもっている。通知表に平気で斜線を引いた教師とて、僕に言わせれば異常である。
身体能力や、暗記能力、容姿には様々なタイプがある。決して平等ではないかも知れない。しかし間違いなく魂の世界では平等のはずだ。僕はそう思っている。
学びの世界は果てしない。
年に何度かあることだけれども、僕のブログに入って来られて、1年分ぐらいの記事を読み通していかれる方がいる。
履歴を見ると初めての方ではない。僕の過去のブログ記事の何かを探している感じなのだが、僕の方が興味深々である。
5年間で2400稿の記事を書いてきた。原稿用紙にすると5000枚ほどの分量になるだろうか。回数だけはなんとか更新してきたけれど、中身が伴わない駄文の山である。
女房には「貧乏話ばかり書いているから、お金に縁がないのよ」と言われる。
全くその通りである。返す言葉もない。
貧乏生活に拍車をかけたのが、今回の震災であり、放射能の拡散である。東京などの関東地区は山里や野原が少ないがゆえに、放射能汚染の実感が希薄かもしれないが、岩手に住んでいると、原野や放牧地のセシウムの値が非常に高く、そういった不安が間違いなく経済を沈滞させ、消費意欲を損ねている。
女房が東京から帰ってきた。放射線測定器を持っていったようで、いろいろ計ってきたようだが、一関とそれほど変わらない値だったようだ。つまり東日本はどこも安全な場所ではないということだろう。
東京の人達は、岩手の県南地区のように、食べ物に神経を使っている方々が少ないように感じる。普通に江戸前寿司を食べ、産地を気にせず食材を買っている人が多いと聞く。
「山里が汚染されて大変ですね」と東京から来た方々に言われるが、自然が警告してくれるからこそ、地方の人達は、食材や水に神経を使い内部被曝をしないように生活を気をつけることが出来ているのではないかと思っている。
実際は汚染が激しい東京であるにもかかわらず、その感覚が麻痺しているのではないだろうか。先日も書いたが、東京湾の放射能汚染は深刻だ。
心ある人は、神経を張り巡らせ、内部被曝をしないよう日常を送っている。都会の喧騒の中で、自然の警告に耳を傾けることは難しいかも知れないが、間違いなく風は吹いている。
一昨日、新年度を迎えてから二人目の塾生が入った。いずれも塾生の兄弟である。ありがたい。
夕暮れ時の僕の塾の周りは、いつもなら学校帰りの高校生が賑やかに通り過ぎて行くのだが、先日のブログでも書いたように、半年以上工事で道路が封鎖され、僕の塾の前を通り過ぎる高校生の姿はない。
今年度は二人が入塾しただけだが、塾生がいないわけではない。忙しい曜日はそれなりに忙しい。ただ暇な時はとことん暇である(笑い)。ちなみに火曜日と金曜日はガラガラです。
大家さんは最近土手の工事を眺めては、「いつ道路ができるのかしらね~」とため息をついている。震災がなければとっくに終わっている工事である。
昨年は道路の復旧や、沿岸の瓦礫の撤去に土木関連の会社が大忙しだった。大忙しと言えば、先日某ゼネコンの工事責任者の方と話す機会があった。福島原発の建設工事に関わったのは大手ゼネコン各社なわけだが、今度は福島の除染関連の仕事で、国から数千億の仕事を受注したらしい。
さすがにゼネコンの社員の方を前にして、怒りをぶちまけるわけにはいかず、「すごいですね~」などと言葉を濁したかねごんであったが、まったく納得がいかない。
今朝家内はシュタイナー教育関連の用事で横浜に向かいました。日曜日の夜まで帰って来ません。
パソコンに、家内宛てに多くのメールが来ておりますが、返答できない状況です。申し訳ございません。
ちなみに僕が卓球等で出かけていない時は、家内が僕に代わって、メールの送信をやってくれているのですが(‥苦笑い)、僕にはそんな勇気がございません。したがって家内のメールは放置状態です。ごめんなさい。
一応我が塾の社長なので、彼女がいないと多々困ることが多いわけですが、正直申し上げまして、ほっとしているところもあります(このブログ神奈川で読まれるとこわいな・・・・後で削除しようかな)。
さて話は変わりまして、今夜は平泉吉野屋さんにて、第7回イーハトーブ音楽祭が行われました。塾生の方や、このブログを見て下さっている方からお声をかけて頂きました。ありがとうございました。
今日は久しぶりのライブということもあり、思いっきり歌わせて頂きました。平泉の方々はあったかくていいですね。自分で言うのもなんですが、気持よく歌うことができました。
FM岩手の矢部アナが飛び入り出演をしてくれました。僕のかぶとむしを聞いて爆笑していましたが、彼女のギターもかなりのおお受けでした。
ラストのトリは、NHKみんなのうたでおなじみの吉野崇さんの透き通るようなハイトーンの歌声でした。心が洗われる感じでした。古川 大さんのピアノも相変わらず素晴らしかったです。
塾生のKくんわざわざ聞きに来てくれてありがとう。それからビンセン卜先生も多忙な中、僕ごときの歌を聞きに来て頂き感謝申し上げます。
さあ明日からまたふんどしを締め直して頑張るか・・・・。
お笑いコンビ「次長課長」の河本準一(37)が25日、東京・新宿の吉本興業株式会社東京本部で記者会見を行い、母親が生活保護を受給していたことを明らかにし、「大変ご迷惑をお掛けしました。お騒がせして申し訳ありませんでした」と謝罪した。
河本はグレーのスーツ姿で登場。会見の冒頭で謝罪の言葉を述べ、約15秒間、深々と頭を下げた。母親の生活保護受給について「事実でございます」と認め、受給を開始した経緯について、14、5年前の「自分が芸人として仕事がない時期」に母親が病気で働けなくなったと説明。母親が生活保護を申請し、福祉事務所から“母親の面倒は見ることはできないか”と打診されたが、その頃の年収は100万円以下だったため「申し訳ないが面倒を見ることはできない」と答えたという。
涙で目を赤くし、時折声を詰まらせながら語った河本。「福祉の方と相談して決めたことでしたが、むちゃくちゃ甘い考えだったと深く反省しております」と神妙に話した。(スポニチ)
今回の会見の記事を読むと、河本準一さんの母親が生活保護を受けるようになった経緯は何も問題がなかったのかも知れない。問題なのは、彼が有名になり多額の年収を得るようになっても、彼の母親が生活保護をもらい続けていたことだろう。
当初僕は河本のジャグネタなのかと思ったリもしたのだが、3000万円とも噂される年収を得ながら、母親の生活保護を断らなかった河本の放漫さは、許しがたい。
僕の住む町に於いても、老人の一人暮らしが増え、生活保護世帯が増えている。跡取りがいない老人ばかりではない。息子や娘が遠くに暮らし、子どもから忘れ去られてしまったような老人も多い。
それぞれの家庭の事情と言うものがあるのだろうが、気の毒でならない。
都会暮らしで、大事なものを失ってしまった夢追い人が多すぎる。
誰にでも不安はあるものだ。お子さんがいる親御さんならば、子どもの教育のことや、お金のこと、様々な問題が日々押し寄せてくるよね。
だけど、明日のことを心配してもしなくても、明日は間違いなくやって来るんだよね。思いわずらうことなんかやめて、やってくる明日を楽しめばいんじゃないかな。
自虐的に心をオープンにしたほうがずっと楽。
宿題が終わってなくても、明日振り込むお金がなくても、だいじょうぶ明日はやって来る。宿題をやらないからって即刻学校をやめさせられるわけではないし、お金が振り込めなくって命を取られるわけじゃないし、いってことよ。人生なんとかなるって。
生きていることはおもしろい。
