家族の風景
テレビは一日中震災の特集番組をやっていた。僕はいつものように卓球の指導に行き、そして自宅の台所のテーブルを直し、トイレの手洗い場に棚をしつらえた。
3日前までは震災で亡くなった方の供養に海岸に向かう気持ちでいた。でも、今日身体が港に向かうことが出来なかった。
何度か足を運んだ被災地では、悲しみを新たに、追悼のイベントが行われた。突然奪われた家族の風景がある。帰らない日常を痛感する悲しみが訪れる。
今朝も岩手は雪景色だった。ガソリンスタンドの金額ボードがリッター152円を示している。もう誰もそんなことは話題にしない。
インフルエンザが猛威を奮っても、受験が終わっても、緊張感がスルーして行く。なんだろうこの虚脱感は。
何も変わってない。あれだけの災害が起きても何も変わってない。ただ風景だけが強烈な残像を放ってくる。仮設住宅の風景も、荒れ果てた田んぼの風景も、あまりにも自然だ。悔しいくらい自然だ。
1周忌を迎えても、一本の骨さえもないお墓がある。
魂は吠えているよ。僕の風景を返してくれと。
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今晩は。3月に入ってから3.11の1日をどのように過ごしたらいいか考えておりました。静かに一人自宅で遠い故郷に思いを馳せ、そして犠牲になられた多くの方への祈りの日にしようとも思いましたがこの思いを共有する場に自分の身を置きたくなり急遽、日比谷公園で行われる「市民の集い」に出かけてきました。会場すぐそばの地下鉄出口から出た瞬間聞こえて来たのは野外コンサート同様のベース音の大きいステージ音でした。会場にはかつて良く参加したアースガーデンNatural High キャンプのように沢山のショップや屋台が並んでいました。主催者が同じなので雰囲気がどことなくキャンプで会ったことのあるような人達がいました。やっぱりお祭りイベントだったなあと持参の弁当のホットケーキ食べ、しばらくして黙祷の時間まで会場を離れてしまいました。私はここに黙祷する為に来たのでお祭りを見に来たのではなかったのです。2時間ほど会場近くを歩いて再び会場に戻ると驚いた事に、お昼前のまばらな会場とは違いものすごい人が集まっていました。人々はステージに向かって黙祷する為に集まっていたのでした。C.Wニコル氏が「今日は原発の事も環境の事も話しません。ただ、一瞬にして我々の目の前から消えてしまった親、兄弟、友人の事を想って祈りたい」旨の挨拶の後1分間の黙祷が始まりました。何万人の静かさの中で、来て良かったなとつぶやきました。こんなにも共有出来る人達が大勢いる事に少しほっとさせられました。そして公園のそばの通りではまさに原発反対のデモが国会議事堂めがけてスタートしていました。
(かねごん)
shinkunopapa様コメントを頂きありがとうございます。
次男は高校の部活の時間に黙祷をしたと言っていました。僕は不謹慎ながらその時間コタツで寝てしまっていました。
ここ2,3日虚脱状態が続いています。
春なので目覚めなければいけないのですが・・・。
投稿: shinkunnopapa | 2012年3月12日 (月) 00時54分