GW特別寄稿・原子力に思う
僕は時々縄文時代の暮らしに思いを馳せることがある。自然と共存し、豊かな感性を持ち得た縄文人の姿を僕は心に浮かべてみる。
朝が来て夜が来て一日が終わる。山の幸と海の幸が生活の糧だ。余計なものを持つことはなく、簡素な暮らしの中に、縄文人たちは風の声を聞き、そして神々の声を聞いていたのかも知れない。
人類はあの時代から1万年の時を経て、多くの人工物を発明してきた。人類の生活を一変させたのは電気の使用だった。この電気をどれだけ効率良く生み出せるかに、人類は躍起になった。
石炭を掘り起こし、石油を掘り出し、そしてプルトニウムを掘り出した。
地球の繁栄が、まるで人類の繁栄であるかのように人間は錯覚をし、便利さを追求し、大切なものを失って行った。
大切なもの、それは自由である。
お金という呪縛、幸福でなければいけいないという呪縛。どんどん僕らは自由を失ってきた。そして生きるという自由までもが危機に晒されている。
僕らは様々な境界線を構築してきた。かつては竪穴式住居の周りのお濠だったものが、県境になり、そして国境が生まれ、それを守るために数えきれない多くの人間が殺されてきた。
祈る神様が違うから殺してしまえ。肌の色が違うから殺してしまえ。食べ物を横取りするから殺してしまえ。昔昔の話ではない。今も世界の幾つかの地域で、そんな殺戮が続いている。
意図した殺戮だけじゃない。人間の誤った思想が、誤った経済観念が、誤った政治が、誤った教育が、多くの人命を奪ってきた。
原子力は安全です。二酸化炭素を削減します。経済効率がいいです。
寒々とする光景が僕には見える。地球が荒廃した風景だ。今のまま人類が進んでいけば、未来にあるのは繁栄などではない。
原子力は、人類が手を出してはいけなかったものだ。その当たり前の事実に気づいていながら、止められなかった僕ら人類は愚かだった。そしてこの現在の日本の状況下でさえも、無頓着に生きている日本人は、もっと愚かだ。
内部被曝は日々進行している。数千ベクレルの放牧地の放射能値が出た土地の野菜やお米が、安全なハズなどない。
政府や電力会社は補償をしたくないので、嘘をついているだけだ。5年後、10年後に生きている自由を奪われないためにも、真実の声に耳を傾けて欲しい。
100ベクレルが80ベクレルなったから安全などではない。そんな穀物や果物や魚を食べてはいけない。
原子力発電所が無くても、僕らは間違いなく生きていける。生きる努力と生きる熱意が新たな道を必ず見出すものだ。
日本人の10%が意識を変えれば、僕は世界が変わると思っている。
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