ちょっとしたことで落ち込んだり、絶望したりするけれど、過ぎてしまえばほとんどが思い出になってしまう。
あの頃お金がなかったな~アハハハ。あの時死ぬことまで考えたけど馬鹿だったよな、アハハハ。てな感じで。
今多くの人たちが不安を抱いている。大地震が来るんじゃないだろうか。放射能が拡散するんじゃないだろうか。地球が滅亡するんじゃないだろうか。
占いや予言の類を信じ右往左往している人達が一杯いる。
神様や超自然的なものに頼りたい気持ちはわからないではない。でも人間を救えるのは人間なんだよね。
行動を起こせば必ず人は動くし、物事は動いていく。
困ったことがやって来るんじゃないだろいうかという不安が一番良くない。困ったことが起こったら、その時は頑張ればいい。起こらないうちから最悪のことを考えてうろたえることはない。
死ぬことが恐いという人が多い。だいじょうぶ。死なない人なんて誰もいない。人はみんな死んでいく。そういう意味では全く平等だ。
今・今を生きていれば人生は合格だと僕は思っている。気楽に頑張ろうぜ。
最近古民家のリホームの展示場に女房と出かけることがある。日曜大工の参考にと思って出かけるのだが、レベルが高すぎてクラクラしてしまうかねごんである。
その度に女房はため息をつく。いいわね~。
2千万円とか3千万円のリホーム物件、わが家の経済を考えれば、逆立ちどころか、宙返り4回転をやっても無理な話だが、匠の業に感動する。築120年などという古民家が、近代的なコンセプションでよみがえる姿は、想像を絶する素晴らしさだ。
先週の日曜日には、同じ市内の古民家を見学してきたが、明治時代から氏神を祀ってきた大きな神棚や、大黒柱のいぶし銀の輝きもさることながら、家を大切に使ってきた家族のぬくもりが伝わってきて、気持ちが洗われる思いだった。
女房いわく「お金を貯めないとね~」・・・聞こえないふりをしていたかねごんである。
もうしばらく僕のケチケチリホームが続きそうだ。
今度の土曜日・26日に、平泉の和菓子屋さん吉野屋さんにてイーハトーブ音楽祭が行われます。
昨年は震災のため開催されませんでしたが、2年ぶりの音楽祭です。今回も吉野屋さんよりお誘いがあり、歌わせてもらうことになりました。平泉が世界遺産に登録されて最初のイーハトーブ音楽祭です。盛り上がるのではないでしょうか。
時間は夕方6時頃より9時頃までの予定です。僕は仕事の都合で7時半ぐらいに到着します。プログラム進行が当日発表となるのですが、僕の出番は7時半過ぎ頃だと思います。
寸劇あり、クラッシックあり、そしてジャズあり、楽しい音楽祭です。マイクもアンプも使用しないナマ音の音楽祭ですので、逆に迫力があると思います。
今回僕は、2曲ほど歌わせて頂きますが、もちろんあの曲も歌うつもりです。
吉野屋さんの場所は、平泉駅前商店街で、東北本線踏切の手前です。当日は駐車場も準備されます。お時間がある方はどうぞのぞいて見てください。観覧無料です。
東日本の被災地の瓦礫が北九州市に運ばれた。反対派の市民の方々が、トラックの前に座り込みをしたようだが、その気持は理解できる。
大体にして東北の瓦礫をわざわざお金をかけて九州に持っていく意味が分からない。
瓦礫が汚染されているとか、安全だとかということじゃなくて、九州まで運ぶ費用があれば、もっと有効な手段を模索できたのではないだろうか。
岩手県は四国と同じ広さだ。確かに山ばかりの県ではあるが、県外に依存する前に、瓦礫を遠くまで運ぶ費用でもっと合理的な対策ができそうな気がするのだが、いかがだろうか。
僕のブログに送られてくるメールを見ても、「申し訳ないけれど私の町に瓦礫を持ち込まないで」という声が多い。正直な意見だろうと思う。
人道的な支援と瓦礫の問題は別だろうと思う。
瓦礫の処理が進まなければ、沿岸の復興は困難だ。かと言って持ち込んでもらいたくない町に、これらの瓦礫を搬入するのもいただけない。
避難されている方々の思いと、瓦礫に対する安全性に不安を覚える方々の思い。痛み分けとか人道支援という言葉では決して解決などできない問題だ。
民意をしっかり尊重した政治の判断を望む。
10年前にパソコンを購入し、ワープロから思考をチェンジするのにだいぶ時間がかかった。インターネットなるものがどのような世界観を拡散していくのか、楽しみでもあり、不安でもあった。
ミクシーや、ブログやらtwitter、そしてまだやっていないがファイスブックまで、日々情報が拡散していく。昨年の震災以来、僕の情報源は、ほとんどがウェーブ上で流動していく情報をキャッチすることで、まかなってきたと言っても過言ではない。
例えば僕のtwitterのフォロワーは500人程なのだが、一人のフォロワーが数万人のフォロワーを有していたりするわけで、ブログの記事や僕のつぶやきが時に数十万人の人間に拡散していく。不思議な世界だ。
ウェーブ上には計り知れない世界がたくさんあって、戸惑うことも多い。インターネットで巨額の富を得ている人がいたり、法律の網をくぐり、非合法な世界でインターネットを泳ぎ渡り暗躍している輩もいる。
ITのちょっとした技術と感性で、年収が軽く1千万円を超える若者がいる一方、毎日汗と涙にまみれ、必死に働いて年収が100万円にも満たない若者達がいる。言ってみれば現代はカオスの世界なのだが、その混沌とした世界の中に埋没してしまい、本来の自分を見失ってしまっている人達が多いのも事実だ。
僕のブログに貧乏話が多いせいだろうと思うのだけれど、いろんな方が、儲け話をメールやtwitterで送信してくれる。「簡単に数千万円稼げますよ」とか「かねごんさんくらいのアクセス数があれば、こんなことで儲けられますよ」などなど・・・・。
僕の生活を心配してのことだろうけれど、残念ながら僕の触手は動かない。
僕はお金を稼ぐためにブログを書いているのではない。簡単に言ってしまえば、毎日文章を打ち込むことで、僕自身の精神のバランスをとっているのかもしれない。
僕は塾教師なので、教科を教えてなんぼの暮らしをしている。ご存知のように、岩手は過疎化が進み子どもの数が激減している。そこへ次から次へと大手フランチャイズの塾が参入し、い僕の住んでいる一関の町から、個人塾がどんどん姿を消していった。
塾だけで食べている個人塾の経営者など僕の町にはいない。昼にパートをやったり、違う商売を営んだり、みんな朝から晩まで必死に働いて、塾を続けている。
放射能問題が浮上してからは、生活が本当に厳しくなった。農業や畜産は本当に大変だ。わが家では安全な食材を確保するために、かなりの出費を強いられている。エンゲル係数が飛躍的に上がっている。農家をやっているのに、野菜を買わなければならない状況は、実に悲しい。
劇的な改革が必要だ。女房に言わせれば「引っ越すことが一番いいんじゃないの」ということになるのだが、30代の僕だったらそうしていただろう。50をとうに過ぎて、これから仕事を一からやり直すことは、不可能ではないいしろ、決して楽ではない。
教育のこと、お金のこと仕事のこと、息子の進路のこと、そしてこの放射能のこと、家族のこと、堆積する問題にかねごんは今日も立ち向かう・・・・かな。
利根川・江戸川水系の浄水場の水道水から水質基準値を超えるホルムアルデヒドが検出された問題で、埼玉、群馬、千葉の3県の一部で取水が停止され、19日午前、野田、柏両市など千葉県で断水する地域が出始めた。影響が広がり、国土交通省関東地方整備局や各県は水質調査など対応に追われている。一方、ダム放水により数値が下がった取水地」としてもあり、一部で取水が復活した。今回確認されている数値について各県は「短期的には摂取しても人体に影響はないいる。
