○○を絵に描いたような人生
自分の特技は何だろうと考えることがある。
これといって特筆するような特技がない。すべてが中途半端で我ながら情けなくなってくる。
他を圧倒するようなものすごい技量を持ち得ていたら、きっと人生も今とはだいぶ違っていただろうと思うのだが、後の祭りである。
好きなことや得意なことはあることはあるが、そのほとんどが生活の糧となるには程遠い次元である。いわゆる器用貧乏を絵に描いたような人生だ。
とりあえず塾という仕事をするのには、この器用貧乏のスタンスは少しは役立ってきたのかも知れないけれど、自分自身が自分に腹立たしくなることが時としてある。
若いころは、金持ちになることが夢だった。もうすでに50を過ぎてしまったが、今だに残念ながら夢は叶えられていない。
ちなみに僕のいう金持ちというのは、自分の年令くらいの収入をひと月に得ることだ。どれだけ生活が楽だろうかと思う。いつもギリギリの綱渡りの人生に冷や汗をかいている僕は、生涯ハングリー精神を抱えて生きて行くのだろうと思う。
矛盾するようだが、生活にも命にもそれほど固執はしていない。夢は夢として、3度の飯が食べられ、寝る場所があればいいと思っている。命にしても、あっちの世界からお呼びがかかれば、それはそれで宿命なのだろうと思う。
正直言って、体調は万全とは程遠い。持病を幾つか抱えているし、年を重ねるたびに、アレルギー体質の身体は悲鳴をあげている。だまし、だまし、身体と共存している感じである。
今年も桜が満開になった。あと何回桜の花を見ることが出来るだろうか。
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