千葉県北西部に給水している北千葉浄水場(流山市)では、19日午前7時半、上流10キロから取水した水から基準値(1リットル当たり0.08ミリグラム)の約3倍に当たる同0.259ミリグラムのホルムアルデヒドを検出。北側の上花輪浄水場(野田市)なども含め複数の浄水場で取水停止措置を随時取っている。
19日正午時点の同県のまとめによると、野田市が午前9時半過ぎから、柏市は正午過ぎから断水が始まった。野田市では約13万人が影響を受ける見込み。夕方にかけて我孫子市や八千代市でも断水の恐れがあるという。(毎日新聞)
化学の世界ではベータ線を発する放射性物質 が塩素と結合すると、ホルムアルデヒドと クロロホルムが発生するのは常識とのこと。もっとも 心配されていた水の汚染が、深刻な状況を呈し始めてきた。
わが家では、自分の住んでいる地域が、高濃度汚染地帯だと知って、即座にセシウムやストロンチウムを除去する浄水器を台所に設置した。わが家では、浄水器以外からの水の摂取は控えている。
何度も僕がこのブログで警告してきたように、山々にこれほど多くの放射能がばら撒かれて、飲料資源のダムの水が大丈夫なはずがない。大丈夫だと言い続けてきたお役所の常識は非常識だ。
東日本のすべての浄水場の徹底検査をするべきである。
今日は改めて@マークにて、僕かねごんの自己紹介を致します。赤裸々な自分の人生をブログで綴ってきたつもりなのですが、かねごんってどんな奴?という声を多く耳にする今日この頃、子どもを預ける御父兄の皆様も知りたいことがあるのではないかと思い、ちょとまとめてみました。まったく興味のない方もおられるかと思いますが、お付き合い下さい。
@地球ねんおよそ50年とちょっと前かねごん生まれる。
誕生日2月7日。農家の長男として岩手県花泉町に生まれる。
@小学4年生に卓球に目覚める。
@中学1年、ヤマハのギターを購入。音楽に目覚める。
@中学2年の時に卓球で東北大会出場。1回戦で青森チームに惨敗。
@15歳、高校受験に失敗、アウトローを目指しバイクと音楽にのめり込む。
@18歳、大学生活を送るべき上京。バイトと音楽の日々が始まる。
@20歳の時に愛する祖父が他界。精神世界に興味を持つ。
@大学3年の時学園祭デビュー。曲作りの日々に没頭。
@卒業後東京中野の進学塾に就職。社会と英語を担当。
@23歳の時に岩手に戻り、1年間プータロ。曲作りを続けるが音楽を断念。
@奥州市の塾に入社。この塾にて無理矢理、数学と国語を担当させられる(笑い)。この塾で人生の友人となる小林先生と出会う。
@26歳結婚。横浜生まれの都会派が岩手の山中に嫁いできた。
@結婚して4年後、待望の長男が生まれる。
@29歳の時に父が他界。サラリーマンをやめ現在の塾と農業を始める。
@35歳、次男が誕生。
@38歳の時に再び音楽活動を開始。翌年オリジナル曲がFMで紹介される。
@38歳、息子がスポ小で卓球を始めたのを機に、再び卓球のラケットを握る。
@42歳の時に名曲(迷曲)かぶとむしを発表。
@43歳の時に塾の新校舎完成。家内がシュタイナー教育「風と虹」を始める。
@44歳の時末梢神経と痛風のダブルパンチでダウン。
@47歳の時に、ブログを書き始める。塾屋の論客であるとよ爺先生を知る。
@48歳の時にIBCテレビにて、音楽活動を紹介される。
@49歳より私立高校の英語講師を担当。
@51歳、東日本大震災を目の当たりにし、放射能警告ブログを断行。
@震災後地元平泉が世界遺産に登録。ブログが縁で繋がった神奈川のとよ爺先生、熱海の熊ちゃん先生、岐阜の上野先生、美川先生、愛知の永田先生等が岩手の被災地を訪れ、塾屋としての生き様を語り合った。
未だ沿岸部の被災地の瓦礫の処理は進まず、一関市の山菜や椎茸は高濃度汚染のため食べられず、牛の放牧もままならない状況が続いております。
子どもたちが住む住環境も決して安全と言える状況ではありません。岩手の県南地区は、何処を計っても空気線量は0.2~0.24マイクロシーベルトを示します。一関から避難した方がおられる一方、この地で生きていくことを決心し頑張っておられる方が大勢います。
やはり食べ物の被曝が一番心配です。内部被曝をいかに防いでいくかが大きな課題であり、僕ら大人が一番神経を使って行かなければならないことです。皆さん頑張りましょう!
政府は、福島第1原発事故が原因となった自殺の実態把握に乗り出す。東日本大震災による関連死の原因調査の中で、原発事故と自殺の関連について調べる。6月末までをめどに調査を行い、8月中にも原因を分析し、対策を取りまとめる。
関連死に含まれる自殺件数は明確でなく、特に原発事故と自殺の関連は実態がほとんど明らかになっていない。政府は原発事故と自殺を関連死の原因として明確に位置づけ、実態に応じた対策につなげる考えだ。
復興庁によると、3月末現在、震災関連死者数は全国10都県で計1632人。最多は福島県の761人で、宮城県の636人、岩手県の193人が続き、3県で全体の約97パーセントを占める。(河北新報)
テレビの報道もそうだが、被災地から避難しておられる方々の頑張る姿や、未来の夢を語る番組ばかりで、多くの苦悩を抱えている方々の声が伝わって来ない。
震災直後の必死な姿があまりにも印象的で、その後の堆積された心の負担が、周りから理解されていないのが現状だ。津波で被災した沿岸部を訪れると分かるが、あの堆積された瓦礫の山を見ただけでも、心が沈んでしまう。
放射能に対する苦悩も並大抵のものではない。一関市においても農業を営む方々が、農地の除染費用の賠償訴訟を起こし、裁判が始まったが、東電は訴えを却下してきた。予想はしていたが東電の暴挙は続いていくだろう。
補償もされず、仕事も失い、自宅に戻れない多くの方々を救うのは国以外に何処がやれるというのいだろうか、余りにも対応が遅すぎる。最低限の生活空間と食料を支給すれば済む問題ではない。
昨年は避難した方々に、容赦ない固定資産税の請求がやって来たと聞く。
未来に希望の持てる生活補償を、被災者および避難者に対して、政府はやらなければならない。裁判を起こさなければアクションを起こさない企業・政府であってはいけない。
政府は9日、東京電力の経営改革策などをまとめた「総合特別事業計画」を認定し、実質国有化を正式に決めた。計画に基づき政府は7月にも1兆円の公的資本を原子力損害賠償支援機構を通じて東電に注入。東電株の50%超を取得し、改革が計画通り進まない場合は議決権を3分の2超に高め、経営を完全に握る。7月に予定する家庭向け電気料金の値上げ幅は平均10.28%と明記。電気料金は標準的な家庭で月額480円(約6.9%)高い7453円となる。東電は週内にも値上げを枝野幸男経済産業相に申請する。
被災者賠償に必要な資金は、政府が機構を通じて交付するが、賠償以外の赤字穴埋めは対象外。東電は、燃料費の増加や廃炉の準備などの費用がまかなえなくなる恐れがあったため、今年3月、公的資本の注入を申請していた。公的資本注入に合わせて、金融機関が東電に1兆円の追加融資(融資枠を含む)を実施。官民共同で資金繰りを支える。(毎日新聞)
さんざん甘い汁を吸っておきながら、困ったからハイ国営ですは、国民が納得するだろうか。
東電を国営にするついでに、全国の送電線を自由化し、多くの企業に参入してしてもらい。その実行無くして東電の国営化はあり得ない。僕はそう考えている。
政治家と電力会社が、100パーセント癒着関係にあることを堂々と公表するような、今回の国有化は、まるで旧ソ連の社会主義国家と全く同じだ。
どうも日本と言う国は社会主義国家をめざしているらしい。
今夜のわが家はストーブがついている。寒かったり暑かったり、めまぐるしい季節だ。
これからの季節は僕の睡眠不足が始まる。いつも1時頃に寝るのだが、朝の5時前から隣近所の田んぼや畑で草刈り機械が活動し始める。
今朝も5時前から僕の寝ている部屋近くの畑で、草刈機械がうねりをあげていた。故に今日は一日眠かった。
それにしても刈った草は牛に食べさせられないし、かと言って燃やすことも出来ない。不条理な労働が増えていく。
会社に行く前に草刈り仕事をやりたい気持ちは重々承知しているのだが、世の中には夜勤や夜のしごとの人もいる。4時台の騒音は勘弁して頂きたい。
冬は雪が大変だし、夏は草刈りが大変だ。いろんな意味で・・・・・
被災地にお住まいになっている塾ブローガーの方々は、なかなか塾の経営状況や放射能の値にたいして多くを語らない。いやきっと語れないのだろう思う。
故に僕のブログにやってくる多くの方がいるのだろうと思う。
「経営に地震や放射能の影響はないですか」何度か尋ねられてきた。
昨年は同情票的入会者と言っていいのかも知れないが、出足が遅かったものの例年通りの生徒が入会してくれた。本当に感謝である。
そして今年は・・・・・。実に厳しい状況である。県立高校の合格率は一関一高・一関二高をはじめとして2連続100パーセントの合格率だった。しかし3月から5月にかけて新しく入った生徒は中学3年生1名だけである。
塾のそばの磐井川の堤防改修工事で塾前の道路が半年間封鎖されているという状況もあるのだが、22年間塾を営んできて、この春の状況は初めてである。
塾だけではなく、営んでいる農業も壊滅状態だ。無農薬天日干しのわが家のササニシキは、結構人気があり口コミで欲しい人がいて買ってくれた。しかしこの放射能ホットスポットの地で、それも無理となった。
チラシを撒く余裕などない。今在籍している塾生の合格実績をマックスにするしかないと思っている。そういう意味では今年は東大をはじめとする難関大学の合格者を当塾から出したいと思っている。
高校3年も今年はこれ以上とらない。今募集しているのは、中3生と中1そして高校1年生の英語指導のみである。
先日「春の来ない冬はありません。頑張って下さい」という応援メッセージをブログの読者の方から頂いた。
何度も何度も困難を乗り越えてきた。
経済の衰退原因の深みが、複雑に絡み合っている状況においても、きっと打開策はあるはずだ。東北は復活すると信じている。瓦礫の撤去の問題・就職難の問題・そして放射能の問題、僕ら東北人はそんなにやわじゃない。奇跡は起こるから奇跡と呼ばれるのだ。
今日は少し愚痴を言わせて下さい。
実は僕の塾は一関一高前の、磐井川の堤防そばにあるのですが、堤防の改修工事にともなって半年前から土手下の道路が閉鎖され、僕の塾の前を車一台、自転車一台通らない状況になっています。
半年間もです。これが普通のお店だったらとっくに潰れている状況です。
塾の真ん前に道路封鎖のバリケードを置かれて半年間、忍耐強い僕もボチボチ限界にきています。例年なら、塾の前に自動車や自転車が止まり、パンフレットを持って行ってくれる御父兄の方がいたり、生徒さんがいたりするのですが、その可能性が0パーセントの状況です。
これを営業妨害と言わずしてなんというのでしょう。
連休が明けてからは、工事がほとんどストップしたままです。
30代の頃の僕ならば、きっと市や県の土木課に怒鳴りこんでいたとおもいます。しかし、ひげが白くなり、ハゲたオヤジが、いい年をして怒鳴りこんで行くのも大人気がありません。
ここはもう少しだけ忍耐をしたいと思います。
それにしてもこういう状況って、補償の対象にならないのでしょうか。昨年の自宅教室の除染の件といい、今回の道路封鎖といい、泣きっ面に蜂です。
すいません愚痴ってしまいました。
学力格差がどこでも論議されている。出来る生徒とそうじゃない生徒の格差が激しいと多くの教師が嘆く。
この格差が近年になって増加したような論調が多いが、実は僕らが中学生の頃も学力格差はあったと思う。いやあったに違いない。
昔は学力がなかったり、勉強が好きじゃなければ、そのままに扱われ、高校も今のような普通科や総合学科の教科ではなく、就職のための訓練校的な高校に行く生徒が多かった。
つまり出来ない生徒が行く場所が用意されていた。高度経済成長を突き進む当時の日本は、学歴が無くても、机上の学問ができなくても、社会で生きて行く糧は多く用意されていた。
大学進学率がうなぎのぼりに上がり、表現は悪いが、出来ない生徒も大学を目指す時代になった。近年はAO入試なるものが大学の門戸を広げ、今や大学に行くことが、平均的な国になった。
つまり勉強が本当は好きじゃない子が、普通高校を目指すことが多くなり、勉強が好きでない子が、塾に通い、そして進学のためのクラスを目指すケースが増えた。
おのずと、格差が広がった。
適材適所という能力分けが、教育現場で実施されることがけしからんという声も多い。しかし、附属中学のような進学学校を作る発想があるなら、徹底した職業訓練的な高校があってしかるべきである。
アルファベットが書けない高校生。分数の足し算が出来ない高校生。彼ら彼女らに分詞構文やコサイン・タンジェントを教える、教わるジレンマを教師や生徒が共有し苦悩するよりも、伝統工芸や土木作業などの専門分野の育成を目指す若者のための機構を国が作るべきではないだろうか。
能力格差はあるのが当然である。しかしいろんな素質や指向性を持つことにおいては、人間は平等に神様が造ってくれていると思っている。
暗記や言語能力が劣っていても、芸術的な才能があったりするわけで、既成の学問の中で人間を差別して、学力格差云々を言っている日本の教育の器が小さいのである。
「数学は消費税の計算ができるくらいの能力があれば、十分社会で生きていける。」「英語なんていらない」そう断言できる人間は強い。そうなるためには、生きて行く自信がなければならない。
その自信は、ゆらぎのない努力からやってくる。
政府は14日夜、エネルギー・環境会議(議長・古川元久国家戦略担当相)を開き、関西電力管内で今夏に懸念される電力不足に対応して使用制限令発動の検討を始めた。さらに、北海道、四国、九州の各電力を加えた4電力管内で「万が一に備えて」(古川戦略相)、計画停電を準備する方向で議論することも確認した。
電力使用制限令は、電気事業法に基づいて政府が企業や家庭の使用を制限する措置。東日本大震災後の昨夏には、東京電力と東北電力の管内で15%削減が義務付けられた。
また、エネルギー・環境会議が設定した各電力管内での節電目標は、関西が15%で、九州10%、北海道7%、四国5%以上、中部、北陸、中国がいずれも5%。東電と東北電は目標設定を見送った。関電と九電は、中部、北陸、中国、四国の各電力からの融通が前提で、融通が見込めなければそれぞれ20%、12%とする。 (時事通信)
日本国内のすべての原子力発電所が止まり、このままでは夏の電力消費がまかなえないので、使用制限や計画停電を実施しますよという脅かしが始まった。
電力会社の本音は、原子力を再稼働させてくれるなら、計画停電はやらなくて済むよということなのだろうが、原子力以外の既存の発電所の復興が第一優先事項だろうと思う。
福島の惨状を目の当たりにして、それでも原子力に頼ろうとする輩を見ていると、怒りを通り越して憐れみさえ感じる。
お金という利権に魂を売った多くの方々に僕は言いたい。
お金は決して不浄なものではない。幸福を支えるものだし、お金を稼ぐことは人生の生き甲斐である。しかし、命の尊厳をないがしろにするようなことでお金を稼いでは決していけない。
お金は競争で稼ぐものでもない。創造で稼ぐものだ。他者や他の国からの搾取で潤った経済は、必ず破綻する。
陳腐な言葉かも知れないが、僕らは今試されている。
東京湾の海底土に含まれる放射性セシウムが、昨年8月から約7か月間で1・5~13倍に増えたことが、近畿大の調査で分かった。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出されたセシウムが、河川から東京湾に流れ込んだとみている。
同大の山崎秀夫教授(環境解析学)は今年4月2日、荒川の河口付近など東京湾内の3か所で海底土を採取し、分析した。深さ1メートルまでの土に含まれるセシウムの量は1平方メートルあたり7305~2万7213ベクレルで、昨年8月20日の調査結果(同578~1万8242ベクレル)を3か所とも上回った。
海底面から深さ6センチまでのセシウム濃度(1キロ・グラムあたり)は321~397ベクレルで、やはり8月20日の調査結果(75~320ベクレル)を上回った。河川の泥にたまったセシウムが少しずつ東京湾に流れ込んでいるためとみられる。
(読売新聞)
2万ベクレルという値がどれほどのものなのか、桁が大きすぎて僕の感知能力を超える値だが、東京湾の海底だけの話ではないはずである。
そしてそこに住む魚介類が、平気であるはずがない。
子供の頃、イタイイタイ病のドキュメンタリー番組を見た僕は、いかに海洋汚染が危険か、魚に濃縮された有害物質はどれほど恐ろしいものかを学んだ。
食べた人間が悪のではなく、知らせない企業や政府が悪いのである。多くの報道を見ていると、テレビや新聞は、日本近海の魚の危険を一切語らない。ましてや東京湾の魚云々の話題すら流れない。
沈黙がやがて悲劇を生む。心あるものは言葉を発しなければならない。
野菜やお肉の産地が偽装される事件が相次いでいる。
内部告白や消費者の追跡調査で明らかになったものだが、氷山の一角だろう。
このブログで何度か取り上げてきたが、福島産や岩手産がどうのこうのということじゃなくて、すべての食料品の放射能値をスムーズに測定する機材の開発・導入が急務なのだ。
福島産の野菜で安全なものもあれば、他府県の食材で、高い値が出ているものもある。疑心暗鬼に陥りながら食する料理ぐらい残念な料理はない。
食材の測定器は安くても500万円はする、個人でおいそれと買えるものではない。
わが家では、疑わしきものは口にしないを徹底している。魚はやめた。地元の野菜もやめた。それでもきっと身体にはセシウムが取り込まれているだろう。ゼロは無理だろう。
息子達を外食に連れて行ったことは、ここ1年間一度もない。
たまには外でラーメンを食べたい。寿司だって食いたい。刺身を肴に焼酎の一杯をとも思う。しかしできるだけ身体へのダメージを避けたい。
前回戦線離脱という記事を書いたが、僕はこの時代の終焉を目にするまでは離脱するわけには行かない。原子力の行く末を、そしてこの腐敗した政治を中途半端にして人生をグッパイする訳には行かない。
この目でこの魂で確認してから、僕は離脱したい。
僕は塾教師が自分の天職だと思っていた。今は想いが変わった。この時代を生きることが僕の天職だ。
2011年3月11日を境に、僕の人生は変わった。あの大地の揺れを、津波の恐怖を、そしてあの舌のピリピリした空気感を僕は一生忘れないだろう。
神聖な食を穢した原子力発電という魔物を作ったのは、我々人間だ。その真実を偽装することは出来ない。
戦線離脱。
若いころは不安に苛まれると読書に逃げた。いわゆる頭でっかちのでくのぼうである。
本から得た知識は、所詮いっときのカムフラージュにしか過ぎなのに、人生が分かったよのうなふりをして自分をごまかしていた。
僕だけではないようで、読書好きの人間には結構この手の戦線離脱者が多くいて、お互いに慰め合い、架空の似非哲学を構築して、現実逃避というやつをやっていた。
もちろん読書は大切だが、現実に向き合わず、知識だけの増幅を培養していると、人間は大成しない。だから僕も大成しなかったのだろうと思う。残念だ。
高校時代、同世代が読まないような本を古本屋から探してきては、得意げに読んでいた。そんな僕はかなり性格が歪んでいた。いや今も歪みっぱなしだ。
自慢にもなんにもならないが、ブログを書くようになって読書をしなくなった。年間20万円くらいを本につぎ込んでいた僕が、ここ数年は一ヶ月にブックオフで、100円の本を10冊も買えばいいほうで、1年間の書籍代は、1万円もかかっていない気がする。読書人生から、これまた戦線離脱だ。
本を読まなくなって、ふと思うことは、健康になったと思う。誤解を招くので付け加えるが、精神的な意味じゃなくて肉体的にである。卓球のコーチやら、なにやら身体を動こすことが多くなって、本を読む時間が少なくなったということもあるだろうが、本を読むのが面倒くさくなった。
ジャズを聞きながら、雑然とした風景を眺める時間が増え、空なる時間を堪能する日々が増えた気がする。
震災以後は、放射能関連の本をだいぶ買い込んできて読んだが、書き手の想念が猛烈な格差を生み出し、頭が朦朧とし始めてからは、インターネットで、気になる記事を拾って読むだけだにしている。精神的にはだいぶ楽になった。
僕よりも家内の方が、何かと行動的で、次から次へと様々な支援活動を展開している。その活動に、僕の日常がだいぶ奪われているのだが、僕の辛辣な精神が浄化されているのも正直なところである。
今日も半日農作業で汗を流した。日曜日の夕暮れは疲れ気味なのがいい。清らかな睡魔が襲ってくる。
今日はこのへんで戦線離脱だ。
例えば、悲しくて涙がこぼれるとき、例えば、辛くて拳を握るとき、僕は空を見上げてきた。
何度空を見上げてきただろうか。
挫折や苦悩を経験しない人はいないだろう。人はそれぞれの悲しみを心のキャンパスに描き込んでいる。
ごまかしても、偽っても、その悲しみは、笑顔の隙間や、ふとした瞬間にこぼれ落ちる。
しかし僕はそれでいいと思っている。無理に強がることはないし、無理に元気ぶる必要もない。
生まれてきた理由、生きている理由、その根源を模索すれば、ほんの少しの疑念と多くの希望が錯綜する。
神様しか知らない運命を、ああでもないこうでもないと詮索したところで袋小路に迷い込むだけだ。
僕らは見えるもの聞こえるものしか感知できない。
だから僕は空を見上げる。
果てしない宇宙を思うと、ちょっとだけ心が軽くなる。
今朝も空は青い。がんばるか。
塾紹介のいろんなサイトがあって、塾ランキングなるものがいくつかある。無料のものから有料のものまで様々だが、有料の塾サイトが無料の塾サイトに負けて、肝心の塾検索ホームにヒットしないケースがある。
僕の塾はちなみに一切有料のサイトを持っていない。一関@塾などの検索に僕の塾が引っかかるが、かと言ってそれが塾生の集客に役だっているかと言えば微妙である。
なにせ僕の塾はホームページなるものを持たず、僕の個人的なブログを公開してしるだけなので、稀人来たりの状況で、震災後放射能関連の話ばかり書いている僕の記事にうんざりしている地元民も多いのではないかと思っている。
僭越ではあるが、たとえうんざりされても僕は書き続けるつもりだ。もはや教育論や、塾教育の話など皆無に等しい僕の塾ブログであるが、多少なりとも読んでいる方がいる限り、この岩手の東北の状況を書き続けたい。
未曾有の危機と隣合わせの日々だと言うのに、あまりにも放射能に対して無頓着の方々が多くいる。
GW中に家族連れで山菜を採り来ていた方々を見てもそうだし、平気で地元の椎茸を食材に使う方々を見てもそうだ。数百ベクレルという値の食材がどれほど危ないものかを認識していないのか、あえて理解しようとしないのかは分からないが、自分のところだけは大丈夫だというような、くじ運のような話ではない。
地元の薪を燃やした薪ストーブの灰は、数千ベクレルの値を計測している。この薪ストーブにあたりながら食事をとる恐ろしさは想像にかたくない。
僕のブログがいろんなサイトに取り上げてもらうことは感謝である。塾の営業に役立たずとも、放射能の警告には少なからず役立っているのではないかという自負はある。
僕のブログに対して、様々な意見を頂いている。公開をしないで下さいという文面も多いが、僕はブログ上で話し合うことで、いろんな立場の方々の意見を皆さんに知って頂きたいと思っている。
昨年ある方より、「あなたのブログは、あなたが嫌いだと言っていたある種の権力を持ちましたね」というコメントを頂いた。
そう言う見方をされる事も、ブログを書かないと分からないことだった。僕のブログはプロパガンダではないし、政治的な意図など毛頭ない。
名前を言えばびっくりするような有名な国会議員の方が、僕のtwitterをフォローしてブログを読んでいてくれている(きっと本人ではなく秘書の方だと思うが・・・)。
東北の小さな田舎町の塾のハゲオヤジが、何を吠えたところで、一陣の風も吹かないだろう。しかし、小さな蟻の穴が、巨大がダムを決壊させることだってあり得るのだ。
ただただ忍耐をしてきた東北人の歴史を、僕は終焉させなければならないと思っている。東北人のプライドと威信にかけて、僕らは声を出し、硬直した政治の状況にくさびを打たなければならい。
米上院エネルギー委員会の有力メンバーの一人、ロン・ワイデン議員は4月6日に福島第一原発を視察。その後、16日付で4号機の原子炉建屋が再び大きな地震や津波に見舞われれば、使用済み燃料プールが崩壊し、「当初の事故より大規模な放射性物質の放出が起こる恐れがある」と警告した。
さらに、ニュースサイト『ハフィントン・ポスト』は、4号機のプールにある核燃料棒が冷却されずに放射能が放出された場合、そこから出るセシウムの総量は、チェルノブイリ事故で出た量の少なくとも10倍になる、との専門家の分析を紹介した。
(週刊朝日5月18日号)
世の中はセシウムだけを取り上げているが、万が一Strontiumが放出されれば、日本は人が住めなくなる。福島第一原発4号機は、手の施しようがなく、ただ手をこまねいている状況だ。
テレビも新聞も全く傍観を決め込んでいるが、事態は深刻だ。
なのに福島の避難指示を解除しようという動きが出ている。どう考えてもおかしいだろう。人命を守ることよりも、補償のリスクを回避しようとする政府の意図が見えてくる。
生活を送るのは、今が一杯一杯の状況だという人達が多い。今後4号機に甚大な被害が出たなら、東北は壊滅だろう。そうならないことを天に祈る気持ちだ。
最近悩んでいること。
老眼が激しくなったこと。
季節の変わり目に腰痛が起きること。
軽トラックの座席がボロボロになったこと。
磐井川の土手の工事がなかなか終了せず、塾そばの道が塞がれ全く人が通らないこと。
そして山菜が食べれなくなったこと。
書き始めるとキリがない悩みのオンパレードになるのだけれど、ぼやきたくなるこの頃である。
放射能のことや原子力発電所のことを考えると、気持ちがめげるので、なるべく仕事をする時などは意識から遠ざけようと思うのだけれど、残念ながら現実として、容赦無く覆いかぶさってくる。
例えば今日聞いた話。
岩手県南地区の雑木を燃やした灰を計ったら、7000ベクレルの値が出たことを計った方から直接聞いた。ショックだった。これじゃ椎茸が汚染されるのも無理はない。
多くの町が被災地の瓦礫を断るのはけしからんという声を聞くが、現実問題として、森の木々がこれほど汚染されているとなると、木材を含む瓦礫を断りたくなる気持ちも分かる。
危険なものだからこそ、慎重な対応が必要なわけで、岩手や宮城の瓦礫を受け入れてくれるのなら、本当に申し訳ないが、万全の処理対策を講じてもらいたいと思う。
原子力は安全ですと言いながら、福島や宮城や青森の、大都会から離れた辺鄙なところに原子力発電所を作ったのは、安全じゃないからなわけで、原子力の恩恵を受けてきた都会人も痛み分けをして欲しいとの声も無いことは無い。
何度も書いてきたことだけれども、お金や健康が絡む問題は、理屈を抜きにして難しい。悩み多き日々は続く。
就職活動の失敗を苦に自殺する10~20歳代の若者が、急増している。
2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2・5倍に増えた。
警察庁は、06年の自殺対策基本法施行を受け、翌07年から自殺者の原因を遺書や生前のメモなどから詳しく分析。10~20歳代の自殺者で就活が原因と見なされたケースは、07年は60人だったが、08年には91人に急増。毎年、男性が8~9割を占め、昨年は、特に学生が52人と07年の3・2倍に増えた。
背景には雇用情勢の悪化がある。厚生労働省によると、大学生の就職率は08年4月には96・9%。同9月のリーマンショックを経て、翌09年4月には95・7%へ低下。東日本大震災の影響を受けた昨年4月、過去最低の91・0%へ落ち込んだ。
(読売新聞)
大学生の自殺が増えていることに、深い悲しみをお覚える。
就職ができない辛さは分かる。しかし人生の長さを考えれば、チャンスは何度でも来るはずだ。やり直しは何度でもできるはずだ。死んではいけない。
私の大学時代の同級生には、文学部を出てから看護学校に入り直し看護婦になった女性がいた。音楽仲間の先輩には、調理学校に入り料理人になったものもいる。
大学時代に学んだことが役にたったかたたないかは別にして、風に吹かれる柳の如く、柔軟になおかつ強く生きる姿勢は大切だろうと思う。
若い頃に出会う困難は、人生を生きていくための肥やしである。そのためにも親は思春期までの時代を過保護にしてはいけない。肥やしが毒にしか感じられなくなってしまう。
親が出すぎてはいけないが、かと言って放任してもいけない。この時代、親の子どもに対する感性は難しいのだけれど、生きづらい世の中だからこそ、子どもとの会話は大切だ。
忘れないで欲しい。
昨年の被災以降、被災地にある私塾のブログを時々読ませてもらっている。
3.11の津波でブログの更新が途切れたブログも多い。心が痛い。
一方放射能の影響が大きいと思われる地域の塾では、放射能という言葉に触れる塾は少ない。地域で生活する私塾の気持ちを察すると、その心境もわかる。
農家とてそうだ。避難地域外で農業を営む方々の中には、国の基準値を越えないにしても、除染や徹底管理を余儀なくされている農家も多い。風評被害にたいする政府や東電の補償までは手が届いていない。
僕の住んでいる一関市は汚染地域だ。たらの芽が1キロあたり最高399ベクレル、ゼンマイが250ベクレル、生シイタケ2414ベクレルで全体の94%が国の基準値を上まった(5月7日調べ)。
連休に子どもたちを連れて山菜をとりに来ていた家族がいたが、決して食べてはいけない。一関だけではない。岩手県内地域の山菜、及び宮城県北の山菜等も食べてはいけない。
山の恵はこれから数十年無理だろう。この事に対する精神的経済的補償はない。ふざけるな!
僕のうちでは昨年作ったお米も野菜も食べていないという記事を書いたところ、同郷のりんご親父さんより、自分のうちで食べないお米を、なぜ作って出荷するのか?というコメントを頂いた。
まったくもって至極当然の疑問だろうと思う。
実はお米だけの事ではなく、塾についても同じような自問自答を僕はやってきた。この放射能のホットスポットで塾をやっていていいのだろうかと。
福一のメルトダウンを知った時、この地域の子どもたちは、この町に住んいてはいけないのではないかと考えたりもした。自分の子どもが幼い子どもだったら僕ら夫婦はこの町を離れただろうか。そんなことを昨年以来考え続けてきた。
引っ越しをして新たな生活を立て直すとしたら、いったいどれだけのお金がかかるのだろうか。3百万だろうか、5百万だろうか。いやもっとかも知れない。命とお金は天秤にかけることはできないかも知れないが、多くの人たちがぶつかる問題だろうと思う。
女房は何度も、「お父さん、この土地に本当は住んでいちゃいけないじゃないの」という言葉を僕に投げかけてきた。
「引っ越すたってお金のストックがあるわけではないし、仕事の当てがあるわけじゃない。防御して生きていくしかないじゃないのか」僕の偽らない回答だった。
お米にしてもそうだ。迷いに迷った。今年の2月まで、種籾をJAに注文しなかった。確かに昨年の我が家のお米は、国の出荷制限を定めた基準値より遥かに低い放射能値だったが、それでもセシウムが検出されたことには変わりがない。
幼児教室を開催している我が家では、時に昼の食事を提供することも度々ある。0ベクレルが本当は理想だ。
今は九州から野菜を送ってもらっているが、この野菜とて、岩手に送られてくるまでに、若干の被曝をしていることも考えられる。我が家では一昨年のお米を食べているが、このお米とてセシウムは0ではないだろう。
僕の家は18代続いてきた百姓だ。
一人っ子で長男の僕は東京に出たものの、やはり家の田んぼや畑が気になってしょうがなかった。理屈じゃなく、祖先が僕を呼んでいる気がした。
多くの田んぼが耕され、田植えが始まって、僕の家の田んぼだけが休耕田状態というのも、それはそれでインパクトがあってよかったかも知れない。
「国は大丈夫だと言っているが、僕の家の田んぼからはセシウムが若干だが検出された。だからお米は作りません」そう言えば良かったのかも知れない。
しかし我が家の経済は、誰かが援助でもしてくれるのだろうか。出荷停止になってさえも、東電や政府は補償に本腰をあげようとはしない。ましてや勝手に農業を自粛することに対して、補償などあるわけがない。
昨年は除染にかなりのお金を費やした。屋根の樋を取り替え、屋根を除染し塗り替え、1マイクロシーベルトを示した自宅の周りの杉林(いぐね)をすべて伐採し処分してもらった。新車を1台購入するお金がかかった。一応領収書はとってあるが、東電が払ってくれるはずなどないだろう。
そればかりではない、線量計にしても、浄水器にしても、福島原発の事故がなかったら買わなくてよかったものだ。
今度の日曜日に、我が家は田植えをする。JAには出荷計画表も提出した。600キロあまりの昨年の飯米が倉庫に眠っているが、同様に収穫したお米が同じ運命を辿る可能性がないわけではない。
糊などをつくる加工米に出すことも考えているが、サンプルを計ってみなければなんとも言えない。
りんご親父さんの質問にあらためて答えたい。なぜお米を作るのか。
お金のためだ。塾をやっているのもお金のためだ。多忙な中、高校の講師を引き受けているのもお金のためだ。
放射能のおかげで、多くの出費が増えた。震災の影響で一関市の経済は疲弊している。塾の売上は震災前の半分ぐらいだ。
僕にはこれから大学に行こうとしている息子もいる。まだまだ多くのお金が必要だ。そういった状況は僕だけではないだろう。この地に住むことを決意したからには、それなりの覚悟は必要だ。
放射能は怖いが、かと言って霞を食べて生きて行く訳には行かない。
りんご親父さんからコメントを頂いて、いろんなことを考えさせられた今日だった。
今夜の満月はいつもより13%大きくて、30%明るいそうです。
月の楕円軌道が原因らしいのですが、文系頭の僕には、例によって理解するのが難しい・・・。
太陽と満月の見た目の大きさが同じなのは、茶目っ気な神様のいたずらだと思っている僕なので、頭はなかなかサイエンスをつかまえられない。
ところで最近は、3.11の震災を予知した人が○○日に大地震が来ると言っていますよ的な、twitterやブログがやたらと多いが、僕はそんな記事を目にするといらついてくる。
そんなに震災が来て欲しいのか! 反応する人がいるから書く人もいるのだろうが、いい加減にしてくれと言いたい。
世の中はどうしよもない欺瞞で満ちている。
原子力がなければ日本の電気は止まる!?全ての国内の原子力発電所が40数年ぶりに無稼働になったが、電気は煌煌とついているじゃないか。
震災直後、すでにメルトダウンしていた福島第一原子力発電所を、大丈夫だなどと世紀の大嘘をついた某政治家や東電の責任者の嘘からすれば、偽預言者の噂などかわいいものだが・・・。
今日はこどもの日。
結婚記念日だ。25年になる。
3日前に二人で温泉に行ってきたので、今日は何もイベントがないが、今日は満月。月が祝福してくれている・・・・と勝手に思い、仕事に行こう。
GWの期間毎日のように卓球をしたので、すこぶる体調がいい。もし明日大会があったら優勝できるほどの調子の良さだ。
50歳を過ぎても、高校生や中学生を相手に動ける身体。丈夫に産んでくれた両親に感謝をしたい。父は残念ながら50代半ばで亡くなったが、中学時代は足が早く、陸上選手だった。母は8年前リンパ癌を患ったが、復調しバリバリ元気である。今だにバイクを乗り回している。
僕は20年間で一度だけ入院をしてしまっが、風邪をひいて塾を休んだのは一度だけだ。持病はあっても、基本的に身体は丈夫だ。
長男も高専時代5年間で一度も休んだことがなかった。次男も地元の県立高校に通っているが、今のところ遅刻はあるが休んでいない。
これも女房が、家族の食事に気を遣っていてくれるおかげだと思う。感謝している。
ということで、結婚記念日なので、女房への感謝のことばで今日は締めくくりたい。
今日は長男が休みなので、目覚まし時計は1時間遅れの7時ジャスト。
今朝の選曲はマイルスのカインドブルー。佐惣珈琲豆店のカルモシモサカを手回しミルで挽き、コーヒーをいれる。
いつもの木のはの食パンが切れていたので、家内に北海道産の小麦粉でホットケーキを焼いてもらい、生活クラブのリンゴジャムをつけて食べた。
次男は今日も一日卓球の練習。
次男のお昼は、22年産のササニシキ米のおにぎり。海苔は伊勢海苔だ。ドリンクはシーガルフォーの浄水器から。
今朝は雨が降っていたので、息子はバイクでは行けず、僕が軽トラックで送っていった。午前中仕事がなかったので、そのまま高校の体育館で高校生を相手に汗を流した。
顧問の先生より、手作りのリンゴジュースを頂いだ。かたじけない。
お昼は自宅に戻って食べた。焼きそばの具はすべて九州産の野菜。
午後1時塾に向かう。途中のパン屋さんで手作り食パンを買おうと思い立ち寄ったが、財布には32円しか入っておらず断念して塾へ。
例年のことだけれども、GWは教室を開けても開店休業。中学1年生が一人やってきたのみ。僕は4時間ほど大学受験の単語帳を開き、傾向と対策を自己学習。
月謝を持って来てくれたので、その後車でパンを買いに行ってきた。
夜7時、塾の冷蔵庫から黒酢ドリンクを出しゴクリ。そのご久しぶりにギターを手に取り3曲ほど熱唱。今月は2年ぶりに平泉の吉野屋さんのイーハトーヴ音楽祭に参加する予定。
8時15分、塾を出て軽トラックに乗り込む。ライトをつけたがいつもより暗い。片方が切れていた。オーマイゴッド。GWで自動車屋さんは開いてないかも。どうしようか。ちょっと悩む。
今夜の我が家の料理は手作り餃子。具は熊本産。
僕が餃子を食べていると、長男は奥州市のカフェバーに出かけていった。夜通し音楽三昧に浸ってくるらしい。
いい加減彼女でも作ればいいのにと思うのだが、相変わらず音楽が恋人のようだ。
家の周りはカエルの合唱。かなりうるさい。ハウスの苗箱もだいぶ苗が成長した。今月の13日は田植えをする予定だ。田植え機械を出して調整せねばならない。
2007年5月に書き始めたこのブログも、いよいよ6年目に突入するわけだが、この5年間は僕の人生にとって一番多忙で激動の5年間だった。
ブログを書き始める前の僕は、昼行灯のごとくぼ~としていた。痛風と高血圧それに腰痛に悩まされ、体調は最悪だった。ブログにはまった僕は、酒の量も減り、体調が良くなり、気のせいか頭もすっきりして、書くことで自分のスタンスが明確になった。あくまでも一人よがりの思い込みだろうけれど・・・・。
ブログを始めて一番嬉しかったことは、多くの友人ができたことだ。僕は偏屈で孤独癖があるので、友人が少ない。そんな僕にブログを通じて多くの友人や同胞ができた。これは奇跡だ。
最近は初めて合った方に、「かねごんさんのブログを読ませてもらっています」などと驚かされる。ブログの解析データーを読み取ると、1週間で1万人弱の方々が僕のブログを読んでいて下さっている。これまた奇跡だ。5年前にブログを書き始めた時は、読んでくれた方は5人だけだった。間違えた。自分と女房の分を差し引くと3人だけだ。
震災が起きて、放射能の問題が深刻になるに従って、僕のブログはヒートアップしてきてしまった。ブログという情報手段が、当初の思惑とは全く別の次元にワープしてしまった。
僕のブログを読まれた方から、多くの支援を頂戴した。涙が止まらくなるようなメッセージも頂いた。有形無形の愛の支援にどれだけ子どもたちが元気をもらっただろうか。
いつの日にか恩返しをしたいと思っている。
とりあえず僕が今、そしてこれからやっていけることは、塾や教育の場を通じて、子どもたちや親御さんに、僕なりのメッセージを発信し続けていくことだろうと思う。もちろんこのブログもその手段の1つとなるだろうし、新たなステージに向かうかも知れない。
最近思うことは、必死過ぎないことだと思う。敵はしぶとい。真っ向勝負は疲労度が激しい割には功が少ない。腹八分目と言う言葉があるが、余力を残しつつ、継続する力が大切だろうと思う。
僕のGWの休みも今日で終わりだ。明日からはまた日常が始まる。粛々と気合を入れていきたいと思う。
今日は鹿児島県霧島市からお野菜プロジェクトの皆様から支援物資を頂いた。ネギを手にしたうれしそうな子どもたちの写真を公開して、連休最後のブログを終えたい。
このブログが一人でも多くの皆様の心に届いていただければ幸いです。
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アル中患者や覚せい剤の常習犯が、酒や痲薬をやめられないのは、意志が弱いと言うよりは病気だ。病気だから病院に入って治そうとする。
日本という国が、こんな地震大国に原子力発電所をどんどん造って、止められなくなってしまったのも病気だ。
お金という快楽に精神を病んでしまった、多くの科学者と技術者とそして電力会社は、治療が必要だ。もちろん利権に絡み甘い汁を吸ってきた政治家も同じだ。
酒も痲薬もお金も、人間にとっては快楽だ。快楽を貪るために仕事をしている多くの人間がいる。それじゃダメだ。
真剣に生きるということは、お金を稼ぐためじゃないと僕は思っている。真剣に生きようと思ったらお金なんかに固執しないし、お金のために自分の信念を曲げることもない。
多くの若者がお金がないから結婚出来ないという。お金がないから子どもを育てられないという。
おかしいだろう!愛することにお金なんてどうでもいい。クリアーな肉体と健全な精神があれば、この大地は人間を必ずやしなって行ってくれる。
人間の都合で大地に毒をバラマキ、その毒を中和しようと更に別の毒を撒く。大地は疲弊し、海は悲鳴をあげるている。
人間の肉体も同じだ。毒を食べ、その毒を中和するために更なる薬(毒)を体内に取り込み、危ういバランスを保ている。
農薬漬けの農作物を食べ、防腐剤入のお菓子を食べ、果物の味がしているのに一切果物が入っていない怪しげなドリンク類を子ども達が毎日飲食したらどうなるか。ヤル気が出ないのは当たり前だ。学校に行きたくない。仕事に行きたくない。先輩がいじめる。上司がいじめる。
食を通じて吸収してしまっている環境汚染のスパイラルによって、日常を泳ぎ切る精神の基礎体力を枯渇させてしまっている。
放射能がまかれてしまった哀しい時代だからこそ、魂の力をふりそそいで食を考えなければならない。
エネルギーのない食べものを食べていると、人はエネルギーが無くなる。知力が衰え、生きる力が枯渇し、運が遠のいて行く。
多くの食べ物は、生命だ。野菜も穀物も肉も、僕らと対等の生命だ。それを頂いていることに感謝をし、食についてしっかりとした見識を持つべきだ。
ヤル気が出なかったり、精神が不安な時は、食しているものを再考するべきである。酒やタバコや、ある種の嗜好品について反省をし改善するべきである。
血圧も糖尿も痛風も肥満も、すべてが食の偏りと運動不足が原因だ。
安全な自然食と適度な運動が究極の治癒だと思う。高校生の子どもに弁当を作らず、500円玉を手渡す親が増えていると聞く。
食育は本当に大切なものだ。食べるものによって人生が彩られて行くと言っても過言ではないだろう。ジャンクフードやインスタント食品を常食にしてはいけない。
遊興費のために食費を削ってはいけない。
そして汚染されている疑いのあるものは食べてはいけない。肉体や精神が冒されないために。
岩手に住んでいながら、花巻温泉に行く機会がなかった。
今年のGWは結婚25周年ということで、女房と日帰りの温泉ツアーを敢行した。桜が満開の花巻温泉郷は以外にも観光客が少なく、僕は貸切の温泉場を堪能できた。
湯船から展望できる新緑は気持ちよく、蓄積してきた疲労が溶解していく今日の温泉だった。
温泉郷を散策し帰る頃には、雨が降りだしたが、小雨に濡れた桜もまた情緒があり、夫婦水入らずのGWを楽しむことができた。
明日からはまた自宅教室の風と虹が始まる。僕は明日もオフ日だけれども、天気予報は洪水警報。明日の平泉藤原まつりは残念ながら雨のようだ。
結婚して25年も経つと、いろんな歴史が脳裏をよぎるのだけれども、とりあえず持病はさておいて、日々ずっと仕事を続けてこれたことに感謝である。
今日は5月1日。水沢の駒形神社に行ってきた。
塾生の受験合格のお礼参りである。今回も社前の交差点では77のゾロ目の自動車が止まっていた。ここ5年間で20回は駒形神社に行っているが、奇跡が起きなかったのは、昨年の震災後に行った一回きり。ことごとく神社前の交差点で77のゾロ目のプレート番号とすれ違って来た。
実はこの奇跡に関しては、様々な方からいろんな意見を頂いてきた。駒形神社のご神域のパワーであることは間違い無いだろうけれど、僕は勝手に木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)のおちゃめなイタズラだと思っている。
山神が里に降りてくる季節になった。ひいたおみくじは家内が大吉、僕は中吉だった。今年もまた新たなチャレンジャーとして受験指導に情熱を燃やして行きたい。
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